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負債 ※

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「どうか、もう少し待ってもらえませんか……女房も身体を悪くして、今は働ける状態じゃなくて……」
 煤けた壁に囲まれた室内で、見るからに生活の疲れをうかがわせる中年男が、震える声で言った。
 彼の言葉に、年の頃は二十歳前後の、人が好さそうな顔立ちの青年は、困惑した表情を見せた。
「そうは言われても、俺も仕事なんでね……期限は今日なんだ」
 そう言いながらも、青年――テオは、目の下にくまを作った中年男を前にたじろいだ。
「逆さに振ったって何も出てきやしませんよ……今日食べるものすら買えないのに、支払いに回せる金がある筈ないでしょう……」
「……分かった。また日を改めて来る……今回だけだぞ」
 テオが言うと、中年男は何度も頭を下げた。
「ありがとうございます……本当に、すみません……」
 踵を返したテオは、軋む扉を開けて外に出た。
 既に陽は傾き、昼間でも薄暗い裏通りには、夜のとばりが降りようとしている。
 ――また、やってしまった……ベルタ嬢、怒るだろうな……
 とぼとぼと歩きながら、テオは溜め息をついた。
 彼、テオ・クラッセンは、一応は男爵の爵位を持つ「貴族」だ。 
 もっとも、男爵家とは名ばかりで、先刻、テオが借金の取り立てに訪れていた中年男の家とも大差ないかもしれない。
 テオの父である先代クラッセン男爵は、「うまい話」があると言われて投機に手を出した結果、屋敷や財産のほとんどを失ったばかりでなく、多額の借金を作ってしまった。
 失意のうちにやまいで急死した父に代わって、テオは爵位を継いだ。
 しかし、それまで学生として過ごしていた彼に傾いた家を建て直す力は無かった。
 この国の貴族には、爵位に合わせて年金が支給されるものの、借金まみれの男爵家に対しては焼け石に水だ。
 おまけに、テオには、まだ学校へ行かなければならない年齢の妹がいた。
 妹が嫁ぐまで、何としても家を支えなければならない――歯を食いしばり、金策に駆け回るテオだったが、心身ともに限界を迎えつつあった。
 そんな彼に「救い」の手を差し伸べたのは、ベルタ・マウアー子爵令嬢だ。
 ベルタの父、マウアー子爵は高利貸しをしていたが、テオの父である先代クラッセン男爵は、子爵からも多額の借金をしていた。
 だが、マウアー子爵は、心臓を患っている為、今は人前に出られる状態ではなかった。
 父に代わって家のことを取り仕切るようになったベルタは、先代クラッセン男爵の借金の利子を減らす代償として、テオに自分の手足となって働くことを要求した。
 背に腹は代えられないと、テオはベルタに従わざるを得なかった。
 借金の取り立てや、その他の雑用をこなせば、小遣い程度ではあるがベルタから現金を渡された。
 僅かではあっても、それはテオと妹の暮らしにとって、もはや必要不可欠なものだった。
 しかし、最初は慈悲深く見えたベルタが、徐々に本性を表すようになった。
 生来の優しい気性から、債務者たちへの取り立てが生ぬるくなりがちなテオに対し、ベルタは、彼の働きが悪ければ、妹を使う手もあると言い出した。
 ベルタと関わるうちに、彼女の取り巻きには、裏社会に繋がりのある、よからぬ連中も含まれていることを、テオも知っていた。
 そのような状況で、妹を「使う」というのが、如何なる意味なのか――そう考えたテオは身の毛のよだつ思いだった。
 両親を亡くし、もはや妹だけが生きる糧となっているテオにとって、それは死刑宣告にも等しかった。
 ――それなのに……今日も借金を取り立てられない債務者が……一体、どうすれば……
 更に、最近のベルタは不機嫌なことが多く、それもテオの不安に拍車をかけていた。
 思えば、あの日――エーデルシュタイン伯爵の婚約発表会に出席したという日から、ベルタの様子が変わったように、テオには思えた。
 家が傾き、社交界からも遠ざかっているテオにとって、その理由は知る由もなかった。
 いずれにせよベルタの機嫌一つで自分と妹がどうなるか分からない状況には違いないのだと、彼は暗澹たる気持ちになった。

「――それで、おめおめと帰ってきたという訳?」
 マウアー子爵の屋敷で、テオから取り立ての報告を聞いたベルタは、彼の想像通り、不機嫌そうな表情を見せた。
「だが、無いものは取り立てようがないし……」
「そんな言葉、信じてどうするのよ。ああいう連中は、お金を返さなくて済むなら何とでも言うのよ。本当、あなたって使えないわね。妹の方が役に立つんじゃないかしら」
 俯いて弁解しようとするテオの言葉を、ベルタは冷たく遮った。
「……お、俺は何でもするから……だから、妹にだけは手を出さないでくれ」
 恐ろしくなったテオは、必死に訴えた。
 彼の、何でもする、という言葉を聞いたベルタの目が、ぎらりと光った。
「何でもするのね?」
 ベルタが、テオの目を見据えた。
「そうね……あなたにやって欲しい仕事があるの。成功すれば……あなたの家の借金を帳消しにしても構わないわ」
「帳消し……?!」
 突然の申し出に、テオは混乱した。
 だが、借金が帳消しになれば、妹にも、もっとましな生活をさせてやれる、ただそれだけを思った。
「分かった。話を聞かせてくれ」
 テオの返事に、ベルタは妖しい微笑みを浮かべた。
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