短編集

キツナ月。

文字の大きさ
上 下
10 / 11
② 北国の春

つづく

しおりを挟む

 松造しょうぞうは、庭に出て草をむしっていた。玄関近くに松が植えられ、小さな畑には菜の花、奥に柚子の木。三色スミレも咲いている。

 妻の花が亡くなって一週間。手続きに追われる日々の中、こんな時間は久しかった。これが「人が一人居なくなる」ということなのだ。

 老老介護の当事者になった。
 彼は、介護する側だった。
 
 妻の介護から解放されたい。
 そんな思いを抱いたことはない、と言えば嘘になる。

 それでも、妻のいない生活は何とも言えず空虚だった。

 花と、冗談でこんな話をしたことがある。残されるより先に逝く方が得だと。

 「お母さん、上手いことやったな」

 傍らに、笑ってくれる人はない。
 遺影は、朗らかに笑いかけてくるのみだ。

 花は写真を撮るとき、変に構えることがなかった。

 「元が元や。取り繕うてもしゃあないわ」

 そんな風にぼやいていたが、構えることがない分、自然な笑顔で撮れているものが多かった。

 しかし、遺影が軽口を返してくれることはない。
 これには未だ慣れることができず、寂しさが彼の胸を塞いだ。

 四十九日の準備や訪ねてくれる者への対応で、今は忙しい日々だ。本当の寂しさは、もっと後にやって来るのかもしれなかった。

 花が好んでいた歌が口をついた。何気なく耳に入れていただけだが、けっこう歌えるものだ。


 人の気配がした。
 孫の菜々美と同年代と思しき女性が、門の外に足を止めている。

 「すみません。知った歌が耳に入ったものですから」

 「ああ。若いのによう知ったるなぁ」

 涙声の歌を聞かれたことが気恥ずかしく、松造は努めて明るく立ち上がった。

 「ええ。ある人に教えてもらって。こんな日にピッタリの歌ですね」

 スーツ姿の女性は大きなビジネスバッグを肩に掛け直し、空を仰ぐ。

 「ここ、北国でもないけどな」

 松造の軽口に、女性はアハハと笑った。


 ──細かいこと言いなや。ええやんか、好きやねんから。


 花の声が、聞こえた気がした。

 会釈をして、女性が歩き出す。松造は庭仕事に戻った。ふと顔を上げると、女性の姿は既に消えていた。


 《了》


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...