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第三章 十一月の受難
浮上2
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もう一度足を伸ばし、事務机の裏側を蹴飛ばしてやる。
ガツンと鈍い音がして電気スタンドが跳ねた。
「きゅ!?」
「あんたじゃ話にならない。
上を呼んできなさい」
奇声を発した林は巨躯を縮み上がらせ、助けを求めるような目つきで取調室の外を見やる。
私は乱れた髪を手ぐしで撫でつけ、足を組んだ。
「トップ・オブ・トップね。
さっさと行って」
顎を出入り口方向へ動かすと、林は即座に出て行った。
「トップだって言ったでしょ。
何でジジイが来んの?」
待ち時間と眠気で苛立ちがピークに達した頃、林が連れてきたのは小山内だった。
不愉快すぎて唾を吐きたくなる。
「さぁせん……」
「馬鹿者!
容疑者をつけ上がらせてどうする!」
「さぁせん……!」
容疑者と上司に睨まれた林は、大きな背中を翻して逃げて行った。
まぁ良い。
このジジイでも、林よりは幾分かマシだ。
「見つかった? 岩崎って人」
先んじて声をかけると、パイプ椅子を引こうとしていた小山内の動きがピタリと止まった。
やはり──。
私が立てた予測は恐らく当たっている。
だとしたら。
「ルナをどこへやったの!?」
焦りから、つい声を荒げてしまう。
駄目だ。冷静さを欠いては余計遠回りになる。
私は怒りを腹に落とし込んだ。
小山内が、ゆっくりとパイプ椅子に腰を落とす。
その目は油断なく私をうかがっている。
「反抗的な態度は後々不利になるぞ」
「いつまで威張っていられるかしらね」
含みを持たせて応じると、小山内は忌々しげに片眉を動かした。
明らかに狼狽えている。
分かってきた。
梨奈ちゃんとそっくりのベビーがいる、との通報があったのは間違いないだろう。
しかし、警察はその後、何らかの理由で岩崎家と接触できていないと思われる。
これまでの執拗な取り調べは混乱のためか、或いは時間稼ぎでもしているつもりだったのか。
「もう一度よく見ろ」
小山内が写真を指し示した。
うんざりする。
何度同じ取り調べを繰り返すつもりだ。
机上に提示されたのは、梨奈ちゃんが誘拐されたショッピングセンター“ララマート”内の防犯カメラ映像を、静止画の状態でプリントアウトしたものである。
白黒で不鮮明ながら私と認識できる人物と乳母車が写っており、右下には日付けと時間をカウントする数字が並ぶ。
「お前だ」
分かっている。
「乳母車も。玄関にあったやつと同じだ」
茶番か。
乳母車にちょこんと収まるルナが頭を掠めた。
岩崎家と接触できていないなら、警察はルナを何処で保護しているのか。
「そう。大家さんに借りたの」
「誰に借りようと、お前の犯行に違いないんだよ!」
「そこがおかしいっての」
冷静に突っ込むと、小山内は元から不機嫌な顔をさらに険しくした。
脅しはもう通用しない。
「犯行の瞬間は?
映ってないの?」
机上の写真を持ち上げる。
ここに写っている私は、ただ歩いているだけだ。
小山内は、「偶然、死角に入っていた」などと宣った。
旗色が悪くなると眉が動くのは、彼自身も気づいていない癖だろうか。
「まぁいいわ、死角だったとして」
ベビーカーは何処へ行った?
梨奈ちゃんはベビーカーごと連れ去られたのだ。
私が犯人だった場合、ベビーカーは後で処分できるとしても、誘拐直後はベビーカーと乳母車両方を手にしていたことになる。
不自然だ。そして目立つ。
防犯カメラからは死角でも、他の客の印象には残るだろう。
しかし、そんな目撃情報があるとは聞いていない。
これらの指摘に、小山内はついに口を噤んだ。
疲れた顔は昔の上司とさほど変わらないと思った。
「乳母車を予め大家さんに借りといて、空の状態で現場に向かったって言うの?」
私が犯人なら、絶対そんなことしない。
「人間の行動には得てして穴があるもんだ」
苦し紛れの解答としか思えない。
稀に起こる事象に頼った、いかにも年寄りが好みそうな言である。
「わざわざ手間かけて怪しまれ……分かった!」
ピンとくるものがあって、私は手を打った。
「警察に情報流したのって、大家でしょ?」
ガツンと鈍い音がして電気スタンドが跳ねた。
「きゅ!?」
「あんたじゃ話にならない。
上を呼んできなさい」
奇声を発した林は巨躯を縮み上がらせ、助けを求めるような目つきで取調室の外を見やる。
私は乱れた髪を手ぐしで撫でつけ、足を組んだ。
「トップ・オブ・トップね。
さっさと行って」
顎を出入り口方向へ動かすと、林は即座に出て行った。
「トップだって言ったでしょ。
何でジジイが来んの?」
待ち時間と眠気で苛立ちがピークに達した頃、林が連れてきたのは小山内だった。
不愉快すぎて唾を吐きたくなる。
「さぁせん……」
「馬鹿者!
容疑者をつけ上がらせてどうする!」
「さぁせん……!」
容疑者と上司に睨まれた林は、大きな背中を翻して逃げて行った。
まぁ良い。
このジジイでも、林よりは幾分かマシだ。
「見つかった? 岩崎って人」
先んじて声をかけると、パイプ椅子を引こうとしていた小山内の動きがピタリと止まった。
やはり──。
私が立てた予測は恐らく当たっている。
だとしたら。
「ルナをどこへやったの!?」
焦りから、つい声を荒げてしまう。
駄目だ。冷静さを欠いては余計遠回りになる。
私は怒りを腹に落とし込んだ。
小山内が、ゆっくりとパイプ椅子に腰を落とす。
その目は油断なく私をうかがっている。
「反抗的な態度は後々不利になるぞ」
「いつまで威張っていられるかしらね」
含みを持たせて応じると、小山内は忌々しげに片眉を動かした。
明らかに狼狽えている。
分かってきた。
梨奈ちゃんとそっくりのベビーがいる、との通報があったのは間違いないだろう。
しかし、警察はその後、何らかの理由で岩崎家と接触できていないと思われる。
これまでの執拗な取り調べは混乱のためか、或いは時間稼ぎでもしているつもりだったのか。
「もう一度よく見ろ」
小山内が写真を指し示した。
うんざりする。
何度同じ取り調べを繰り返すつもりだ。
机上に提示されたのは、梨奈ちゃんが誘拐されたショッピングセンター“ララマート”内の防犯カメラ映像を、静止画の状態でプリントアウトしたものである。
白黒で不鮮明ながら私と認識できる人物と乳母車が写っており、右下には日付けと時間をカウントする数字が並ぶ。
「お前だ」
分かっている。
「乳母車も。玄関にあったやつと同じだ」
茶番か。
乳母車にちょこんと収まるルナが頭を掠めた。
岩崎家と接触できていないなら、警察はルナを何処で保護しているのか。
「そう。大家さんに借りたの」
「誰に借りようと、お前の犯行に違いないんだよ!」
「そこがおかしいっての」
冷静に突っ込むと、小山内は元から不機嫌な顔をさらに険しくした。
脅しはもう通用しない。
「犯行の瞬間は?
映ってないの?」
机上の写真を持ち上げる。
ここに写っている私は、ただ歩いているだけだ。
小山内は、「偶然、死角に入っていた」などと宣った。
旗色が悪くなると眉が動くのは、彼自身も気づいていない癖だろうか。
「まぁいいわ、死角だったとして」
ベビーカーは何処へ行った?
梨奈ちゃんはベビーカーごと連れ去られたのだ。
私が犯人だった場合、ベビーカーは後で処分できるとしても、誘拐直後はベビーカーと乳母車両方を手にしていたことになる。
不自然だ。そして目立つ。
防犯カメラからは死角でも、他の客の印象には残るだろう。
しかし、そんな目撃情報があるとは聞いていない。
これらの指摘に、小山内はついに口を噤んだ。
疲れた顔は昔の上司とさほど変わらないと思った。
「乳母車を予め大家さんに借りといて、空の状態で現場に向かったって言うの?」
私が犯人なら、絶対そんなことしない。
「人間の行動には得てして穴があるもんだ」
苦し紛れの解答としか思えない。
稀に起こる事象に頼った、いかにも年寄りが好みそうな言である。
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