12 / 44
🎹ピアノ男子の章🎹
⒈ピアノ王子
しおりを挟む無情にも毛布が引き剥がされた。
「何すんのよ!」
悲鳴を上げたのは、この屋敷の令嬢・胡桃沢ヒカリである。腕の中には大判の写真集。切れ長の三白眼が、誘うようにこちらを見つめている。
奏斗。
名前以外は神秘のベールに包まれたピアニストだ。別名、ピアノ王子──。
ヒカリが抱えているのは、そんな彼の1st写真集である。昨晩は、写真集を抱いて妄想しつつ眠ってしまったのだ。
「勝手に入ってこないで!」
パステルピンクのモコモコパジャマ姿のヒカリは、不満そうにベッド上で身体を起こす。大人が五人は悠々と横になれそうな、天蓋付きの豪奢なベッドだ。
「何度ノックしても起きねえからだろうが」
「そうだわ、鍵……! かけたのにどうして!」
「コレがありゃ、どの部屋にも入れるんだよ」
使用人の男は、小さな鉤状の針金をコイントスのように指で弾くと、パシッと掌に受けた。
いや、使用人にしては口も素行も悪いようだが……。
「女の子の部屋をジロジロ見ないでよ! イヤらしいわね!」
「そんなことより、こいつ写真集まで出してんのかよ。本業はどうした、本業は?」
「いいじゃないの。素敵なんだから」
「けっ! 作り物みてえな顔しやがって、気持ちわりぃ」
「なあに、カゲ。僻んでるの?」
カゲ。それがこの男の名だ。
職業(?)は泥棒。
屋敷への侵入がバレて拘束されていたところを、ヒカリが気まぐれで雇ってしまったのである。護衛として。
……異を唱える者はない。
この屋敷では、「お嬢様の言うことは絶対」だ。
カゲはこの機に乗じてお宝をゲットし、サッサと逃げてしまおうと目論んでいるようだが。未だこの屋敷に留まっているところを見ると、計画は難航しているようである。
「もう! 着替えるんだから出てって!」
不機嫌なヒカリお嬢様である。ピアノ王子との夢を邪魔されたのが、余程お気に召さなかったとみえる。
食堂に向かって歩きながら、カゲが言った。
「なあ。この家って現金あんのか? やっぱジジイの部屋か?」
ヒカリは、これを華麗にスルー。
直接訊く方がどうかしてるのだ。
(仕方ねぇ、もっかい自力で調べるか)
財界のトップに君臨する胡桃沢家だ。現金以外にも、金になるものは山ほどあるだろう。
(こうして見ると、そう悪くはないのよね……)
一方のヒカリも、カゲの横顔を盗み見て考え事をしている。この屋敷に盗みに入った時はだらしなく不潔な印象であったが、こうして不揃いだった髪を整え、護衛用の黒服に身を包んでみると──。
悪くない。
シャープな輪郭。鋭い目元は、護衛としては頼もしくも見える。意外に綺麗な横顔を眺めながら、ヒカリはあの日のことを思い出していた。
──屋敷を汚されたくなければ、トイレ貸しな!
あの時カゲは、自分にナイフを突きつけてそう言ったのだった。内股の足は、仔鹿のようにプルプルと震えていた。
「……やっぱないわ」
一度地に堕ちたイメージは、二度と回復することはない。
(やっぱり奏斗様がいちばん素敵。カッコ良くて清潔感があって、言うこともやることも超スマートなんだもの)
カゲが突然踵を返した。
「な、どこ行くの?」
さっきの「ないわ」が聞こえたのかと、少々焦るヒカリお嬢様である。
「ヤボ用だ」
早速のトイレだ。
これでもまあまあ我慢した方である。
(この後、時間がないかもしれない……!)
護衛はお嬢様を学校へお連れし、さらにその後のお世話もしなくてはならない。その間のおトイレが心配だ。
お食事中の方、大変申し訳ない。しかし。
彼は尋常じゃないほどトイレが近く、とにかく日々大変な思いをしているのだ。
しかし、彼の尿意はある種のセンサーでもある。様々な危険を知らせるセンサーだ。盗みを実行する際には特に役に立つ。トイレを探して彷徨うことで、追手から逃れることも可能だ。実際、カゲは何度も自分の尿意に救われているのだ!
