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🏥お医者さまの章🏥

12.泥棒の忠告と、じいちゃんの乱心

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 「それもある」

 橋倉が答えると、カゲは呆れたようにため息をついた。

 「まったく大丈夫じゃねえみてーだぞ」

 「……そうなのか」

 「いいのかよ」

 「泥棒風情には何も見えておらんようだの」

 春平がフォフォッと笑った。

 橋倉が後を引き継ぐ。

 「黙って見ておれ。いずれ分かる」

 「いや、分かんねえって!」

 カゲは、イラついた様子で立ち上がった。

 「あいつの世界は、てめーらが思ってる以上に狭い。短絡的で幼な過ぎんだよ」

 春平は眉をしかめ、彼の顔をギラリと見上げる。

 「あのガキ、今が永遠に続くと思ってやがる。けど、どうしたってジジイどもは先に逝く。みんながずっと同じ場所いるなんて有り得ねえんだ」


 俺だってな。
 その一言を、カゲは飲み込んだ。


 「本当に大事なら現実を教えてやれ。世の中、十八で成人だぞ」

 「……かん」

 静かな食堂に、誰のものとも分からない呟きが落とされる。


 「逝かん!」


 春平の声だった。

 彼は苦しげに続けた。

 「ワシは逝かん。ヒカリと約束したんじゃ」

 「ふざけたこと言ってんなよ、ジジイ」

 「やめんか、泥棒」

 見かねた橋倉が制止に入る。

 「話がズレておるだろう。お嬢様と若先生のことなら心配ない」

 「ズレてねえ! ずっと夢見がちな世界に閉じ込めてるから暴走するんだ」

 「夢見がちで何が悪い?」

 橋倉が拳を震わせた。

 「貴様は知らんだろう。あの日、この屋敷に訪れた絶望を。お嬢様の悲しみを」

 食堂は、それきり沈黙した。

 たっぷり二分は経った頃、春平がポツリと言った。



 「では泥棒。貴様にくれてやる」





 カゲは、ポカンと口を開けた。

 「今なんつった?」

 「旦那様っ!」

 「ヒカリをくれてやると言っとるのだ」

 橋倉の制止を遮って、春平は続けた。

 「本当にワシが死んだらな。孫は冥土に連れて行けんし」

 「ほーぉ」


 この俺が、あのガキと。
 新しい視点だな。


 カゲは、考えるように顎をさすった。

 「それはその、この家の財産も一緒にってことか?」

 「ふん。金は冥土に持って行けんからの」

 「ほほう! そりゃそうだ!」

 カゲが身を乗り出すと、橋倉が割って入ってくる。

 「旦那様、しっかりなさいませ! 貴様はテーブルに乗るな!」


 「……だってぇ」


 橋倉が必死で宥めるも、グスンと鼻を啜る春平である。

 孫のことになると“財界の鉄人”も形無しだ。

 だからって、よりによって何で泥棒なんかにお嬢様を託そうということになるのか。ヤケクソが過ぎる。泥棒はテーブルの上であぐらかいてるし。

 橋倉は頭を抱えたくなった。

 「おい、貴様も真に受けるなよ。旦那様は今、正気ではないのだ。テーブルから降りろ」

 しかし。


 (何で今まで気づかなかったんだろうな。これで全財産ゲットじゃねえか! 相手が青臭いガキってところがキツいけどなー)


 真に受けてた。


 (でも面倒な護衛の仕事からは解放されるし。どーせ紙切れ一枚のことだしな!)


 結婚は紙切れ一枚提出したかどうか。

 例のドラマで、不倫男の同僚(チャラい)が言ってたやつである。

 彼もしっかりドラマの影響を受けていた。

 「で、正気じゃねえとはどういうこった?」

 突然の質問。

 橋倉は内心ヒヤリとした。

 「泥棒には関係ない! テーブルから降りろ」

 この男は、とぼけているようで妙に鋭い時がある。

 泥棒だからなのか。

 「ジジイもそろそろ身体にガタが来た。ってところかな」

 「まだ分からん。テーブルから降りろ」

 橋倉は、苦虫を噛み潰したような顔で答えた。

 そして最後に付け加える。

 「他言無用だぞ」

 “財界の鉄人”の健康不安説。

 そんなものが巷に出回ったら、社会は大混乱だ。


 「でも、健康診断は問題ないって話じゃなかったのか?」

 と、カゲ。

 「うむ、しかし」

 「ん? 待て。なぜ泥棒がそのことを知っている?」

 橋倉が不審そうに言った。

 「あ」

 「あ、とは何だ」

 あの時、カゲは応接室の飾り棚に張り付いて話を聞いていたのだった。

 護衛ではなく、の方で。

 「いやぁ、俺は何でも知ってるのさ」

 「この馬鹿者が!」

 理由を察した橋倉が雷を落とす。

 「テーブルから降りろ! っていうかね!!」

 「へいへい」

 カゲは滑るように床に着地した。

 「さっさと病院行けよー」

 食堂を出る直前、そう言い残していった。



 「……それもそうよな。早めにクリニック行くわ、ワシ」

 泥棒に言われてその気になる春平である。

 複雑だが、ひとまずは胸を撫で下ろす橋倉であった。

 再び食堂のドアが開く。



 「派手にやってたね」



 「おお、冬子。大学院の方はいいのか」

 末娘の姿を認めると、春平は目尻を下げた。

 「今日は午前中でキリがついたの」

 冬子が席につくと、橋倉は慌ててテーブルを磨き始める。

 その位置で、さっきまで泥棒があぐらをかいていたのだ。

 「私もお茶、いただこうかな」

 「かしこまりました」

 橋倉は改めて準備にかかる。

 「ほーんと、面白い護衛くん」

 冬子が愉快そうに話し始めた。

 「ねえ、パパ。あの護衛くんとヒカリちゃんの取り合わせ。私、アリだと思うんだよね」

 「何じゃと」

 「冬子様までそのようなお戯れを」

 玉露が注がれると、やがてふくよかな香りが辺りに立ちのぼる。


 「ヒカリちゃんは真っ直ぐ過ぎるから、人より傷つく。苦しむと思う、これからも」


 冬子は、湯呑みを両手で包み込んだ。




 「……お兄ちゃんにそっくり」





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