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第二章 十月の修羅場
修羅場2
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昌也が私を追いかけて来るとは意外だった。
彼との間隔は二メートルほど。微妙な距離を置いている。
「何?」
「いや……その。その子は……?」
私がボソッと応じると、昌也は急にどぎまぎし始めた。
「その子って、まさか……」
ふうん。そういうこと。
昌也の思うところが透けて見えると同時に、私の口からは乾いた嗤いが零れ出た。
昌也が戸惑うのも構わず、私はしばし嗤い続けた。
別れる少し前。
私たちはまったく上手く行っていなかった。ただし。
体の繋がりは別だ。
昌也は、こちらにもベビーができてしまったと思い込んでいる。
馬鹿な男だ。
彼は、九月二十五日を忘れている。
残された荷物を、綺麗さっぱり運び出して行ったではないか。
私が本当に生んでいたなら、あの時に分かったはずだ。
そんなことも分からなくなるほどに、彼は焦っている。
私を思いやってのことではない。
恐らく、ユイカさんのためでもない。
昌也は、ただ自分のために焦っている。
ユイカさんに子どもができたと知った時には、きっと手放しで喜んだのだろう。
この違いは何だ。
沸々と憎しみが込み上げてきた。
昌也の目を見据え、今度はキッパリと言い捨てる。
「そうよ、あなたの子。驚いた?」
十月の真ん中。自ら修羅を招いた──。
昌也は蒼ざめて絶句する。
「折角の機会よ。抱っこでもしてみたら?
ほら、予行演習」
乳母車を押して距離を詰めると、昌也はルナから目を背けた。
「ちょっと、絵美?」
ルナの声が微かに頭の中に届くが、構うことはない。
昌也には赤ちゃんの声しか聞こえない。
「伝えないでおこうと思ったの。でも嬉しいわ」
「……」
「どうしたの?
あなた、子どもが好きなんでしょう?」
昌也の顔は紙より白い。
真夏でもないのに、汗に濡れた髪が蒼白の額に貼りついている。
私は昌也から目を離すことなく、さらに距離を詰める。
昌也はごくりと唾を飲み込むと、意を決したようにこちらに顔を向けた。
「頼む!! 何でもする。ユイカには黙っていてくれ!」
カッコわる。みっともな。
この状況を、私は何故か他人事のように、俯瞰で眺めているような感覚に陥った。
薄っぺらいドラマのように分かりやすい展開である。
まさか、自分がこんな舞台に立とうとは思ってもみなかった。
「へえ。わざわざそれを言いに来たの」
精一杯の侮蔑を込めて吐き捨てると、昌也は硬い表情のままうつむいた。
その表情を見て、いい気味だと思う。
次に。私は、ようやく自分が言ったことの結果について考え始めた。
私は今、嘘をついている。
ルナは三ヶ月後にいなくなる可能性が高いわけで、この嘘はいずれバレるだろう。
そうなった時の私の立場は相当に悪い。しかし。
この男には、もっと苦しんでもらいたい。
そういう思いが、まだ頭の中で大半を占めていた。
一度振り上げてしまった拳が納まる場所など、存在しないのである。
よって、私は止まらない。
彼との間隔は二メートルほど。微妙な距離を置いている。
「何?」
「いや……その。その子は……?」
私がボソッと応じると、昌也は急にどぎまぎし始めた。
「その子って、まさか……」
ふうん。そういうこと。
昌也の思うところが透けて見えると同時に、私の口からは乾いた嗤いが零れ出た。
昌也が戸惑うのも構わず、私はしばし嗤い続けた。
別れる少し前。
私たちはまったく上手く行っていなかった。ただし。
体の繋がりは別だ。
昌也は、こちらにもベビーができてしまったと思い込んでいる。
馬鹿な男だ。
彼は、九月二十五日を忘れている。
残された荷物を、綺麗さっぱり運び出して行ったではないか。
私が本当に生んでいたなら、あの時に分かったはずだ。
そんなことも分からなくなるほどに、彼は焦っている。
私を思いやってのことではない。
恐らく、ユイカさんのためでもない。
昌也は、ただ自分のために焦っている。
ユイカさんに子どもができたと知った時には、きっと手放しで喜んだのだろう。
この違いは何だ。
沸々と憎しみが込み上げてきた。
昌也の目を見据え、今度はキッパリと言い捨てる。
「そうよ、あなたの子。驚いた?」
十月の真ん中。自ら修羅を招いた──。
昌也は蒼ざめて絶句する。
「折角の機会よ。抱っこでもしてみたら?
ほら、予行演習」
乳母車を押して距離を詰めると、昌也はルナから目を背けた。
「ちょっと、絵美?」
ルナの声が微かに頭の中に届くが、構うことはない。
昌也には赤ちゃんの声しか聞こえない。
「伝えないでおこうと思ったの。でも嬉しいわ」
「……」
「どうしたの?
あなた、子どもが好きなんでしょう?」
昌也の顔は紙より白い。
真夏でもないのに、汗に濡れた髪が蒼白の額に貼りついている。
私は昌也から目を離すことなく、さらに距離を詰める。
昌也はごくりと唾を飲み込むと、意を決したようにこちらに顔を向けた。
「頼む!! 何でもする。ユイカには黙っていてくれ!」
カッコわる。みっともな。
この状況を、私は何故か他人事のように、俯瞰で眺めているような感覚に陥った。
薄っぺらいドラマのように分かりやすい展開である。
まさか、自分がこんな舞台に立とうとは思ってもみなかった。
「へえ。わざわざそれを言いに来たの」
精一杯の侮蔑を込めて吐き捨てると、昌也は硬い表情のままうつむいた。
その表情を見て、いい気味だと思う。
次に。私は、ようやく自分が言ったことの結果について考え始めた。
私は今、嘘をついている。
ルナは三ヶ月後にいなくなる可能性が高いわけで、この嘘はいずれバレるだろう。
そうなった時の私の立場は相当に悪い。しかし。
この男には、もっと苦しんでもらいたい。
そういう思いが、まだ頭の中で大半を占めていた。
一度振り上げてしまった拳が納まる場所など、存在しないのである。
よって、私は止まらない。
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