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第一部おまけ

オニキス01.リリエンソール渓谷の戦い・上

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※20話以降21話あたり

 誇り高きシスル王国の騎士は戦場を前に嘆いていた。厳しい訓練を経て叙勲を受けたにも関わらず、本来の役目を果たすことが出来ないからだ。それどころか全く真逆といってもいい事をしている。

「まったく……帝国への堤防であるはずのシスル王国軍俺たちが、な~んで守るべき聖王国に攻め込まなきゃなんないのかね」
「仕方ないだろう、俺たちは一介の軍人に過ぎん。上が決めたことに従わねばならない」

 初動は気付かれることなく手早さを重視したが、今ではローレッタ聖王国に攻め込みだいぶ時間が経っている。我らの現在地は佳境ともいえる王都の手前――リリエンソール渓谷だ。しかしこの要所の攻略に我がシスル王国軍は手を焼いていた。

 ローレッタ聖王国の北方に位置するリリエンソール渓谷は、その名の通りリリエンソール公爵家の領地にある。ここを進軍するにはどうあっても隊列が細長くなり、陣形が崩れてしまう時間のほうが長い。しかも左右には切り立った断崖があり、上から魔法や弓による一方的な攻撃を受ける危険をはらんでいる。
 ただでさえ死角となる岩場が多くあるため、伏兵を配置しやすい地形なのだ。地の利は相手にある以上、慎重に兵を進める必要も出てくる。

 リンデン帝国に降っている連合軍の目的は、このリリエンソール渓谷の突破だ。前線ではさっそく罠にかかっているようで、悲鳴と怒号がひっきりなしに聞こえてくる。

 物見の報告によると敵軍の中に、かの有名な氷の魔女ミシェルを発見したというものがあった。彼女はその美しい容姿と、新たな氷魔法を開発したという功績で大陸中にその名を知られている賢者セージだ。
 ローレッタ聖王国の大貴族――リリエンソール公爵家の令嬢という、何不自由ない環境に生まれたことを最大限に生かしたのだろう。魔道の研究には豊富な知識と莫大な予算が必要になると、宮廷魔術師たちが話していたのを覚えている。

 しかしまさか、ここで目当ての人物である氷の魔女が登場するとは思ってもみなかった。今日の私は運がいいのかもしれない。だが問題はどうやって氷の魔女に接近するかだ。まずは彼女が布陣していると思われる場所を確認する。

 ローレッタ軍の布陣は入り組んだ渓谷の一番奥――本陣にはリリエンソール公爵であり、軍師ストラテジストのモンタギューが居るとみて間違いないだろう。
 先日交戦した部隊には聖騎士の団長が居たが、あれからそう時間は経っていない。壊滅に近い状態まで追い込んだので、少なくともあの部隊が立て直せるのはこちらが王都アヴァロンに辿り着いた頃だろう。この場には居ないと見て、まず間違いない。

 そしてこちらから見て左舷にあたる断崖上に、おそらく氷の魔女が率いる中隊が布陣している。右舷にも魔導士と弓兵の混成部隊が配置され、進軍経路である前方には重騎士ホプリテスを主力に置いた防衛線が幾重にも張り巡らされている。その後衛にも配置されている弓兵からは攻撃がひっきりなしに続いていた。

 国境を突破するにさいして少々非道な手を使ったが、これも最速で制圧するためだ。戦争の長期化は自軍にも敵軍にも損害が多くなり、普通に暮らしている民たちには苦しい生活を強いることにもつながる。これが普通の侵略戦争であれば、戦利品の減少など旨みが無くなる。

 だがこちらが侵攻を早めた甲斐あって、落石計の準備はさほど整えられなかったようだ。視認できる範囲に巨岩はそう多く見られない。なので警戒すべきは近くの川を利用した水計のほうだろう。地の利がない我らにはこれが一番恐ろしい攻撃になる。

「オニキス将軍、如何される?」
「突撃するにも左右の崖にいる部隊が邪魔ですね。だが遅れてくるマグノリアに手柄を渡すわけにもいかない。隊を分けてそれぞれ攻略するのが最善か……。オブシディアン将軍はこのまま本隊の指揮を。ジェイドの隊は右舷崖上の部隊、私とヘリオドールの隊で左舷崖上の部隊を叩く」
「そうなると、こちらの動きは――」

