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🎹ピアノ男子の章🎹

⒊教育実習生、担当教科は…

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 (奏斗かなと様……)

 ホームルーム前のわずかな時間。教卓をぐるりと囲んだソファの、いつもの位置に座ったヒカリはスマホを見つめていた。待ち受け画面も奏斗様である。

 「ちょっと、ヒカリ! 何でアンタが奏斗様を知ってるのよ?」

 ヒカリの前に立ち、腕組みして尖った声を上げるのは冷泉れいぜい姫華。同じクラスなのだ。他のお嬢様が2人、金魚のフンのようにくっついている。

 「姫華……。いつも真似をしてくるのはアンタの方でしょ」

 「何を言うの? “ホテル・ヨルトン”のラウンジでピアノを弾いてる彼をスカウトしたのは、この私よ」

 ヒカリは耳を疑った。この女が?

 「その縁で、今度の我がR警備保障の新CMには彼が起用されるの」

 ハッタリとも思えない。今度は、ヒカリが唇を噛み締める番であった。金魚のフンたちが、「さすが姫華さんね」などと持ち上げる。

 「あなたたちも撮影の見学に来るといいわ」

 姫華が満更でも無さそうに声をかけると、金魚のフンたちはワァッと沸き立った。

 「ヒカリ。どうしてもって言うなら土下座でもなさい。そしたら見学させてあげても良くてよ。端っこの方で」

 姫華と金魚のフンが、意地悪そうにクスクスと笑う。

 「……お断りよ!」

 一瞬、間が空いてしまったのが悔しい。
 奏斗様。何故、冷泉の会社のCMになんか!

 「まぁ。姫華さんの寛大なお心を無下にするなんて」
 「失礼ね」

 金魚のフンが囃し立て、姫華は高笑いしながら去っていく。

 (きっと断れなかったのよ!)

 冷泉側が汚い手を使ったに決まっている! ヒカリはギリリと歯噛みした。


 (そうだわ! こっちには『ペコム』があるじゃないの!)


 祖父・胡桃沢春平くるみざわしゅんぺいが新たに立ち上げた警備会社。今から手を回せば間に合うかもしれない。奏斗様を冷泉に取られてたまるか。

 (決めたわ。『ペコム』のキャラはワンちゃんよ! 奏斗様には、犬耳をつけて『ペコム』のCMに出てもらう!)

 可愛いバージョンの奏斗様が見られる。奏斗様とお近づきになれる……! ヒカリは春平に連絡を取るべく、スマホのメッセージアプリを開いた。

 「皆さん、ホームルームを始めますよ」

 担任が来てしまった。銀縁眼鏡の神経質そうな女教師だ。ヒカリは思わず舌打ちしそうになる。隠れてスマホ操作できないのが、このソファ席の欠点だ。

 「本日より2週間、教育実習の先生が入られます。入って。モリシタ 先生」




 クスクス……。

 失笑が漏れる教室に、彼はおずおずと足を踏み入れた。
 前方の大型スクリーンに彼の名前が映し出されている。

 森下奏人もりしたかなと──。
 あのピアノ王子、奏斗かなとと一字違いの同名。なのだが。

 「これから2週間、森下先生にはこのクラスの担任の他、音楽の授業を担当してもらいます。じゃ、先生」

 銀縁眼鏡の担任は、やや心配そうに彼に挨拶するよう促した。顔を強張こわばらせた彼は、ロボットのような歩き方で何とか教卓へたどり着く。

 「あ……も、森下か……と、いいます。皆さ……どうぞ宜し……ねが……しま……」

 消え入りそうな声だった。
 急場凌ぎで揃えたと思しきグレーのスーツはブカブカで、まるで制服に着られた中学生のよう。鼻のまわりのソバカスが、彼の顔立ちをより一層幼く見せている。

 「聞こえませーん」

 誰かが言うと、教室はイヤな笑いに包まれた。彼は、生白い顔をサッと赤く染めて俯いてしまう。

 彼……森下奏人先生は。
 全てにおいて自信なさげでぎこちなくて、「先生」には程遠かった。

 同名の、今をときめくピアノ王子・奏斗とのギャップも相まって。
 彼は来校初日にして、癖の強いお嬢様たちの格好の笑い者となってしまったのだった。



 ☆☆

 「そいつなら俺も見かけたぜ」

 カゲは、そう言って紫煙を吐き出した。

 「こんなところで吸わないでよ。寒いし」

 「カビ臭えんだよ、俺の部屋」

 胡桃沢邸、ヒカリの部屋である。
 「カビ臭い」というカゲの部屋は、ヒカリの部屋に近い書庫だ。胡桃沢邸に忍び込んだのがバレた際に連れて行かれた書庫が、そのまま彼の部屋になっている。トイレまでの距離は申し分ないが、古本独特の匂いには慣れない。お嬢様の部屋の方が何百倍も過ごしやすいのだ。

 バルコニーへ続く窓を開け放し、カゲは煙草をふかしている。
 かつて、カゲがよじ登ったバルコニーだ。

 煙草の銘柄にこだわりはない。大きな声では言えないが、適当にくすねた物で充分なのだ。ただし。この煙草は温厚な護衛仲間、鈴木さんから了解を得て貰った物である。

 「ああいうの見てるとイライラしちゃう! もっと堂々とできないの!?」

 ヒカリが話すのは、教育実習の森下奏人先生のことだ。
 初日とはいえ、彼は結局、生徒の前で何一つまともにできなかった。

 「実は、あいつな」

 カゲは途中まで言いかけると、ニヤリと笑って口をつぐんだ。

 「やっぱいいや」

 今朝、学校でトイレに行った後、カゲは奏人先生とすれ違っていたのだ。奏人先生は物陰に隠れて電話をしていたのだが……。
 その内容を思い出し、再び笑いが込み上げる。

 「何よ?」

 気になったヒカリがどれだけ聞いても、カゲは意味ありげに「カカカ」と笑うだけだった。


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