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第一部
epilogue 騎士に至りて
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春も進み、少しだけ夏が顔を覗かせていた。
気温は安定しているが、どこか湿っぽさがあり、農作業から帰って来る村人は汗ばんでいるときもある、そんな状況。フリストレールの夏は暑いが、その到来はまだ先の話のようだ。
青空の下、私は監視塔の上で佇んでいた。
村の入り口付近に設置された、ヤグラよりも少し頑丈な石造の建築。初めは木で組まれていたものだが、それを土で塗り固めて今は立派な塔としてカルムに鎮座している。
階段も備え付けられており、そこから上り下りをして任に就く。私が村の門番をするときに立つ場所であり、ここで村に出入りする者や訪ねて来る者を監視している。
早朝から立ち、時刻はそろそろ昼になろうとしていた。
そんな中、こつこつと土壁の塔を叩く音が一つ。
「騎士様」
薄緑のカーディガンに薄茶色のスカート。とても春めいた装いの、しかし手にはしっかりと得物を握り締める長鎗の彼女だった。彼女はすたすたと階段を上ってくると、そのまま私の隣に並ぶ。
「お疲れ様でございます、リーデ様」
「お疲れ様です、騎士様。そろそろお昼ですよ」
にこりと微笑む。
花が咲いたような、柔らかな笑い方だった。
「了解しました。……少しここを任せてもよろしいでしょうか」
「えぇ、もちろんです」
昼時のとある用。それを理由にこの場所を託すと、彼女は快く請け負った。要件は長鎗の彼女も認知している事で、すぐに頷いたのは、つまりはそういう理由である。
私情のため、心苦しく思う。
後ろめたさを引き摺りながら、石段を下りる。一人通れば埋まってしまうほどの、細長い階段。
「騎士様」
後ろから聞こえた声に、耳を引っ張られる。
「よろしかったのですか」
長鎗の彼女は鈴のような涼しい小さい声で言った。別に大きい声でするような話ではないからだ。
「何がでしょうか」と返事はしたが、その意味は分かっていた。
今後村の騎士として在るためには明らかに、私の選択は愚かしい。きっと、頷いてくれる者はいないだろう。
「分かっているでしょう、それでも騎士様は選択するのですね」
同意するように頷く。
不本意だったとはいえ、歌うたいはカルムに夜盗を招いてしまった。本人は接近させただけと言ってはいたが、それが襲撃に繋がってしまったのは事実である。従って彼女を処断、或いは追放するのが一般的な判断だろう。一応、私にはその権利がある。
そうしたほうが早いのだ、私が罪から逃れるには。しかし、その選択はしなかった。
私がここで騎士として責務を果たすためには、そして彼女に償うには。そうするべきだと、私が選択した。
ただロラは分からないが、きっと長鎗の彼女は同意したわけではないのだろう。あくまで黙っているだけ。もし、もう一度彼女が事を起こしたのなら、今度こそ歌うたいを殺さなければならない。
そして、私も人ではなくなるだろう。
「ですが」
考えに耽っていると、長鎗の彼女がぽつりと呟く。
「私も興味があります。その先に何があるのか。それに、あなたが何者なのかも」
軽く右頬だけに微笑を浮かべる。
ただ終わらない償いがあるだけだと私は思う。歌うたいか、私が死ぬまで。それは想像に難くないことであり、なので彼女が一体何に期待して興味を持っているのか、私には分からない。
私は何者なのだろう、という特に心の動かない話。
確かに、私はどこから来て、私は何者なのか。出来るならば知りたいことではある。だがしかし、ここで騎士としての任を全うする限り、その情報を知る機会はないだろう。
そして少なくとも、私はここから移動する気はない。
従って、その出自を知り得る機会はきっとないだろう。だが、それでもいい。今の私には、あまり重要なことではないから。
騎士としてここに在れれば、今はそれで。
「申し訳ありません、そろそろ行かなければなりませんので」
