71 / 130
第三章 十一月の受難
浮上2
しおりを挟む
もう一度足を伸ばし、事務机の裏側を蹴飛ばしてやる。
ガツンと鈍い音がして電気スタンドが跳ねた。
「きゅ!?」
「あんたじゃ話にならない。
上を呼んできなさい」
奇声を発した林は巨躯を縮み上がらせ、助けを求めるような目つきで取調室の外を見やる。
私は乱れた髪を手ぐしで撫でつけ、足を組んだ。
「トップ・オブ・トップね。
さっさと行って」
顎を出入り口方向へ動かすと、林は即座に出て行った。
「トップだって言ったでしょ。
何でジジイが来んの?」
待ち時間と眠気で苛立ちがピークに達した頃、林が連れてきたのは小山内だった。
不愉快すぎて唾を吐きたくなる。
「さぁせん……」
「馬鹿者!
容疑者をつけ上がらせてどうする!」
「さぁせん……!」
容疑者と上司に睨まれた林は、大きな背中を翻して逃げて行った。
まぁ良い。
このジジイでも、林よりは幾分かマシだ。
「見つかった? 岩崎って人」
先んじて声をかけると、パイプ椅子を引こうとしていた小山内の動きがピタリと止まった。
やはり──。
私が立てた予測は恐らく当たっている。
だとしたら。
「ルナをどこへやったの!?」
焦りから、つい声を荒げてしまう。
駄目だ。冷静さを欠いては余計遠回りになる。
私は怒りを腹に落とし込んだ。
小山内が、ゆっくりとパイプ椅子に腰を落とす。
その目は油断なく私をうかがっている。
「反抗的な態度は後々不利になるぞ」
「いつまで威張っていられるかしらね」
含みを持たせて応じると、小山内は忌々しげに片眉を動かした。
明らかに狼狽えている。
分かってきた。
梨奈ちゃんとそっくりのベビーがいる、との通報があったのは間違いないだろう。
しかし、警察はその後、何らかの理由で岩崎家と接触できていないと思われる。
これまでの執拗な取り調べは混乱のためか、或いは時間稼ぎでもしているつもりだったのか。
「もう一度よく見ろ」
小山内が写真を指し示した。
うんざりする。
何度同じ取り調べを繰り返すつもりだ。
机上に提示されたのは、梨奈ちゃんが誘拐されたショッピングセンター“ララマート”内の防犯カメラ映像を、静止画の状態でプリントアウトしたものである。
白黒で不鮮明ながら私と認識できる人物と乳母車が写っており、右下には日付けと時間をカウントする数字が並ぶ。
「お前だ」
分かっている。
「乳母車も。玄関にあったやつと同じだ」
茶番か。
乳母車にちょこんと収まるルナが頭を掠めた。
岩崎家と接触できていないなら、警察はルナを何処で保護しているのか。
「そう。大家さんに借りたの」
「誰に借りようと、お前の犯行に違いないんだよ!」
「そこがおかしいっての」
冷静に突っ込むと、小山内は元から不機嫌な顔をさらに険しくした。
脅しはもう通用しない。
「犯行の瞬間は?
映ってないの?」
机上の写真を持ち上げる。
ここに写っている私は、ただ歩いているだけだ。
小山内は、「偶然、死角に入っていた」などと宣った。
旗色が悪くなると眉が動くのは、彼自身も気づいていない癖だろうか。
「まぁいいわ、死角だったとして」
ベビーカーは何処へ行った?