もっとも、ヒカリと出会った時にはセンサーの調子が少々狂っていたようだが──。
☆☆
広いダイニングに、ドラマや映画に出てくるような長いテーブルが鎮座している。
今朝は洋食だ。フワフワのパン、野菜スープにスクランブルエッグ、フレッシュジュース。一流ホテルから引き抜かれた料理長が、材料からこだわって腕を奮っている。
ところで。胡桃沢家では、主人も使用人も全て同じ食卓について食事を共にするのが慣例である。
当主・胡桃沢春平が、ヒカリの寂しさが少しでも紛れるようにと提案したのだ。
ヒカリの両親は、不慮の事故で亡くなっている。ヒカリが小学校へ上がった頃のことだった。
春平にとっては息子夫婦を失ったことになる。遺されたヒカリは大事な孫だ。あの事故以来、溺愛ぶりに拍車がかかっている。
「何だよ、朝っぱらからこの曲は? ここは地獄か」
後から入ってきたカゲが小指で耳を掘りながら、うんざりとした声を上げた。ダイニングルームには、先ほどからクラシック音楽が流れている。奏斗様のピアノ演奏を収録したCDである。
「お黙りなさい!」
既に席についているヒカリは、パンを片手にカゲを睨んだ。
「ねーえ、橋倉。この曲は?」
「フレデリック・ショパンの『練習曲第12番ハ短調作品10-12』。いわゆる『革命のエチュード』ですな」
例によって、万能執事が即答する。
「素敵だわ、奏斗様」
うっとりと目を輝かせるヒカリを、祖父の春平や使用人らは温かく見守っているようだが。
(茶番か)
激しく叩きつけるような音が降ってくるダイニングルームで、カゲ以外の全員が爽やかな表情でパンを食べ、スープを飲む。
芸術に疎いカゲは、クラシックなど聴いても眠くなるか暗くなるか、トイレに行きたくなるかのどれかだ。特に『革命のエチュード』の激しさは膀胱が急き立てられる。
(せっかくトイレ行ってきたのに!)
悪くない生活だったのに、とカゲは嘆く。早起きと護衛が面倒だが、美味い食事にありつける。
しかし、お嬢様がピアノ王子に目をつけて以来、頭の痛くなるようなピアノ曲ばかり聴かされるようになった。
(早いとこ金を引き出さねえと)
カゲがフレッシュジュースを一気に飲み干した時。屋敷内に、ドタバタと足音が響いた。
「会長!!」
脂ギッシュな中年男性が、大きな腹を揺すりながら走り込んで来た。春平は顔をしかめる。
「何じゃ、朝から騒々しい」
財界のトップに君臨する胡桃沢家は、多数の事業を手がける。しかし、春平が外へ出ることはほとんどない。実際に動いているのはこの脂ギッシュな中年男性、胡桃沢厚。ヒカリの伯父に当たる人物だ。
事故で亡くなったヒカリの父には姉と妹がいる。厚は父の姉、秋子の夫。婿養子である。名前の通り全身が分厚い。
「新しく立ち上げた警備会社の名前ですよ! お願いですから止めてください、『ペコム』なんて!」
厚の悲壮感漂う叫びは、ダイニングルームに流れるショパンの『革命』に妙にマッチしている。
「そんなことか」
春平は心底面倒くさそうに、海苔のように黒々とした髪を撫でた。
「おじいちゃん、また会社作ったの?」
「そうなんじゃよー。R警備保障が気に食わんから、儂が作っちゃった」
ヒカリには、とろけるような笑顔を向ける春平である。パリッとした白いシャツを着こなす春平は、『財界の鉄人』の異名に相応しく矍鑠としている。
春平とR警備保障の会長は、何故か昔から折り合いが宜しくない。恩を売るためにR警備保障を利用していたものの、気に食わなくて警備システムを切ってしまったのである。
今、泥棒がこの屋敷で平然と過ごしているのは、ジジイ同士の喧嘩が原因であった(◇泥棒編◇参照)。
「ヒカリちゃんからも言ってくれ! 『ペコム』なんて軟弱な名前」
「『ペコム』っていうの? カワイイよ、おじいちゃん。キャラクターとかを作ってみたら?」
ヒカリが身を乗り出すと、春平は「そうじゃなあ」と相好を崩す。
「警備会社の名前なんだよ……?」
もう、誰も厚の話を聞いていない。
絶望的な響きをもって、ショパンの『革命』が終わりを告げた──。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話
釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ガダンの寛ぎお食事処
蒼緋 玲
キャラ文芸
**********************************************
とある屋敷の料理人ガダンは、
元魔術師団の魔術師で現在は
使用人として働いている。
日々の生活の中で欠かせない
三大欲求の一つ『食欲』
時には住人の心に寄り添った食事
時には酒と共に彩りある肴を提供
時には美味しさを求めて自ら買い付けへ
時には住人同士のメニュー論争まで
国有数の料理人として名を馳せても過言では
ないくらい(住人談)、元魔術師の料理人が
織り成す美味なる心の籠もったお届けもの。
その先にある安らぎと癒やしのひとときを
ご提供致します。
今日も今日とて
食堂と厨房の間にあるカウンターで
肘をつき住人の食事風景を楽しみながら眺める
ガダンとその住人のちょっとした日常のお話。
**********************************************
【一日5秒を私にください】
からの、ガダンのご飯物語です。
単独で読めますが原作を読んでいただけると、
登場キャラの人となりもわかって
味に深みが出るかもしれません(宣伝)
外部サイトにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる