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🎹ピアノ男子の章🎹
⒎箱入り令嬢、盛り上がるも…
しおりを挟むあれから先生とどんな話をして、どうやって教室に戻って来たかも覚えていない。気がついたら2年A組のソファ席に座っていた。奏人先生の音楽の授業は、この後すぐ──。
キィっと扉が軋む音がした。両開きの真っ白な扉から、奏人先生が入ってくる。お嬢様たちは、お喋りを止めない。
「今日……は、音楽……で行いま……」
奏人先生の声は、またも掻き消される。ヒカリはギュッと両手を握りしめて俯いた。
(ああ、ハラハラするわ)
頑張って!
祈るような思いで顔を上げると、奏人先生と視線がぶつかった。いつもみたいにオドオドしていない。
奏人先生は、キュッと唇を引き結ぶと、意を決したように言った。
「今日の授業は音楽室で行います」
お喋りに興じていたお嬢様たちが呆気に取られる。実習が始まって以来、奏人先生がこんなにハッキリ物を言うのは初めてなのだ。
「い、行きましょう!」
お嬢様の圧を正面から受けつつも、奏人先生は引かずに頑張る。しばしの沈黙の後、教室が割れんばかりの不満の声が噴出した。甘やかされて育ったお嬢様軍団は、指示を受けるのが嫌いなのである。
「突然内容を変えるのはどうかと思います。先生、許可は出したのですか?」
腕組みをしたまま、姫華が担任の方へ声をかける。取り巻きが「そうよ、そうよ」と同調すると、姫華は意地悪そうに目を光らせた。
「この授業の担当は彼です」
担任は、銀縁眼鏡のブリッジを押さえながら素っ気なく答える。学園の中でも厳しいので有名な彼女が「移動しろ」と言えば、お嬢様たちは渋々でも従うはずであった。が、今回は敢えてそれはせず、実習生に任せる姿勢のようだ。
「分かりました。参りましょう」
ヒカリがスッと腰を上げる。すかさず姫華が噛みついてきた。
「やけに肩を持つじゃない」
取り巻きがクスクスと笑い出す。ヒカリがゆっくり振り返ると、姫華は嘲るように言った。
「私が何も知らないとでも? あなたがお昼休みの度に音楽室で何をしているか。笑っちゃうわ。あなたにはお似合いだけど」
奏人先生が驚いたような顔をし、何か言いかけたところをヒカリが遮った。
「だったら何だっていうの?」
ヒカリは、強い目でソファ席に座ったままの面々を見渡す。妄想モードに入っちゃってる彼女に怖いものはない。むしろ、外野から野次が飛んでくる方が盛り上がるのだ!
「ああ、そういうこと。ごめんなさい、気づいて差し上げられなくて」
ヒカリは、満更でもない表情で続けた。
「身体が重くて動けないのね。その歳で大変。そうね、あなたはここにいらっしゃればいいわ」
姫華がギリリと歯を食いしばった。
(何だ、あいつら?)