梨奈ちゃんはベビーカーごと連れ去られたのだ。
私が犯人だった場合、ベビーカーは後で処分できるとしても、誘拐直後はベビーカーと乳母車両方を手にしていたことになる。
不自然だ。そして目立つ。
防犯カメラからは死角でも、他の客の印象には残るだろう。
しかし、そんな目撃情報があるとは聞いていない。
これらの指摘に、小山内はついに口を噤んだ。
疲れた顔は昔の上司とさほど変わらないと思った。
「乳母車を予め大家さんに借りといて、空の状態で現場に向かったって言うの?」
私が犯人なら、絶対そんなことしない。
「人間の行動には得てして穴があるもんだ」
苦し紛れの解答としか思えない。
稀に起こる事象に頼った、いかにも年寄りが好みそうな言である。
「わざわざ手間かけて怪しまれ……分かった!」
ピンとくるものがあって、私は手を打った。
「警察に情報流したのって、大家でしょ?」
ガツンと鈍い音がして電気スタンドが跳ねた。
「きゅ!?」
「あんたじゃ話にならない。
上を呼んできなさい」
奇声を発した林は巨躯を縮み上がらせ、助けを求めるような目つきで取調室の外を見やる。
私は乱れた髪を手ぐしで撫でつけ、足を組んだ。
「トップ・オブ・トップね。
さっさと行って」
顎を出入り口方向へ動かすと、林は即座に出て行った。
「トップだって言ったでしょ。
何でジジイが来んの?」
待ち時間と眠気で苛立ちがピークに達した頃、林が連れてきたのは小山内だった。
不愉快すぎて唾を吐きたくなる。
「さぁせん……」
「馬鹿者!
容疑者をつけ上がらせてどうする!」
「さぁせん……!」
容疑者と上司に睨まれた林は、大きな背中を翻して逃げて行った。
まぁ良い。
このジジイでも、林よりは幾分かマシだ。
「見つかった? 岩崎って人」
先んじて声をかけると、パイプ椅子を引こうとしていた小山内の動きがピタリと止まった。
やはり──。
私が立てた予測は恐らく当たっている。
だとしたら。
「ルナをどこへやったの!?」
焦りから、つい声を荒げてしまう。
駄目だ。冷静さを欠いては余計遠回りになる。
私は怒りを腹に落とし込んだ。
小山内が、ゆっくりとパイプ椅子に腰を落とす。
その目は油断なく私をうかがっている。
「反抗的な態度は後々不利になるぞ」
「いつまで威張っていられるかしらね」
含みを持たせて応じると、小山内は忌々しげに片眉を動かした。
明らかに狼狽えている。
分かってきた。
梨奈ちゃんとそっくりのベビーがいる、との通報があったのは間違いないだろう。
しかし、警察はその後、何らかの理由で岩崎家と接触できていないと思われる。
これまでの執拗な取り調べは混乱のためか、或いは時間稼ぎでもしているつもりだったのか。
「もう一度よく見ろ」
小山内が写真を指し示した。
うんざりする。
何度同じ取り調べを繰り返すつもりだ。
机上に提示されたのは、梨奈ちゃんが誘拐されたショッピングセンター“ララマート”内の防犯カメラ映像を、静止画の状態でプリントアウトしたものである。
白黒で不鮮明ながら私と認識できる人物と乳母車が写っており、右下には日付けと時間をカウントする数字が並ぶ。
「お前だ」
分かっている。
「乳母車も。玄関にあったやつと同じだ」
茶番か。
乳母車にちょこんと収まるルナが頭を掠めた。
岩崎家と接触できていないなら、警察はルナを何処で保護しているのか。
「そう。大家さんに借りたの」
「誰に借りようと、お前の犯行に違いないんだよ!」
「そこがおかしいっての」
冷静に突っ込むと、小山内は元から不機嫌な顔をさらに険しくした。
脅しはもう通用しない。
「犯行の瞬間は?
映ってないの?」
机上の写真を持ち上げる。
ここに写っている私は、ただ歩いているだけだ。
小山内は、「偶然、死角に入っていた」などと宣った。
旗色が悪くなると眉が動くのは、彼自身も気づいていない癖だろうか。
「まぁいいわ、死角だったとして」
ベビーカーは何処へ行った?
