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第一部

episode47 「殺した人のことなんていちいち覚えていないかしら」

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 フリストレールの白い亡霊。
 先日、風使いが私を指すために使った言葉。亡霊はこの国では蔑称だが、外から来た者がそう呼ぶ場合は別の意味になるだろう。白髪を蔑む必要がないからだ。
 私のことを別国で知る機会など一つしかない。
 兵士であったことだ。
 風使いは分かる。かつて戦闘要員として駆り出されていた過去があったからだ。
 だが歌うたいはどうだろう。痩せすぎとまでは言えないが、抱きしめれば折れてしまいそうな華奢な女性の肉体。兵士とは思えない。魔法使いである可能性のほうが高いが、見覚えがない。

「何故、エステル様がその呼称を」

 その問いに、彼女は軽い微笑を左の頬だけに浮かべた。

「たまたまよ。いつも歌っている街から帰る途中で、亡霊が戦争を終わらせたって言っていたわ」

 言葉にはわざと遠回りしているように感じた。
 何故この呼称を知っているのか、なんて私にはどうだっていい。私が聞いたのは、どうして歌うたいが私をそう呼んだかである。「そう呼ばれているのね」なんて意味を持って言われた言葉ではないように思う。
 そんなことをひけらかすためだけに、わざわざ早朝にこうして私を呼んだわけではないはずだ。まるで歌という光に虫を誘い出すように。仮にそうだった場合、世間話をするために呼んだということになってしまう。しかし彼女は、口数が少ないわけではないが、今のところ決して無駄話が好きという人物ではないように感じる。
 あまり村の中で頻繁に見かけないというのもあるだろう。まだ全ての村人に会ったわけではないが、彼女に関しては特に謎めいた気配がある。

「……エステル様。いま村は警戒態勢です、こうして安易に身を晒すのは」

 よくないのでは。
 そう言う前に、気配を感じた。
 何かが高速で接近する音。恐らく人ではない。歌うたい目掛けて、それは一直線に飛んでくる。無防備な姿を晒した私たちへの、代償めいた一撃。
 既に、攻撃されていたのだ。
 果たして、どこから発射されたのか。方角を考えれば、まだ私が見て廻れていない方だ。しかし、攻撃される方向が分かってしまえば対処は容易い。軌跡を残しながら、彼女に向かってくるそれに対し、立ちはだかる。
 いくら私がにぶいとはいえ、装備がないため負傷は覚悟しなければならない。場合によっては欠損の可能性もある。
 だが立ちはだからねばなるまい、騎士という任に就いたからには。

「エステル様!」

 呼びかける。
 気を付けるように、と。
 だがしかし、それに対し歌うたいはあろうことか歌いはじめた。攻撃されているという緊迫の空気の間を丁寧にぬってゆく。まるで鼻歌みたいな調子で。
 わけが分からない。
 私が壁になっているからと言って、そんな余裕ではないはずだ。不意打ちのような口撃に、一瞬脳が停止しかける。しかし私はさっと離れかけた意識を握り締めると、そのまま飛来した何かに掌を叩きつけた。
 掌底。
 痛覚が瞬く間に伝達され、手から肩へと行き渡る。その選択に、思ったより痛みはない。恐らく、もっと遅れて痛くなるのだろう。
 または放たれた物が脆かったか。そう思い、それを受け止めた掌を見る。
 それは魔弾と呼ばれるものだった。
 フリストレール特有の武器。私は持たせてもらった経験はないが、特殊な筒状の道具からこの魔弾を高速で発射することで攻撃する兵器だ。触ったこともないため、当然どう発射しているかも分からない。フリストレールはつい最近、この兵器を開発したことで戦争に勝てる強国となった。この魔弾は黒と赤が交じり合った球体で、何で生成されているか分からなかったが、こうして触っても分からず終いだ。
 戦地では多くの兵を屠る武器として活躍していた、と記憶しているのだが。なるほど、当たりどころが悪くなければ死なないらしい。加えて、これは恐らく相当な劣化品だろう。受けてもさほど痛くない兵器など、役には立たない。
 これを担いでいた兵は、きっと相当な訓練を積んだのだろう。それこそ、急所へ百発百中となるほどに。
 ただ、死にはしない。ということだが攻撃されたという事実には変わらない。

「エステル様、ご無事ですか」

 無事を確認するため、呼びかける。分からないことだらけではあるが、今は後回しだ。まずは安全のため、家の中に避難させなければ。
 そう思った、途端。
 眩暈を感じるほどの頭痛を覚えた。周囲の空気が急に重くなり、景色が歪む。煙の先に彼女を見ているみたいになって、ゆらゆらと揺れていた。
 魔弾に毒でも塗られていたのだろうか。いや、触っただけで効果のあるほどの毒を塗ったのなら、それを放った筒はもう使い物にならない。
 そもそも軍が所有している物を、誰が使用したのか。
 分からない。
 考えが纏まらない。
 一歩、踏み出す。しかし足が動いているなど分からず、体は何か重い物でも背負っているかのように前のめりになっていく。そうして、私はやがて体が芯を失って地面に倒れ込んだ。

「随分、頑丈なのね」

 地面に伏せり、襲って来た二度目の眩暈が去るのを待つ。私のその様を、歌うたいはじっと見下ろしていた。
 分からない。
 どうして歌うたいが、私を。まさかとは思うが、歌うたいこそが内通者であり、私がいない隙を見計らって野盗を招き入れたのだろうか。
 一体何のために。
 また、一体攻撃してきたのは何者なのか。
 視界が霧のようにぼんやりとしてくる。
 すると歌うたいは私の目の前に立ち、そのままスカートが土で汚れるなど気にも留めず片膝を地に突けた。

「……しぶといわね、祝福を宿しているのかしら。いいわ、答えましょう。初めから私の目的があなただからよ、白い髪の兵士。それとも、兵士は殺した人のことなんていちいち覚えてないかしら?」

 その言葉は、蜃気楼のように掴みどころがなかった。
 私の意識が薄れてきているのもあるだろう。だが本当に、覚えがないのだ。さきの戦争で、私のことを恨む黒髪の者など大勢いる。なので、その言葉だけでは彼女が誰なのかは分からなかった。
 もはや視界は靄のようなものに覆われて、辛うじて聴覚が残っているという状態。

「……エステル様。あなたは、何者、なのですか」

 たどたどしく、言葉を吐き出す。
 対して、歌うたいは呆れた、というような感慨じみた嘆息をわずかな吐息と一緒に吐き出した。

「騎士様。村のみんなが私のことを何と呼んでいたか覚えているかしら」

 エステル。

 彼女自身がそう名乗ったのだから、そうではないのか。
 意識が混濁していく中で、思い出そうと足掻けば足掻くほど、つかみどころのないその記憶。だが炙り出しのように徐々に浮かび上がってくる。
 恐らくは初日。
 そして彼女の名前を初めて呼んだのは確か、ロラだ。

「まさか、」

 思わず、そう漏らす。
 否、そんなはずはない。
 その名前を、私は知っていた。知ってはいるが、それだけはありえないとその可能性を排除していたのだ。

「思い出したようね。ここでは本名を隠す必要はなかったけど、あなたが来るとなれば話が違う」

 意識が段々と霞んでくる。
 眼前に暗幕が下りてくるように、何も分からなくなっていく。そうして、私の意識はそこでぷっつりと途切れた。
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