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第一章 九月の嵐
佐山という男3
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「あのさ。喋れるんなら泣かなくたっていいじゃないのよ」
反撃に出ることにした。
ルナの両脇に手を入れて抱え上げる。
「普通に言えばいい。そんなこともできないわけ?」
ルナを覗き込んで責めると、もみじのような手でぺちんと頬を叩かれた。
思いのほか力が強くて面食らう。
「仕方ないじゃん。あんたより圧倒的に人生経験少ないんだから。
そこを何とかするのはママの仕事でしょ」
ルナは口を尖らせ、宙に浮いた短い足をばたつかせた。
確かに、二十九年の私と一年にも満たないルナの人生経験の差は圧倒的である。
私って、大人気無い?
ジリジリと睨み合っていると、突然オホンと咳払いが聞こえた。
けっこう近くから。
ここで、初めて気がついた。第三者の気配──。
ルナがぱちくりと目を瞬かせた。
二人同時に、気配の方向へ目を遣る。
「ぎゃああぁぁっ!」
アレルギー持ちであることも忘れて、ルナにしがみつく。
そのまま、しりもちをついた。
散らかったシンクのすぐ傍。
隣人が……あの佐山という男が、ぬぼーっと突っ立っていた。
「ぎゃーっ! よ、寄らないで! 警察呼びますよ!」
へたり込んだまま必死でルナを抱え、窓際まで後退する。
隙を見て窓から逃げようか。大声を出せば誰かが気づいてくれるかも。
でも、恐怖で口が回らない。
「あぁ。お忙しいようでしたので、ここで待たせていただきました」
佐山という男は事も無げに言い、音もなくその場に正座した。
怖い……何、この男。
手に力を込めると、ルナがもぞもぞと動く。
逃げ道を確保するため窓の鍵を手で探り始めると、佐山が口を開いた。
「具体的な騒音対策について聞かせていただいていないのでね」
「は?」
騒音って。ルナの泣き声。
そんなことのために不法侵入したの?
「それ以前の話ですよね」
「あぁ。佐山と申します」
「そういうことじゃなく」
「あぁ。佐山文男と申します。三十二歳。本籍は」
「そうじゃない!」
どこまでも噛み合わんな!
私が叫ぶと、佐山はやれやれといった感じで息をつく。
「何をおっしゃりたいのです」
超イラつく。
何で私が話の分からない子みたいになっているのか。
「勝手に人ん家に上がるなって言いたいの!」
やっと伝わった。
しかし、佐山は慌てるでもなく「あぁ」と眠たげな返事をした。
「お取込み中のようでしたので声を掛けなかったのです。
それより重要なのは騒音対策だ。どうなさるおつもりなのです?」
「それよりってどういう意味ですかね!?」
怒りに震える私に対し、佐山の話し方には抑揚がない。
「この場合で言うと、それというのは僕がここへお邪魔したことを指しますね」
そのまんま「それ」の意味を問うている訳ではない……!
「つまり。僕がここへお邪魔していることなど些末なことで、騒音問題について考えることの方が重要だ、ということです」
相手の了解を得ずにお邪魔するのは不法侵入だ。
不法侵入を軽く見る、その態度を非難されていることに気がつかないのだろうか。
「ご丁寧に日本語文法を解説していただかなくて結構です。
私、日本人なので」
「でしょうね」
嫌味を言ったら軽く流された。
「わざとボケてんの? これ不法侵入ですよ!」
「今は目の前の騒音問題に向き合うべきです!」
佐山はピシッと膝を打つ。
抑揚のなかった声に初めて感情がこもったようだった。
怒りを通り越して途方もない気分になる。
先程から腕の中でもぞもぞと動いていたルナが、重そうに頭を上げた。
私が佐山に言葉をかける前に、ルナが口を開く。
「あれぇ?」
それから、目をぱちくりとさせる。
「なぁによ、絵美ぃ。ちゃんと彼氏いるんじゃーん」
反撃に出ることにした。
ルナの両脇に手を入れて抱え上げる。
「普通に言えばいい。そんなこともできないわけ?」
ルナを覗き込んで責めると、もみじのような手でぺちんと頬を叩かれた。
思いのほか力が強くて面食らう。
「仕方ないじゃん。あんたより圧倒的に人生経験少ないんだから。
そこを何とかするのはママの仕事でしょ」
ルナは口を尖らせ、宙に浮いた短い足をばたつかせた。
確かに、二十九年の私と一年にも満たないルナの人生経験の差は圧倒的である。
私って、大人気無い?
