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🎹ピアノ男子の章🎹

⒉ライバルお嬢、満を持して登場。そして

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 「ねえ、鈴木さん。この曲は?」

 学校へ向かうリムジンの中でも、奏斗かなと様のCDを聴くヒカリお嬢様である。
 春平に追い返された厚の車が横をすり抜け、別の道に入って行った。

 「えーっと……」

 さすがに、万能執事のように即答とはいかない。
 鈴木さんは護衛の一人だ。七三分けの、温和を絵に描いたような人である。最近は、この鈴木さんとカゲが護衛についている。

 「ハンガリー狂詩曲第2番、ですね」
 「そう。ありがと」

 ヒカリは、愛おしそうにCDジャケットを撫でた。シンプルな黒いシャツで、少年のような笑みを浮かべてピアノを弾く奏斗様が写っている。斜め横からアップで撮られたものだ。

 「お前。学校行く前によくこんなもん聴けるな」

 カゲが暗い顔で言った。胸の中に黒雲が広がるかのように気分が重くなり、同時に催してくる。

 「何をクネクネしてるのよ? 気持ち悪いわね」

 「う、うっせえ。曲名も分からねえくせに何が奏斗様だ」

 カゲが落ち着きなく吐き捨てた時。前方に、お伽話に出てきそうな城が姿を現した。桃色の三角屋根に真っ白な外壁。この城こそ、ヒカリが通う『蓮乃宮はすのみや女学院 高等部』。この城だけで高等部である。
 
 守衛の敬礼に迎えられ、整えられた庭園を悠々と進めば、モネの『睡蓮』さながらの美しい池が心を和ませる。車寄せには続々と高級車が連なり、お嬢様たちが護衛を伴って降りていく。

 ヒカリたちも、開け放たれた大きな扉からエントランスへ入った。一般的な学校で言えば、昇降口みたいなものであろうか。ともかく、2年生専用の棟へと歩き出したその時。甲高い声が響いた。

 「あら。胡桃沢ヒカリさんじゃありませんこと? 相変わらず地味! ですのね」

 エントランスが一瞬シンとなる。ヒカリは迷惑そうに溜め息をついた。

 「あら、冷泉姫華れいぜいひめかさん。それ、お支度に何時間かかりましたの?」

 ヒカリの目の前にいる同級生は、紫のタイトなドレスに黒いショールを羽織り、髪は縦ロールでグルグルに巻いている。

 こちらの女学院は、私服(?)通学が可能なのだ!
 ちなみに、ヒカリはジャケットとタータンチェックのスカートという高校生らしい服装。ドレスなど着てくる生徒はほんの一部である。

 (……ケバ)

 カゲは、辟易しつつヒカリの後ろに控えていた。毒々しい色彩が目に入ると膀胱の運動が活発になるような気がする。ただでさえ催していたのに。

 姫華の背後には、取り巻きと思しきお嬢様が数人。似たり寄ったりの格好だ。もちろん、それぞれに護衛がついている。

 「お支度前にすれ違っても気づいてさし上げる自信がないわ。大変ね。しないように飾り立てるのも」

 憐れむような表情で嫌味を繰り出すヒカリお嬢様である。
 姫華がグッと言葉に詰まる。控え目ながら、遠巻きにクスクスと笑い声が……。

 冷泉姫華。悔しそうに唇を噛み締める彼女は、例の『R警備保障』の社長令嬢である。祖父の代から、何故か冷泉が一方的に突っかかってくる。

 「フン、地味女の負け惜しみね! ねえ、新しい護衛さん」
 
 姫華はカツカツと踵を鳴らしながら進み出ると、まじまじとカゲを見上げた。スッと腕を伸ばしてカゲの頬に手を添え、猫撫で声を出す。

 「へえ。まあまあ良いじゃないの。こんな女のところじゃなくて、家へいらっしゃいよ」

 近くへ寄られると甘ったるい香りが鼻につく。カゲは顔を背けた。

 「俺に指図するな」

 トイレに行きたい。
 喋ってる暇があるならトイレ行きたいんだよ、腹が立つ。

 カゲの事情を知らない姫華の顔が怒りに歪んだ。同時に、冷泉家の屈強かつイケメンな護衛が飛び出してくる。

 次の瞬間。

 屈強な護衛は、大理石の床に背中をついていた。鈴木さんが涼しい顔で手を払っている。姫華と取り巻きが息を飲んだ。

 「ご愁傷様」

 ワナワナと震える姫華を尻目に、ヒカリは満足気に踵を返す。
 鈴木さんと並んでヒカリの後ろを歩きながら、カゲは口の端を歪めた。護衛として側につくようになって分かったことがある。ヒカリは、決して群れないのだ。カゲはキュッと拳を握った。


 (トイレ……)


 ☆☆

 (何度見ても違和感が拭えねえ……)

 落ち着いたディープブルーのベロア生地のソファが、ごく普通の教卓と大型スクリーンをぐるりと囲うように配置されている。どう見ても異様であった。
 因みにこのソファ、この学院だけのために作られた高級品だ。長時間授業を受けても疲れないよう、これまた特別に開発された超高級低反発素材が内臓されている。このソファで、タブレット端末を片手に勉学に励むのだ。
 
 フカフカの絨毯、猫足の本棚に暖炉、高い天井にはシャンデリア。アーチ状の大きな窓に掛かったレースのカーテンが、庭園からの光を上品に和らげている。
 そしてあの、やたらとヒダの多いカーテン。とぷんと丸みをもたせたところを房のついた紐でキュッと止めてある。わざわざ“とぷん”とする意味が、カゲには分からない。一体どれだけの布地が無駄になっているんだろうと考えると途方もない気分になり、膀胱がモゾモゾする。
 
 ここは、ヒカリを含めた10名が所属する2年A組だ。こんな部屋なのに、すごく普通に「2年A組」。各学年3クラス、大体こんな感じである。
 ここへ通うお嬢様たちへの待遇は破格。掃除当番なんて、もちろん無い。

 「世界に通用するレディを!」などと大層な方針を掲げてはいるが、通ってくるのは有力者の御令嬢ばかり。高額な寄付や学費を納めてくれる彼女たちの保護者は、学院側にとっては大切なお客様なのである。

 「ごめん、鈴木さん。ちょっと野暮用だ」

 カゲは、鈴木さんに断りを入れて部屋を抜けた。やっとトイレに行ける。鈴木さんは温厚なので助かる。

 数少ない『職員・護衛用トイレ』で事なきを得た後、金目の物を物色しながら歩いていると人とすれ違った。教員ではなさそうだが。首から下げるタイプの名札を見て、カゲは眉を上げた。

 その人物は物陰へ入ると、スマートフォンを耳に何やら話し始めた。すぐ側の壁にピタリと張り付いているカゲに気づく様子もない。、これくらいはお手のものだ。口に手を当て、込み上げる笑いを抑える。

 (面白いことになってきやがった……)



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