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第三章 十一月の受難

窮地5

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 佐山が息をついて話し出した。

 決して思い出したい出来事ではない。
 しかし、詳細を知らずにいることもまた気持ちが悪く、佐山の口から語られるのだということに漠然とした安心感もあった。

 ルナは私の膝に納まっているのが退屈になったらしく、クッションの上でサルと遊び始めている。


 

 そもそもの始まりは、木田が上司から叱責されたことだった。
 仕事に対する姿勢などを巡り、上司から木田への当たりは日常的に強いのだという。

 課せられた仕事を全て放り出して帰宅したものの、木田はムシャクシャした気分が治まらなかった。
 そこで想起されたのが大家・挟間道代である。


 ──要するにね。あの、誰でもいいの。


 102号室の女は誰とでも寝る。
 ムラッときた。

 居ても立ってもいられず外へ出る。
 目当ての部屋は留守だ。
 しかし、一度湧いて出た衝動はそう簡単には抑えられない。
 木田は、そのまま近所を徘徊し始める──。

 そこへ運悪く、買い物帰りの私が行き合った。

 木田は、私がルナを連れていることで噂の女だと直感した。

 そして、あの出来事に至る訳だが……。
 玄関ポーチは住人の出入りがある場所だ。
 後先を考えず人目にさらされる場で凶行に及んだのは、切羽詰まった衝動に駆られてのことであったらしい。

 因みに。
 木田の上司はだそうだ。

 私は、そういうムシャクシャした鬱憤の捌け口にされるところだったのかもしれない。

 何かにつけて自分に都合良く解釈する木田の言動を振り返ると、上司から叱責されても文句は言えない仕事ぶりなのだろうとも思う。

 「大丈夫ですか」

 佐山が声をかけてくる。
 無意識のうちに両手で腕をさすっていたのだ。

 事が起こった状況を知れば多少は納得できると思った。
 それでも、ああいった行為に至るまでの木田の心の変遷を想像すると、忌まわしさと恐怖で唇が震えた。
 反射的に佐山から目を逸らす。

 「だ、大丈夫です」

 「そうは見えませんよ」

 佐山がやおら立ち上がり、私の傍に膝をついた。

 「警察へは?」

 息を詰めて佐山を見上げる。

 自らに降り掛かった恐怖を未だ咀嚼しきれない中で、警察なんて到底考えの及ばないことだった。

 「警察へ届ける可能性は彼にも伝えています。
 ただ、かなり詳細なことまで聞かれると思いますが」

 聞き終える前に首を横に振っていた。
 この話はもう、たくさんだ。

 「そうですか」

 佐山からは無理強いするような様子は見受けられず、少しホッとした。
 ただ、佐山はなおも考えるような顔をしている。
 そして、言葉を選ぶように「これは、もしもの話ですが」と切り出した。

 「彼が僕との約束を違えて無断で戻ってきた場合は」

 そういう可能性もあるんだ。
 胸の奥に張った糸が、プツリと切れた。
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