「あぁ、すいません。お姫様がお待ちでしたね」
唇に手を添えながら、意地悪そうな笑みを漂わす。
彼女はよくそんなリアクションをするが、その真意は分からない。ただ少なくとも私がぱっと思いつく滑稽な様だな、なんてこととは別の意味合い孕んでいるのだろう。考えが及ばないため、そこで思考は打ち止めるが。
軽く頭を下げ、長鎗の彼女の彼女とはそこで別れた。
ある場所を目指しながら、村の中を行く。ある程度は顔を覚えられてきて、そんな人たちとは会釈を交わす。
早足で歩いていく。急いでいるとは悟られない程度に。
そこまで時間が切迫しているわけではないのだ。だがその足は、頭に残る彼女の早くという声に急かされる。早く行かなければ、という心持ちがあるのは否定しない。
ロラの家を通り過ぎ、村長の家を通り過ぎる。
昼の一時だけ交代してもらっているのは、別にランチの予定があるわけではない。たまにロラから昼食の誘いがあるのだが、それはこの責務を済ませてからにしてほしいと言っている。
村というには少し広い、カルムという村。その入り口から奥深く、高く目立つそのヤグラ。
昼告のヤグラと呼ばれるそのヤグラは、彼女のために存在している。
ヤグラのすぐそばに、ひっそりと佇む一軒の家。彼女はそこで暮らしている。以前は頻繁に出入りしていたようだが、野盗の襲撃以降は昼刻以外すっかり閉じ籠ってしまった。
……ということになっている。
そうした状態になったのは、村長と長鎗の彼女による提案だ。流石に事の真相を村長に黙っているということは出来ず、洗いざらい話した。
彼女と私のこと。
そして、野盗を引き寄せてしまったという失態。
だが長鎗の彼女の口添えもあり、現在は軟禁という監視下にある。そこへ私が家まで迎えに行き、昼を告げる歌を見届けるのが新たに加わった責務というわけだ。
玄関の呼び鈴を鳴らす。
回数は二回と決めてある。扉に垂れ下がった針金製の猫を引っ張ることで、家の中に来訪者があることを知らせるという仕組みだ。
「はい」という応答があり、玄関戸が開く。
いつも通り、全身真っ黒の生真面目な顔。
「待っていたわ、騎士様」
言って、彼女はさっさとヤグラへの道を歩き始めた。
気温は安定しているが、どこか湿っぽさがあり、農作業から帰って来る村人は汗ばんでいるときもある、そんな状況。フリストレールの夏は暑いが、その到来はまだ先の話のようだ。
青空の下、私は監視塔の上で佇んでいた。
村の入り口付近に設置された、ヤグラよりも少し頑丈な石造の建築。初めは木で組まれていたものだが、それを土で塗り固めて今は立派な塔としてカルムに鎮座している。
階段も備え付けられており、そこから上り下りをして任に就く。私が村の門番をするときに立つ場所であり、ここで村に出入りする者や訪ねて来る者を監視している。
早朝から立ち、時刻はそろそろ昼になろうとしていた。
そんな中、こつこつと土壁の塔を叩く音が一つ。
「騎士様」
薄緑のカーディガンに薄茶色のスカート。とても春めいた装いの、しかし手にはしっかりと得物を握り締める長鎗の彼女だった。彼女はすたすたと階段を上ってくると、そのまま私の隣に並ぶ。
「お疲れ様でございます、リーデ様」
「お疲れ様です、騎士様。そろそろお昼ですよ」
にこりと微笑む。
花が咲いたような、柔らかな笑い方だった。
「了解しました。……少しここを任せてもよろしいでしょうか」
「えぇ、もちろんです」
昼時のとある用。それを理由にこの場所を託すと、彼女は快く請け負った。要件は長鎗の彼女も認知している事で、すぐに頷いたのは、つまりはそういう理由である。
私情のため、心苦しく思う。
後ろめたさを引き摺りながら、石段を下りる。一人通れば埋まってしまうほどの、細長い階段。
「騎士様」
後ろから聞こえた声に、耳を引っ張られる。
「よろしかったのですか」
長鎗の彼女は鈴のような涼しい小さい声で言った。別に大きい声でするような話ではないからだ。
「何がでしょうか」と返事はしたが、その意味は分かっていた。
今後村の騎士として在るためには明らかに、私の選択は愚かしい。きっと、頷いてくれる者はいないだろう。