カゲは、ゾロゾロと移動するお嬢様たちを遠巻きに見ながらコインを弾き、器用に手の中に納めた。トイレのついでに金目の物を探しながら校内をうろついていたのである。収穫は、職員・護衛用トイレの前に落ちていた十円玉一枚であった。
☆☆
防音ガラス張りの音楽室。
敷き詰められた毛足の長いガーネットカラーの絨毯と、真っ白なグランドピアノ。扇形の部屋の形に沿ってシングルソファがいくつか配置され、小規模な音楽会でも開けそうである。
姫華はドレスの裾を大きく広げて後ろのソファを陣取り、取り巻きたちがそれに倣った。ヒカリは、やや心配そうに奏人先生の方を窺いながら最前列のソファに腰を下ろす。先生は、ちょっと困ったような顔をしていた。
移動させられた不満と物珍しさで、お嬢様たちはまたザワザワとし始める。奏人先生は大きく息を吸い込むと、ピアノの椅子に腰掛けた。ヒカリが初めて目を奪われたあの時のように。
やがて、生徒たちの間を切ないような高音の旋律が駆け巡る。お喋りが止んだ。みんな驚いたような表情で奏人先生に注目している。
「これは、この間説明したイ短調の曲です」
奏人先生は、ちょっとぎこちない調子で言った。
「何て曲ですか?」
ヒカリの斜め後ろから声がかかる。姫華たちのグループとはつるんでいない、真面目そうな子だ。予定と違う授業に初めは戸惑ったようだが、今は完全に奏人先生のピアノに引き込まれている。
「ああ……今のは適当に弾いただけだよ」
えーっ! と、かしましい声が防音仕様の窓をビリビリと振動させた。
「……え?」
奏人先生は、わけが分からないような顔をしている。潮目が完全に変わった。グランドピアノの周りに生徒がワッと殺到する。
あれを弾いて、これを弾いて。
奏人先生はあっという間に囲まれて、次々とリクエストを受ける。
みんな澄ましていてもまだ高校生。箱入り娘な分、素直でもあるのだ。
(みんな今頃気づくなんて遅いわ。凄いんだから。私の奏人先生は)
ヒカリは、誇らしい気分で胸を張る。自分だけは、もっと前から知っていた。先生のピアノを。そのことが嬉しくてたまらない。
人だかりの間から、奏人先生がヒカリを見ている。目が合うと、先生は微笑んだ。ヒカリは頬に熱を感じて、それから胸がトクンと跳ねた。
「少しは授業っぽいこともしないとね」
あれもこれも弾いてほしいとねだる生徒たちに奏人先生が提案したのは、前日までの授業で習った『短調』の曲をリクエストすること。
少し変わった授業に、生徒たちは熱中した。歌謡曲でもCMソングでも。奏人先生は、何でもピアノで弾いてしまう。
「これは知ってる?」
合間に、奏人先生からも問題が出る。誰もが聞いたことがあるようなピアノ曲。先生は、弾きながら作曲者や時代背景などを簡単に説明してくれる。
ヒカリにも馴染みのある曲ばかりで理解しやすかった。それは、ピアノ王子・奏斗のCDのお陰なのだが、妄想モードに突っ込んでいる彼女は気づいていない。
今、奏人先生が弾いているのは『月光』の一節。
「月光っていうのはね。ベートーヴェンの死後につけられた名前なんだよ」
生徒たちは、驚いたように顔を見合わせる。先生は、鍵盤に指を走らせながら続けた。
「正式名称は『ピアノソナタ第14番嬰ハ短調 作品27-2 幻想曲風ソナタ』……」
そこで手を止めた先生がさらに説明してくれる。
月光の愛称がついたのはベートーヴェンの死から5年後。ドイツの詩人ルートヴィヒ・レルシュタープが、「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」と表現したのが由来だ。
「これが『月光』だと知ったら、ベートーヴェンは驚くだろうね」
奏人先生の言葉に、みんなが笑った。ここで、授業終了の鐘が鳴る。
(素敵……)
ヒカリの目が潤む。奏人先生以外、何も見えない。
「今日の授業はここまで。聞いてくれてありがとう」
先生と目が合ってときめいた瞬間。一気に現実に引き戻された。
「まだ聞きたい!」
生徒たちが不満の声を上げたのだ。始まる前のことを思い返せば、何ともゲンキンなお嬢様たちである。ヒカリは自分のことのように嬉しくなる。
人波の向こうで、奏人先生は困ったように笑っていた。子犬みたいに。
「じゃあ少しだけ。最後は明るい曲にしようね」
先生が鍵盤に指を落とす。初めのワンフレーズだけで、生徒の間からため息が漏れた。気づけば、姫華までもが前に出てきて目の色を変えている。
(この曲……)
ほろ苦さが喉にせり上がってくる。説明のつかない何かが、ヒカリの胸を圧迫した。
この旋律。大好きな曲。
いつも、お昼休みにここで聴かせてくれた。
“Part of Your World“
奏人先生が、ヒカリだけのものではなくなった瞬間だった。
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