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第三章 十一月の受難
不確かな関係3
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住宅街なんだから、誰が歩いていたって不自然じゃない。
仕事帰りのサラリーマンかもしれない。
足音もまだ遠いようだ。
でも。
ずっとついて来てない?
試しにちょっと足を速めて耳に集中する。
遠い気配は、私に合わせるようにアスファルトを蹴る間隔を狭めた。
偶然にしてはおかしい。
振り返る勇気はなかった。
誘拐事件の報道以来、ずっと心の隅に巣喰っていた小さな染みは今、はっきり黒い点となって胸の中に去来した。
今にも、この薄暗がりから手が伸びてくる。
追われてる。
一定の距離をもって、ピッタリとついてくる影がある。
警察か。
それとも全く関係のない変質者か。
どちらにしても、このまま帰ってしまってはアパートの場所を教えるようなものだろうか。
でも、おかしな素振りをしては余計に怪しまれてしまう。
対応を決めかねるまま、アパートへと続く四つ角に差し掛かった。
左へ曲がればアパートはすぐだ。
うつむいたままサッと左の道に入る。
出会い頭に大きな影が現れた。
「ひっ……!」
「うわあぁぁんっ!」
後方にばかり気を取られ、眼前に恐怖が迫っているとは思いもしなかった。
縮み上がった心臓が、その状態を保ったまま徐々に冷えていく。
「あっ、すみません」
しかし、突然に現れた影はごく常識的な言葉を発した。
よくよく見れば、社会人に毛が生えたくらいの若い男が、やはり驚いたような顔で立っている。
強張った身体が弛緩していく。
よほど驚いたらしく、ルナはまだ泣き止まない。
佐山じゃなかった──。
安心と同時に押し寄せた落胆を、慌てて振り払う。
「私の方が前を見てなくて。
すみませんでした」
「大丈夫ですか?
お身体の具合でも?」
若い男が一歩前へ出た。
私、そんなに酷い顔してたのかしら。
「いえ……後ろから足音が追ってきてるような気がしただけで」
苦笑いで手を振るも、若い男の顔には緊張が走る。
「女性だけでは物騒だ。
お送りしますよ。そこのアパートですよね?」
「え?」
乳母車のカゴの中で、ルナが不快そうに身体をよじった。
道の先にはアパートもあれば一軒家もある。
この男は、なぜ私が住む場所を知っているのだろう。
「あなたのこと、お見かけしたことがあるんです。
僕も同じアパートなんですよ」
男は、暗がりにも白く光る歯を見せて笑った。
***
その若い男は木田と名乗った。
二階に住んでいるという。
「んぎいぃ」
周囲に響くほどの声ではないが、ルナはまだ愚図っている。
「赤ちゃん、ビックリさせてしまったようで」
歩きながら、木田は弱ったように頭を掻く。
ルナが通りすがりの人間に愛嬌を振りまかないのは珍しい。
腹が減っているのか。
仕事帰りのサラリーマンかもしれない。
足音もまだ遠いようだ。
でも。
ずっとついて来てない?
試しにちょっと足を速めて耳に集中する。
遠い気配は、私に合わせるようにアスファルトを蹴る間隔を狭めた。
偶然にしてはおかしい。
振り返る勇気はなかった。
誘拐事件の報道以来、ずっと心の隅に巣喰っていた小さな染みは今、はっきり黒い点となって胸の中に去来した。
今にも、この薄暗がりから手が伸びてくる。
追われてる。
一定の距離をもって、ピッタリとついてくる影がある。
警察か。
それとも全く関係のない変質者か。
どちらにしても、このまま帰ってしまってはアパートの場所を教えるようなものだろうか。
でも、おかしな素振りをしては余計に怪しまれてしまう。
対応を決めかねるまま、アパートへと続く四つ角に差し掛かった。
左へ曲がればアパートはすぐだ。
うつむいたままサッと左の道に入る。
出会い頭に大きな影が現れた。
「ひっ……!」
「うわあぁぁんっ!」
後方にばかり気を取られ、眼前に恐怖が迫っているとは思いもしなかった。
縮み上がった心臓が、その状態を保ったまま徐々に冷えていく。
「あっ、すみません」
しかし、突然に現れた影はごく常識的な言葉を発した。
よくよく見れば、社会人に毛が生えたくらいの若い男が、やはり驚いたような顔で立っている。
強張った身体が弛緩していく。
よほど驚いたらしく、ルナはまだ泣き止まない。
佐山じゃなかった──。
安心と同時に押し寄せた落胆を、慌てて振り払う。
「私の方が前を見てなくて。
すみませんでした」
「大丈夫ですか?
お身体の具合でも?」
若い男が一歩前へ出た。
私、そんなに酷い顔してたのかしら。
「いえ……後ろから足音が追ってきてるような気がしただけで」
苦笑いで手を振るも、若い男の顔には緊張が走る。
「女性だけでは物騒だ。
お送りしますよ。そこのアパートですよね?」
「え?」
乳母車のカゴの中で、ルナが不快そうに身体をよじった。
道の先にはアパートもあれば一軒家もある。
この男は、なぜ私が住む場所を知っているのだろう。
「あなたのこと、お見かけしたことがあるんです。
僕も同じアパートなんですよ」
男は、暗がりにも白く光る歯を見せて笑った。
***
その若い男は木田と名乗った。
二階に住んでいるという。
「んぎいぃ」
周囲に響くほどの声ではないが、ルナはまだ愚図っている。
「赤ちゃん、ビックリさせてしまったようで」
歩きながら、木田は弱ったように頭を掻く。
ルナが通りすがりの人間に愛嬌を振りまかないのは珍しい。
腹が減っているのか。
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