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第四章 続・十一月の受難
過ち1
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世界中の時が固まってしまったみたいな静寂が訪れた。
もしかしたら永久にこの静寂が続くんじゃないかと戸惑った時、冴子さんは再び口を開いた。
「無事に過ごしていれば来年二十歳。
まだ赤ちゃんの時に別れてしまったけど。
ちょうどルナちゃんくらいの頃ね」
私は身じろぎもできずに、蒼白な、それでも美しい横顔を見つめていた。
冴子さんは仰向いたまま、天井を通り抜けて何処か遠くを見ているようだ。
その後の彼女の告白は、堰き止められていた水が自由を得て、下へ下へと流れるように続いた。
***
娘の心臓に問題があるって分かったのは、産後すぐだった。
目の前が真っ暗になったわ。
でも、自分が弱気でいるわけにはいかなかった。
私は母親なんだから。
娘を守りたいと思った。
ただ、お義母さんは納得できなかったみたいね。
事あるごとに、あんたの責任だって言うようになったの。
夫だった人は助けてくれなかった。
あの人も辛かったんでしょうね。
お義母さんと同じようなことを言い始めた。
娘がこんな身体で生まれたのは、お前のせいだ。
母親のくせに。
……お義母さんと調子を合わせておけば、罪悪感から逃れられるとでも思ったんでしょう。
二人とも、誰かのせいにしなければやり切れなかったのね。
分かってた。
守る、なんてキレイごとだわ。
全部が普通の子と同じようにはいかない。
ちょっとしたことが命取りになる。
これからどんな生活が待ってるのか、成長の過程で何があるのか。
お金のことだって。
考え出したらキリがない。
それに……どれだけ生きられるのか。
でも、前向くしかないじゃない。
なのに、私が前を向こうとすればするほど、あの人たちは冷たく当たってくる。
許せなかった。
私のことをどう言われようと、そんなことどうだっていいの。
私が許せないのは一つだけ。
あの人たちは、私を通して娘のことを責めていた。
生まれてから、一度だってきちんと娘と向き合おうとしない。
あの人たちが許せなかった。
ある日、我慢できなくなって家を飛び出したの。
娘のことが頭をよぎったけど、頭が冷えたらすぐ帰るつもりだった。
ほんの数分、散歩でもしたら戻るつもりで。
それが間違いだった。
そんな時に限って、変な男に引っかかった。
その時の私には、男がすごい優しさに満ちてるように思えて。
グラッときちゃったんだよね。
いま思うと本当に変な男だった。
すぐに自分が馬鹿だったって気づいたわ。
夜明けと同時に帰った。でも。
娘が待つ家に入れてもらえることは、二度となかった。
お前は子どもを捨てたんだ。
逃げたんだって言われたわ。
何も返せなかった。
「娘が待ってる」なんて、どれだけ烏滸がましかったんだろう。
心の隙間が生んだ代償が、そんなに小さいワケなかった。
娘とは、それっきり。
この腕に抱くことも、代わりに自分の心臓をあげることも、できないまま──。
もしかしたら永久にこの静寂が続くんじゃないかと戸惑った時、冴子さんは再び口を開いた。
「無事に過ごしていれば来年二十歳。
まだ赤ちゃんの時に別れてしまったけど。
ちょうどルナちゃんくらいの頃ね」
私は身じろぎもできずに、蒼白な、それでも美しい横顔を見つめていた。
冴子さんは仰向いたまま、天井を通り抜けて何処か遠くを見ているようだ。
その後の彼女の告白は、堰き止められていた水が自由を得て、下へ下へと流れるように続いた。
***
娘の心臓に問題があるって分かったのは、産後すぐだった。
目の前が真っ暗になったわ。
でも、自分が弱気でいるわけにはいかなかった。
私は母親なんだから。
娘を守りたいと思った。
ただ、お義母さんは納得できなかったみたいね。
事あるごとに、あんたの責任だって言うようになったの。
夫だった人は助けてくれなかった。
あの人も辛かったんでしょうね。
お義母さんと同じようなことを言い始めた。
娘がこんな身体で生まれたのは、お前のせいだ。
母親のくせに。
……お義母さんと調子を合わせておけば、罪悪感から逃れられるとでも思ったんでしょう。
二人とも、誰かのせいにしなければやり切れなかったのね。
分かってた。
守る、なんてキレイごとだわ。
全部が普通の子と同じようにはいかない。
ちょっとしたことが命取りになる。
これからどんな生活が待ってるのか、成長の過程で何があるのか。
お金のことだって。
考え出したらキリがない。
それに……どれだけ生きられるのか。
でも、前向くしかないじゃない。
なのに、私が前を向こうとすればするほど、あの人たちは冷たく当たってくる。
許せなかった。
私のことをどう言われようと、そんなことどうだっていいの。
私が許せないのは一つだけ。
あの人たちは、私を通して娘のことを責めていた。
生まれてから、一度だってきちんと娘と向き合おうとしない。
あの人たちが許せなかった。
ある日、我慢できなくなって家を飛び出したの。
娘のことが頭をよぎったけど、頭が冷えたらすぐ帰るつもりだった。
ほんの数分、散歩でもしたら戻るつもりで。
それが間違いだった。
そんな時に限って、変な男に引っかかった。
その時の私には、男がすごい優しさに満ちてるように思えて。
グラッときちゃったんだよね。
いま思うと本当に変な男だった。
すぐに自分が馬鹿だったって気づいたわ。
夜明けと同時に帰った。でも。
娘が待つ家に入れてもらえることは、二度となかった。
お前は子どもを捨てたんだ。
逃げたんだって言われたわ。
何も返せなかった。
「娘が待ってる」なんて、どれだけ烏滸がましかったんだろう。
心の隙間が生んだ代償が、そんなに小さいワケなかった。
娘とは、それっきり。
この腕に抱くことも、代わりに自分の心臓をあげることも、できないまま──。
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