ジリジリと睨み合っていると、突然オホンと咳払いが聞こえた。
けっこう近くから。
ここで、初めて気がついた。第三者の気配──。
ルナがぱちくりと目を瞬かせた。
二人同時に、気配の方向へ目を遣る。
「ぎゃああぁぁっ!」
アレルギー持ちであることも忘れて、ルナにしがみつく。
そのまま、しりもちをついた。
散らかったシンクのすぐ傍。
隣人が……あの佐山という男が、ぬぼーっと突っ立っていた。
「ぎゃーっ! よ、寄らないで! 警察呼びますよ!」
へたり込んだまま必死でルナを抱え、窓際まで後退する。
隙を見て窓から逃げようか。大声を出せば誰かが気づいてくれるかも。
でも、恐怖で口が回らない。
「あぁ。お忙しいようでしたので、ここで待たせていただきました」
佐山という男は事も無げに言い、音もなくその場に正座した。
怖い……何、この男。
手に力を込めると、ルナがもぞもぞと動く。
逃げ道を確保するため窓の鍵を手で探り始めると、佐山が口を開いた。
「具体的な騒音対策について聞かせていただいていないのでね」
「は?」
騒音って。ルナの泣き声。
そんなことのために不法侵入したの?
「それ以前の話ですよね」
「あぁ。佐山と申します」
「そういうことじゃなく」
「あぁ。佐山文男と申します。三十二歳。本籍は」
「そうじゃない!」
どこまでも噛み合わんな!
私が叫ぶと、佐山はやれやれといった感じで息をつく。
「何をおっしゃりたいのです」
超イラつく。
何で私が話の分からない子みたいになっているのか。
「勝手に人ん家に上がるなって言いたいの!」
やっと伝わった。
しかし、佐山は慌てるでもなく「あぁ」と眠たげな返事をした。
「お取込み中のようでしたので声を掛けなかったのです。
それより重要なのは騒音対策だ。どうなさるおつもりなのです?」
「それよりってどういう意味ですかね!?」
怒りに震える私に対し、佐山の話し方には抑揚がない。
「この場合で言うと、それというのは僕がここへお邪魔したことを指しますね」
そのまんま「それ」の意味を問うている訳ではない……!
「つまり。僕がここへお邪魔していることなど些末なことで、騒音問題について考えることの方が重要だ、ということです」
相手の了解を得ずにお邪魔するのは不法侵入だ。
不法侵入を軽く見る、その態度を非難されていることに気がつかないのだろうか。
「ご丁寧に日本語文法を解説していただかなくて結構です。
私、日本人なので」
「でしょうね」
嫌味を言ったら軽く流された。
「わざとボケてんの? これ不法侵入ですよ!」
「今は目の前の騒音問題に向き合うべきです!」
佐山はピシッと膝を打つ。
抑揚のなかった声に初めて感情がこもったようだった。
怒りを通り越して途方もない気分になる。
先程から腕の中でもぞもぞと動いていたルナが、重そうに頭を上げた。
私が佐山に言葉をかける前に、ルナが口を開く。
「あれぇ?」
それから、目をぱちくりとさせる。
「なぁによ、絵美ぃ。ちゃんと彼氏いるんじゃーん」
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