【完結】改稿版 ベビー・アレルギー

キツナ月。

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第三章 十一月の受難

奈落2

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 「辛いこともあったんだろう」

 小山内が優しい声で続けた。


 辛いって、言っていいの?
 分かってくれるの? 


 ああ。でも、全部私自身が招いたことなんです。
 ベビー・アレルギーは、言い訳の塊だから。

 そうだ。そんな時に出会ったの。

 「ルナ……。
 ルナが来てから、私は寂しくなかったんです」

 あれ? 私、今なんて言っただろう。



 「そんな赤ん坊は存在しないんだよ!!」



 怒鳴り声で我に返った。
 恐怖で奥歯がカチカチ音をたてる。

 怖い時間は終わっていなかった。
 絶望で胸が塞がれる。


 「あの子は岩崎梨奈ちゃんだ。
 あんたが誘拐した!」


 語尾に向かって爆発的に大きくなっていく小山内の声が、私の全身を揺さぶった。

 「あ、あの子は……」

 平衡感覚を保てず、頭がフラフラと揺れる。
 怖いのは、もう嫌。

 私は答えを間違えてしまった。
 小山内が怒らないように、私は正しく供述しなければならないのだ。


 あれ……?
 って何だろう。



 「あんたの妄想なんだよ! 
 いいか? あんたの言う“ルナ”は、この世に存在しないんだ!」


 ルナはいない?
 そんなはずない。


 「調べさせてもらったよ」


 小山内が急に猫撫で声を出す。

 「彼氏、別の女に手ェ出して妊娠させたんだって?
 酷い男じゃないか」

 プライベートを掘り返された不快感より、同情を示してくれることへの嬉しさが込み上げた。

 目の前の刑事は、こんなにも傷ましそうに私を見てくれる。
 そして、今は怖いことをされずに済むのだ。


 「もうすぐ生まれるらしいね。
 入籍、してたよ」


 頭をガンと殴られたようだった。

 入籍したんだ、あの二人。
 いずれするだろうって、分かってたけど。


 「……寂しかったね」


 噛みしめるように、小山内は言った。
 私の首は、操り人形のようにカクンと下へ動いた。

 そうよ。寂しかった。

 気がついたらベビー・アレルギーで、誰とも上手くいかなくて。
 昌也も離れて行って、仕事がなくなって。
 麻由子は親友だけど、私とは居場所が違う気がしてた。

 小山内が私を覗き込む。



 「寂しくて、やっちゃったんだね?」



 何も考えずに、もう一度首を動かそうとした。
 でも動かなかった。

 何か、忘れているような気がした。

 沈黙の中、小さな物音が狭い取調室に落とされる。
 小山内の舌打ちだった。

 小山内がやおら立ち上がり、私が座る位置まで回り込んでくる。


 「お前に決まってんだよ!」


 至近距離での怒号。
 また恐怖の時間が始まってしまう。

 私は何かを忘れているはずなのだ。
 しかし、ゆっくり思考する間もなく、手がかりは無意識の奥へと押しやられていく。

 「やったんだろう!?」

 さらに大きな怒声を上げ、小山内が事務机を叩いた。
 電気スタンドが床に落ちて派手な音をたてる。

 「ひっ……」

 喉から掠れた悲鳴が漏れ出した。

 「梨奈ちゃんで寂しさが埋まると思ったか?」

 確かに私は寂しかった。
 でも、あの子は……。

 それまで直立不動で控えていた林が電気スタンドを拾い上げる。
 受け取った小山内が、それを力任せに私の傍に叩きつけた。

 目の前に強すぎる光が迫り、目がくらむ。


 でも、あの子は……。
 考えたいのに、強い光が邪魔をする。

 
 「家族の気持ちを考えたことがあるのか!?」


 見えないけど、小山内は確かにそこにいる。
 ずっと私を責め立ててくる。


 「お前がやったんだろうが!!」


 逃れられない。
 どんなに藻搔いても。

 もう、疲れた。
 そう思った瞬間、強い光が撫でるように頭の中を侵食し始める。



 ──絵美ぃ。



 全てが消し去られる直前、意識の端に誰かが映った。



 ルナ──。





 強い光が遠のく。
 恐る恐る顔を上げた。

 電気スタンドは元の位置に戻っている。
 数分前と同じように扇状に光を広げていた。

 だが、瞼の裏には強い光の残像が残っている。
 私は目を馴らすようにまばたきを繰り返した。
 小山内は黙って傍に立っている。


 今は少し考えられる。
 私は何かを忘れているはずなのだ。


 記憶を手繰る。
 強い光に侵食される前の。
 あの子……ルナ。



 ルナ。
 ルナ……?



 ルナって、何だったんだろう──。
 私は、途方に暮れて小山内を見上げた。
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