梨奈ちゃんはベビーカーごと連れ去られたのだ。
私が犯人だった場合、ベビーカーは後で処分できるとしても、誘拐直後はベビーカーと乳母車両方を手にしていたことになる。
不自然だ。そして目立つ。
防犯カメラからは死角でも、他の客の印象には残るだろう。
しかし、そんな目撃情報があるとは聞いていない。
これらの指摘に、小山内はついに口を噤んだ。
疲れた顔は昔の上司とさほど変わらないと思った。
「乳母車を予め大家さんに借りといて、空の状態で現場に向かったって言うの?」
私が犯人なら、絶対そんなことしない。
「人間の行動には得てして穴があるもんだ」
苦し紛れの解答としか思えない。
稀に起こる事象に頼った、いかにも年寄りが好みそうな言である。
「わざわざ手間かけて怪しまれ……分かった!」
ピンとくるものがあって、私は手を打った。
「警察に情報流したのって、大家でしょ?」
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後
空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。
魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。
そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。
すると、キースの態度が豹変して……?

メンヘラ疫病神を捨てたら、お隣の女子大生女神様を拾った。
もやしのひげ根
恋愛
※序盤はお砂糖控えめでお送りいたしますが、後半は致死量となる可能性があります。ご注意ください。
社会人×女子大生の物語!
我が儘で束縛の激しい彼女と付き合って4年。
振り回されて散々貢がされて、やりたいことも何一つ出来ず貯金も出来るわけもなく。
口座も心もボロボロな俺は、別れを決意する。
今度ばかりは何を言われても言いなりになるつもりはない。
そしてようやく解放され、もう恋愛はこりごりだし1人を満喫するぞー!と思った矢先に1人の女性と出会う。
隣に住んでいる大学生が鍵を失くして家に入れないということらしい。しかもスマホは家の中に置き去り、と。
見捨てるわけにもいかずに助けると、そのお礼と言われて手作りのご飯をご馳走になる。
あまりの美味しさに絶賛すると、何故か毎日作ってくれることになった。
さらには同じ趣味のゲームで意気投合し、仲を深めていく。
優しくゲームも料理もプロ級の腕前。だけど天然だし無防備だしで少し心配になるところもある。
可愛いからいっか。
ボロボロだった俺の癒されライフが、今始まるっ——
公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌
招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」
毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。
彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。
そして…。
恋もバイトも24時間営業?
鏡野ゆう
ライト文芸
とある事情で、今までとは違うコンビニでバイトを始めることになった、あや。
そのお店があるのは、ちょっと変わった人達がいる場所でした。
※小説家になろう、カクヨムでも公開中です※
※第3回ほっこり・じんわり大賞で奨励賞をいただきました。ありがとうございます。※
※第6回ライト文芸大賞で奨励賞をいただきました。ありがとうございます。※
荒川ハツコイ物語~宇宙から来た少女と過ごした小学生最後の夏休み~
釈 余白(しやく)
ライト文芸
今より少し前の時代には、子供らが荒川土手に集まって遊ぶのは当たり前だったらしい。野球をしたり凧揚げをしたり釣りをしたり、時には決闘したり下級生の自転車練習に付き合ったりと様々だ。
そんな話を親から聞かされながら育ったせいなのか、僕らの遊び場はもっぱら荒川土手だった。もちろん小学生最後となる六年生の夏休みもいつもと変わらず、いつものように幼馴染で集まってありきたりの遊びに精を出す毎日である。
そして今日は鯉釣りの予定だ。今まで一度も釣り上げたことのない鯉を小学生のうちに釣り上げるのが僕、田口暦(たぐち こよみ)の目標だった。
今日こそはと強い意気込みで釣りを始めた僕だったが、初めての鯉と出会う前に自分を宇宙人だと言う女子、ミクに出会い一目で恋に落ちてしまった。だが夏休みが終わるころには自分の星へ帰ってしまうと言う。
かくして小学生最後の夏休みは、彼女が帰る前に何でもいいから忘れられないくらいの思い出を作り、特別なものにするという目的が最優先となったのだった。
はたして初めての鯉と初めての恋の両方を成就させることができるのだろうか。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる