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第三章 十一月の受難

奈落4

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 椅子に座ったまま身体の向きを変える。
 煌々と蛍光灯が光る署員たちの部屋へ。

 口を開く。

 声を上げようとしたら、乾き切った喉が張り付いてせ返った。
 顔面から汗が噴き出す。

 このままでは、私は取調室を覆う薄闇に溶けて消える。
 当初とは真逆の焦燥だった。
 狭い取調室に、自分自身の荒い呼吸音だけが響く。
 
 捕まる直前まで傍にいた子が、梨奈ちゃんだという実感はない。
 そっくりなのに。


 誰と──?


 分からない。
 考えることを放棄して、何もかもを投げ打って。
 私は、牢獄へと続く泥道へ足を踏み入れようとしている。

 ひとたび心に決めると、罪悪感が激流のように迫ってきた。

 心配をかけた両親。
 親不孝でごめんなさい。

 弟よ。
 姉のせいで婚期が遠のくようなことがあったら、どう詫びたらいいんだろう。

 麻由子。
 世話ばかりかける私に、いつも付き合ってくれた。

 冴子さんも。
 楽しかった。
 たくさん元気をもらったのに。

 みんな、ごめん。
 
 昌也にユイカさん。
 私のことなんて、どうでもいいだろうけど。
 もうすぐベビーも生まれるのに、なんか縁起悪くてごめん。

 みんな、ごめん。
 私のことは、忘れてよ。
 それから。

 敢えて意識しないようにしてたのに。
 最後の最後に、どうしても思い出してしまう。

 佐山はどうしているだろう。

 彼もまた、どこかで聴取を受けているのだろうか。
 迷惑しかかけてない。

 隣人が誘拐犯。
 どんな思いだろう。

 怒り。驚き。
 それとも気味が悪い?

 多分どれも違う。

 佐山はきっと、何事も無かったように日常に戻るのだ。
 大好きな動物に関わる仕事をし、真っ直ぐ帰宅して文鳥を可愛がる。
 人にどう思われようと意に介さない。

 私とは違う。

 それでいい。
 私など、佐山の意識の端にもチラつかないような存在でいい。
 ピーコだって、もう騒音でストレスを抱えることはない。

 それでいい。

 彼に軽蔑されるなど、私には耐えられない。
 他の誰に軽蔑されるよりも。



 「お前も強情な奴だな」

 林だけが取調室に戻ってきた。
 向かいのパイプ椅子に、どっかり腰を下ろして身体を仰け反らせる。

 「聞いてんのか、あぁッ!?」

 またわめき始めた。

 彼は、小山内のような禍々しさには欠けるが声量だけは野獣並みだ。
 疲労した三半規管が揺れる。
 コポコポと耳鳴りがする。


 ──まったく……は……ですね。


 佐山が何か言っている。
 呆れてるのかな。
 こんなことになったから。

 佐山は、いつも呆れてた。

 私の部屋。
 もう一人、そこに居るのは誰?


 ──あたしのことは……て呼びなさいね。
 ──まぁいいや。あんた、見たとこヒマそうだし。


 なんかムカつく、生意気そうな声もする。

 でも。
 私、確かにこの声を知ってる──。
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