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別邸にて
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モルゲンシュテルン家は辺境伯として代々国境付近の守りを担っている。
中央からは離れているが、大きな権限を認められた有力貴族だ。
クラリッサから見れば、雲の上の存在と言える。
「普段は自分の領地にいるんだが、こうして用事で王都に来ることもあってな。空いた時間で、一般人のふりをして街中を見て歩くのが好きなんだ」
「別邸」へ向かう馬車の中で、ユストゥスが自分について語った。
「そういえば、君の名を、まだ聞いていなかったな」
「……クラリッサと申します。私の父は、レハール子爵です。最近、父が亡くなりましたので、家督は長兄が継ぎましたが」
クラリッサは緊張した面持ちで、ユストゥスの問いに答えた。
「レハール子爵か。お名前は存じていた。代替わりしたことで、何か揉め事が起きたということか」
ユストゥスの洞察力に驚きつつ、クラリッサは自身の事情を話した。
父の正妻と、その子供たちに疎まれていたこと、父が亡くなってからは、あからさまに嫌がらせをされ、讒言により婚約者まで奪われたこと――
「想像以上に酷いものだったか……聞いた通りであれば、君を実家に帰すのは得策ではないな」
クラリッサの話を聞いたユストゥスは眉を曇らせた。
「もう、あの家に私の居場所はありませんので……」
他人に説明したことで、改めて、クラリッサは自身が寄る辺なき者なのだと強く自覚した。
「なに、それなら、身の振り方が決まるまで、俺のもとにいればいい。君一人くらいを置いておく程度の余裕はある」
「そんな……私のような者を……」
「かよわい女性を放り出したままにしておくのは、俺にとっても気分いいものじゃあない。俺の我儘だと思えばいいさ」
俯くクラリッサを力づけるかのように、ユストゥスが微笑んだ。
やがて、馬車はモルゲンシュテルン家の「別邸」へ到着した。
「狭いところだが、くつろいでくれ。王都に来た時は、ここに滞在しているんだ」
怪しげな黒衣から、透かし編みの施されている優雅な部屋着に着替えたユストゥスが言った。
豪華な応接間で、ゆったりと長椅子に座っている彼の姿は、正に生まれながらの貴公子といった風情である。
クラリッサも、湯浴みを済ませ、荷運び用の馬車に隠れていた為に汚れた衣服も、借りたドレスへ着替えていた。
父が亡くなってから実家では放置され、身の周りのことは自分でしなければならなかった彼女にとって、隅から隅まで使用人たちに世話を焼かれる感覚は久々のものだった。
――狭いところだなんて、ここは別宅だと聞いたけれど、実家の屋敷よりも立派なくらいだし、使用人の数も少なくはない……
圧倒されているクラリッサの前に、「じいや」こと執事のコンラートが、茶の注がれた茶碗と、茶菓子の載った皿を恭しく置いた。
茶碗から立ち昇る、茶葉の芳しい香りも、この家の格の高さや豊かさを物語っている。
「冷めないうちに飲んでくれ。じいやの淹れる茶は旨いぞ」
自らも茶碗を手にして、ユストゥスが言った。
熱い茶の良い香りと芳醇な味わいに、クラリッサの緊張も解れていくようだった。
「そのドレス、よく似合っているな。古着で悪いが、後で新しいものを誂えさせよう」
「そんな、勿体ないです……」
これまでになく丁重に扱われて恐縮するクラリッサを、ユストゥスが優しく見た。
「俺とコンラートは、明日になったら領地へ戻る予定だが、君も連れていくということで構わないか? 王都で暮らしたいのであれば、ここに残るという選択肢も一応ある」
彼の言葉に、クラリッサは一瞬迷った。
モルゲンシュテルン家の領地は、国境付近、つまり中央からは離れている。生まれ育った家から出たことなど数えるほどしかないクラリッサにとっては、地の果てに等しく遠いところだ。
しかし、どうせなら実家から離れて完全に縁を切ってしまったほうが良いかもしれないと、彼女は思った。
「わ、私も、ユストゥス様に同行させていただきたく思います……」
クラリッサが答えると、ユストゥスは、分かったと言うように頷いた。
その後、クラリッサは、やはり豪華な食堂で夕食を振舞われ、彼女の為に用意された客間へ案内された。
実家で宛てがわれていた部屋よりも、ずっと広い部屋には、天蓋の付いた大きな寝台が置かれている。
「御用の際は、この呼び鈴で、いつでもお呼びください」
クラリッサを案内してきた使用人は、そう言って部屋を後にした。
精緻な模様の織り込まれた窓掛けを少しだけ開けて、クラリッサは外を覗いてみた。
夜も更け、暗くなった空には、無数の星が輝いている。
――自然が、こんなに美しいものだということも、ずっと忘れていたような気がする……
瞬く星を浮かべた夜空に、彼女は、ふとユストゥスの黒い瞳を思い出した。
クラリッサを見る、彼の目には、他の男たちのような猥雑さが感じられなかった。
ユストゥスがクラリッサに救いの手を差し伸べたのは、彼の親切心の表れなのだろう。
――だから、傍にいても怖くなかった……あの方の傍にいると、何故か安心できる……
クラリッサは、実家にいた時には得られなかった安らぎに包まれていた。
中央からは離れているが、大きな権限を認められた有力貴族だ。
クラリッサから見れば、雲の上の存在と言える。
「普段は自分の領地にいるんだが、こうして用事で王都に来ることもあってな。空いた時間で、一般人のふりをして街中を見て歩くのが好きなんだ」
「別邸」へ向かう馬車の中で、ユストゥスが自分について語った。
「そういえば、君の名を、まだ聞いていなかったな」
「……クラリッサと申します。私の父は、レハール子爵です。最近、父が亡くなりましたので、家督は長兄が継ぎましたが」
クラリッサは緊張した面持ちで、ユストゥスの問いに答えた。
「レハール子爵か。お名前は存じていた。代替わりしたことで、何か揉め事が起きたということか」
ユストゥスの洞察力に驚きつつ、クラリッサは自身の事情を話した。
父の正妻と、その子供たちに疎まれていたこと、父が亡くなってからは、あからさまに嫌がらせをされ、讒言により婚約者まで奪われたこと――
「想像以上に酷いものだったか……聞いた通りであれば、君を実家に帰すのは得策ではないな」
クラリッサの話を聞いたユストゥスは眉を曇らせた。
「もう、あの家に私の居場所はありませんので……」
他人に説明したことで、改めて、クラリッサは自身が寄る辺なき者なのだと強く自覚した。
「なに、それなら、身の振り方が決まるまで、俺のもとにいればいい。君一人くらいを置いておく程度の余裕はある」
「そんな……私のような者を……」
「かよわい女性を放り出したままにしておくのは、俺にとっても気分いいものじゃあない。俺の我儘だと思えばいいさ」
俯くクラリッサを力づけるかのように、ユストゥスが微笑んだ。
やがて、馬車はモルゲンシュテルン家の「別邸」へ到着した。
「狭いところだが、くつろいでくれ。王都に来た時は、ここに滞在しているんだ」
怪しげな黒衣から、透かし編みの施されている優雅な部屋着に着替えたユストゥスが言った。
豪華な応接間で、ゆったりと長椅子に座っている彼の姿は、正に生まれながらの貴公子といった風情である。
クラリッサも、湯浴みを済ませ、荷運び用の馬車に隠れていた為に汚れた衣服も、借りたドレスへ着替えていた。
父が亡くなってから実家では放置され、身の周りのことは自分でしなければならなかった彼女にとって、隅から隅まで使用人たちに世話を焼かれる感覚は久々のものだった。
――狭いところだなんて、ここは別宅だと聞いたけれど、実家の屋敷よりも立派なくらいだし、使用人の数も少なくはない……
圧倒されているクラリッサの前に、「じいや」こと執事のコンラートが、茶の注がれた茶碗と、茶菓子の載った皿を恭しく置いた。
茶碗から立ち昇る、茶葉の芳しい香りも、この家の格の高さや豊かさを物語っている。
「冷めないうちに飲んでくれ。じいやの淹れる茶は旨いぞ」
自らも茶碗を手にして、ユストゥスが言った。
熱い茶の良い香りと芳醇な味わいに、クラリッサの緊張も解れていくようだった。
「そのドレス、よく似合っているな。古着で悪いが、後で新しいものを誂えさせよう」
「そんな、勿体ないです……」
これまでになく丁重に扱われて恐縮するクラリッサを、ユストゥスが優しく見た。
「俺とコンラートは、明日になったら領地へ戻る予定だが、君も連れていくということで構わないか? 王都で暮らしたいのであれば、ここに残るという選択肢も一応ある」
彼の言葉に、クラリッサは一瞬迷った。
モルゲンシュテルン家の領地は、国境付近、つまり中央からは離れている。生まれ育った家から出たことなど数えるほどしかないクラリッサにとっては、地の果てに等しく遠いところだ。
しかし、どうせなら実家から離れて完全に縁を切ってしまったほうが良いかもしれないと、彼女は思った。
「わ、私も、ユストゥス様に同行させていただきたく思います……」
クラリッサが答えると、ユストゥスは、分かったと言うように頷いた。
その後、クラリッサは、やはり豪華な食堂で夕食を振舞われ、彼女の為に用意された客間へ案内された。
実家で宛てがわれていた部屋よりも、ずっと広い部屋には、天蓋の付いた大きな寝台が置かれている。
「御用の際は、この呼び鈴で、いつでもお呼びください」
クラリッサを案内してきた使用人は、そう言って部屋を後にした。
精緻な模様の織り込まれた窓掛けを少しだけ開けて、クラリッサは外を覗いてみた。
夜も更け、暗くなった空には、無数の星が輝いている。
――自然が、こんなに美しいものだということも、ずっと忘れていたような気がする……
瞬く星を浮かべた夜空に、彼女は、ふとユストゥスの黒い瞳を思い出した。
クラリッサを見る、彼の目には、他の男たちのような猥雑さが感じられなかった。
ユストゥスがクラリッサに救いの手を差し伸べたのは、彼の親切心の表れなのだろう。
――だから、傍にいても怖くなかった……あの方の傍にいると、何故か安心できる……
クラリッサは、実家にいた時には得られなかった安らぎに包まれていた。
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