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第一部

第五十話 歴史より消された名

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 ひんやりとした空気が漂う隠し通路を下っていくと、今にも朽ち果てそうな木の扉が視界に入った。
 扉の向こうには特に気配はなく、崩れないように慎重に開くと室内には簡素なテーブルや椅子に蔵書の詰まった書棚があり、埃の積もった寝台の上には白骨化した遺体が転がっていた。

「一体どなたかしら……?」

 故人を悼むために祈りを捧げた後、ミシェルは遺体の検分を始めた。
 ボロボロになってはいるが身に着けている衣服は上等なものだと察しが付くし、豪華な首飾りなど高価な宝飾品が見て取れる。

「日記があるよ。その人のものじゃないかな?」

 テーブルの上に置かれたままになっている紐で括られただけの本は、表紙に何らかの文字が書かれているのだが、先日みた氷竜族の文字とも違ったものだった。

「読めるのか?」
「うん。これは神竜族の文字だね。氷竜族の文字は前世でいうところのルーン文字に近いんだけど、こっちはギリシャ文字に近いかな。まぁ、前世じゃあまり馴染みはないだろうけど」

 お師匠様古の魔女に習ったからね~と付け足し、メテオライトは日記を読み進める。
 神竜族の文字という事は俺の持つ聖剣に刻まれているものと同じだが、ローレッタ文字とは形が違い過ぎて読めそうにない。

「レテさんという方の日記みたいですわね」
「ミシェルも読めるの?」
「ええ。私もお師匠様マーリンに教わりましたもの。あまり古い言い回しでなければ読めるはずですわ」

 横から日記を覗き込み内容を確認したのかミシェルが声を上げる。レテという名は原作には全く登場していない未知の名だ。
 しかしここに居たという事はリリエンソール公爵家に所縁のある人物なことに間違いなさそうだ。だがそれならばミシェルが名前くらい知っていそうなものなのだが、彼女の様子からして心当たりはなさそうだ。

「ふ~ん。それじゃあ、どこまで読めるか僕が採点してあげようか?」
「よろしいですわよ。完璧に解読してぎゃふんと言わせて差し上げますわ」

 パラパラとページをめくり一通り内容を頭に入れたのか、メテオライトは日記をミシェルに差し出す。
 今はそれどころではないというのに、ミシェルも賢者セージとしてのプライドを刺激されたのか乗り気だ。

「文章は一般的な神竜族の文法ですわね。単語も日常的なものばかりみたいですし、これなら問題なく読めそうですわ」

 日記を開きミシェルは翻訳したものに読み上げていく。読み上げる声は詰まったりすることもなくすらすらと進み、レテという人物がなぜこの場所に居たのかが記されていた。

 レテはリリエンソール公爵家の夫人で、夫の名はスヴェル――神話の時代にその名をはせた初代リリエンソール公爵である。
 レテは神竜族と人間の混血児だったのだが、神竜族がこの地を離れる際に置いて行かれてしまったらしく、しばらくは帝国の奴隷として生活していたそうだ。
 そんな彼女を奴隷の身分から解放したのが聖王リーヴたちで、スヴェルとはこの時から親しくしていたようだ。
 日記には彼女たちの馴れ初めや、どのような話をしどのような感情を覚えたかが事細かに記されており、一種の恋愛小説のようでもあった。

 日記の内容は日付が飛んでいるものもあったのだが、レテと同じ境遇である古の魔女とのやり取りや、この大陸には神話としてしか残っていない聖王リーヴたちの人となりなどが記されている。
 そして終盤のページに差し掛かったところで、彼女がなぜこのような場所で一人朽ち果てているのかという理由が記されていた。

 竜族と人間の混血児は寿命が長い。しかし竜族には届かず、人間とは同じ時間を生きることができないのだ。
 最初は受け入れた公爵家の人間たちも、長い年月を老いることなく生きる彼女へ次第に恐れをなすようになる。夫であるスヴェル亡き後は居場所を失ってしまったレテは、かつて自身が扱っていた神氷ブリュンヒルドと夫の思念が宿る神弓シグルドリーヴァが封じられたこの地に逃げるようにやってきたそうだ。
 彼女の名前が公に残っていない理由はおそらく、長い歴史の中で公爵家の者たちが記録から抹消していったのだろう。
 混血児たちに流れる竜族の血は交配を繰り返すうちに薄まっていき、五百年もすれば完全に中和され寿命も普通の人間と同じくらいになるそうだが、これまでにローレッタ大陸で起こった亜人種への迫害などを考えるとレテの悲嘆は察することができる。

「あの方は私の祖先でしたの……?」
「うん。実はお師匠様から聞いて前から知ってはいたんだけど、実際にミシェルに確認してほしかったんだ」

 ミシェルが寝台の上の亡骸――レテの手を取ると、彼女の左手薬指に指輪がはめられていることに気が付いた。
 小さいが美しい瑠璃を填め込んだ上品なデザインの指輪で、リングの部分にはリリエンソール公爵家の紋章が刻まれている。

「結婚指輪だな」
「ええ。レテさまの宝物ね」

 填め込まれている瑠璃はスヴェルの瞳と同じ色をしているのだろう。同じ時を生きることができなかった夫から貰った、夫の瞳を思い出させる指輪は彼女の孤独を癒す唯一のものに違いない。
 ミシェルはそっとレテの手を胸のあたりで組ませてやると、身に着けていた花の髪飾りを彼女の手に持たせた。

「きちんとしたお花は後日お持ちいたしますわ。それまでは、どうかこちらで」

 祈りを捧げ彼女の魂を慰めると、俺たちはこの部屋に隠されている神氷を探す。
 日記の最後に書かれているのは『牙』『智慧の園』の二つだ。おそらくこれがヒントとなっている。

「『智慧の園』はこの部屋の中だと書棚で間違いなさそうだけど『牙』って何かしら?」
「何かの比喩かもな。牙、牙なぁ……」

 とりあえず書棚は間違いなさそうなので本を押してみたり、棚から全て取り出して細工を探してみたりするが何も見つからなかった。
 ならばという事で書棚を男二人で動かしてみると、剣の形をしたレリーフが現れた。

「何かしら? リリエンソール公爵家の血筋では開かないみたいだけど」
「『牙』ってこれのことなのか? この形に合う剣を填め込むとか、そんな感じなんじゃないか?」

 これはこの部屋をひっくり返して剣を探す必要があるのだろうか。
 ここまでの道中では剣など何処にも設置されていなかったし、あるとしたらこの部屋の中しかない。
 故人が眠るこの場所をあまり荒らしたくはないが、探し回るとなるとそれなりに埃も立つだろう。どうしたものか。

「なに言ってるの? エリアスが持ってるじゃない」
「はぁ?」
「神竜テミスの『牙』からできてるでしょ、その聖剣」

 そんなまさかと思いつつ、俺は聖剣を鞘から抜き放つ。
 レリーフの形と俺の持つ聖剣を見比べると、確かに同じ形をしていた。
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