「分かっているでしょう、それでも騎士様は選択するのですね」
同意するように頷く。
不本意だったとはいえ、歌うたいはカルムに夜盗を招いてしまった。本人は接近させただけと言ってはいたが、それが襲撃に繋がってしまったのは事実である。従って彼女を処断、或いは追放するのが一般的な判断だろう。一応、私にはその権利がある。
そうしたほうが早いのだ、私が罪から逃れるには。しかし、その選択はしなかった。
私がここで騎士として責務を果たすためには、そして彼女に償うには。そうするべきだと、私が選択した。
ただロラは分からないが、きっと長鎗の彼女は同意したわけではないのだろう。あくまで黙っているだけ。もし、もう一度彼女が事を起こしたのなら、今度こそ歌うたいを殺さなければならない。
そして、私も人ではなくなるだろう。
「ですが」
考えに耽っていると、長鎗の彼女がぽつりと呟く。
「私も興味があります。その先に何があるのか。それに、あなたが何者なのかも」
軽く右頬だけに微笑を浮かべる。
ただ終わらない償いがあるだけだと私は思う。歌うたいか、私が死ぬまで。それは想像に難くないことであり、なので彼女が一体何に期待して興味を持っているのか、私には分からない。
私は何者なのだろう、という特に心の動かない話。
確かに、私はどこから来て、私は何者なのか。出来るならば知りたいことではある。だがしかし、ここで騎士としての任を全うする限り、その情報を知る機会はないだろう。
そして少なくとも、私はここから移動する気はない。
従って、その出自を知り得る機会はきっとないだろう。だが、それでもいい。今の私には、あまり重要なことではないから。
騎士としてここに在れれば、今はそれで。
「申し訳ありません、そろそろ行かなければなりませんので」
「あぁ、すいません。お姫様がお待ちでしたね」
唇に手を添えながら、意地悪そうな笑みを漂わす。
彼女はよくそんなリアクションをするが、その真意は分からない。ただ少なくとも私がぱっと思いつく滑稽な様だな、なんてこととは別の意味合い孕んでいるのだろう。考えが及ばないため、そこで思考は打ち止めるが。
軽く頭を下げ、長鎗の彼女の彼女とはそこで別れた。
ある場所を目指しながら、村の中を行く。ある程度は顔を覚えられてきて、そんな人たちとは会釈を交わす。
早足で歩いていく。急いでいるとは悟られない程度に。
そこまで時間が切迫しているわけではないのだ。だがその足は、頭に残る彼女の早くという声に急かされる。早く行かなければ、という心持ちがあるのは否定しない。
ロラの家を通り過ぎ、村長の家を通り過ぎる。
昼の一時だけ交代してもらっているのは、別にランチの予定があるわけではない。たまにロラから昼食の誘いがあるのだが、それはこの責務を済ませてからにしてほしいと言っている。
村というには少し広い、カルムという村。その入り口から奥深く、高く目立つそのヤグラ。
昼告のヤグラと呼ばれるそのヤグラは、彼女のために存在している。
ヤグラのすぐそばに、ひっそりと佇む一軒の家。彼女はそこで暮らしている。以前は頻繁に出入りしていたようだが、野盗の襲撃以降は昼刻以外すっかり閉じ籠ってしまった。
……ということになっている。
そうした状態になったのは、村長と長鎗の彼女による提案だ。流石に事の真相を村長に黙っているということは出来ず、洗いざらい話した。
彼女と私のこと。
そして、野盗を引き寄せてしまったという失態。
だが長鎗の彼女の口添えもあり、現在は軟禁という監視下にある。そこへ私が家まで迎えに行き、昼を告げる歌を見届けるのが新たに加わった責務というわけだ。
玄関の呼び鈴を鳴らす。
回数は二回と決めてある。扉に垂れ下がった針金製の猫を引っ張ることで、家の中に来訪者があることを知らせるという仕組みだ。
「はい」という応答があり、玄関戸が開く。
いつも通り、全身真っ黒の生真面目な顔。
「待っていたわ、騎士様」
言って、彼女はさっさとヤグラへの道を歩き始めた。
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