 この大隊の指揮官は私であるが、この参謀――オブシディアンは私にとって良い相談役でもある。一回りは年上の彼は、男爵家生まれの私から見ると家格も遙かに上だ。
 しかしシスル王国軍は家柄など重視せず、実力のみで評価を下すのが建国以来のしきたりだ。しかし恥ずべき事に、近年では裏金などで将軍の位を手に入れる者が増えてきたのも事実である。
 ローレッタ聖王国の腐敗に比べれば可愛らしいものなのだが、命がけの戦場で部下のことを考えない上司など迷惑以外の何ものでもないのだ。

「氷の魔女は生け捕りにするんですよね?」
「ああ、出来る限り丁重に扱ってくれ。彼女には頼みたいことがある」

 このヘリオドールという魔導騎士マギナイトは、少し言動に軽い物はあるが根は真面目な男だ。そして我が大隊のムードメーカーのような存在でもある。太陽のように眩しい笑顔に釣られ、思わず笑顔になったことが幾度もあった。
 雷の魔法を得意としていて、魔法による攻撃を苦手とする者が多い我が隊にとっては彼の中隊が命綱にもなる。

「りょーかい。でも将軍が口説いたら案外落ちませんかね?」
「お前は何を言っているんだ」

 やれやれ、といった様子でヘリオドールの軽口を流しているのはジェイドという聖騎士パラディンだ。彼は特に目立った身体能力は無いのだが、バランスの良いステータスと生来の器用さで数々の戦場を共に駆けてきた仲間である。
 しかし『口説く』か。いままで考えたこともなかったが、相手が異性だからこそ出来る策ともいえる。歴史の中でも異性に誑かされ破滅した権力者なども一定数いたのだから、案外現実的な策なのかもしれない。

「だってさ、ジェイドもみたことあるだろ? 夜会で女性たちの視線と人気を独り占めにしてるオニキス将軍」
「たしかによく見る光景だがな。相手はローレッタ聖王国の大貴族だぞ? 並大抵の男では、真冬の我が国以上に冷たい視線で一瞥されて終わるとかなんとか……」
「だからこそだって。聖王国の貴族じゃ将軍ほどの男なんて見たことないだろうし」

 確かに私は実家であるカクタス男爵家の人間としてや、一人の騎士として夜会など華やかな場に顔を出すことがあった。正直、そういった場は苦手だ。だがこれから先――メテオライト王子が帰還した時のことを考えると、必要な人脈を作るには避けて通れなかった。なので愛想笑いを顔面に張り付けて参加したものだ。
 その時に貴族のご婦人方から熱の籠もった視線を浴びせ掛けられる――というのはよくあることであった。私はこのままいけば騎士団の政争を勝ち抜き、未来のシスル王国軍トップになるであろう男だ。見初められようと熱い視線を投げつけてくる女性の数など多すぎて数える気も起きなかった。

「はあ……試すだけだぞ?」
「オニキス将軍!?」
「私とて、それでミシェル嬢が降ってくれる――などとは思っていない。だが戦場で敵に口説かれるなど予想だにしないだろう? 意表を突くのに丁度いいと判断しただけだ」

 私がヘリオドールの案を吞んだのが意外だったのか、珍しくオブシディアンが普段は冷静すぎて眉一つ動かない表情を崩した。だが意表を突き捕らえるためだといえば納得したのか、どういった言葉で気を引くか効率的な案を出してくる。
 オブシディアンは名門ミスルトー侯爵であるが、この家は少々特殊な家だ。紆余曲折があった上で婿養子であった彼が乗っ取る形で現在に到っている。人心を動かすその手腕がここでも役に立ちそうだ。

 彼ら三人には私の持っている前世の記憶を掻い摘んでだが話してある。酒の席だったので最初は冗談半分に聞いていた彼らだが、次第に理解を示してくれるようになっていた。今では私の計画に無くてはならない存在となっている。

「これより進軍を開始する。私に続け!」

 部下たちに檄を飛ばすと愛馬を駆り戦場を進む。周囲の魔導士たちの魔法が発動するよりも早く接近し槍で貫きながら、指揮官である氷の魔女ミシェルのもとを目指した。

 ローレッタ聖王国の北方に位置するこの地は、緑が多いこの国では珍しい乾燥地帯だ。もう少し南下すれば他の地とさして変わらぬ程度の緑に包まれている。馬が足を痛めないよう慎重かつ迅速に移動するには、ごつごつとした岩や断崖から落下してきたのであろう倒木が邪魔でしかない。
 しかし敵地に入ってきた以上は資源を無駄にできない。今乗っているこの青毛の馬も私のイメージカラーである『黒』に合わせたのだ。軍馬の調教というのも手間と時間が掛かるので、ここで失うわけにもいかない。
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