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第一部

episode34 「騎士殿。鎧が濡れているな」

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「待ちなよ」

 しかしその前に、呼び止められる。
 両顎が張り、ずるそうな相を現した副村長だった。

「明日だ。それまではいてもらう」

 疑っているため、当然の主張ではある。だが自警団が監視に着くということに加え、警戒態勢であるとはいえカルム村は野盗に様子を探られていた状態だ。それを牽制するのは私の役目である。それなのに、私はまた責務を先延ばしにされてしまった。
 もどかしい。私はただ、任務に就きたいだけなのに。与えられた役目すら全う出来ない。

「……今は警戒態勢です。であればすぐにでも立つべきでは」

 それに、副村長は呆れた風の息を吐く。

「言ったろう、騎士様はいま疑われてるんだ。まあ、今は自警団みんなで立ってるんだ、今夜は大人しくしておいてくれ」

 今まで得られないからと無視してきた信用、という言葉が私の責務を邪魔していく。確かに、国から仰せつかってやって来たといえ、村としてどちらを使うかと言えば信頼できる身内だ。

「自警団の方が私の隣に立つのでしたら問題はないのでは」
「保険だよ。まあカルムとしては、しっかりと疑いは晴らしてもらいたいところだがね」

 ねぇ騎士様。
 そう付け加えて、口角を吊り上げる。
 彼の意図がよく分からない。私が不利になるよう口撃しているよう聞こえるが、しかしその言い様には正当性がある。口が悪いだけなのか、それとも明確に私を追い出そうとしているのか。これまでの言い回しからどちらとも解釈出来るため、判断が出来ない。口が悪いだけならどうでもいいが、後者なら考慮する必要がある。責務を果たせなければ、この国では私に価値はないのだから。

「分かりました。では朝、責務を果たしましょう」
「へぇ、随分と物分かりがいいね」

 頬の上に描いたような微笑を漂わせながら、副村長は自分の顎を擦る。驚く表情すらみせずに。まるでそう答えるのが分かっていたかのようだ。私が反論する意味のなさを、副村長は分かっているのだろう。

「騎士殿、今日はうちで寝ろ。それでいいだろ? ラヴァーグ」
「ああ、そうしてくれ」

 監視下に置くためだろう。散々悪意の視線に晒されてきたのだ、今更なんてことない。それよりも、拘束もなしに戦闘員のいない家に泊めてしまって良いのだろうか。普段ならリーデ様がいるだろうし、そもそも村長が普段から帯剣しているため、無抵抗というわけではない。しかし、もし私がカルムを攻める者ならば、良い状況に転じたと思ったに違いない。
 そんな気はないが。

「ってことだオレリア、悪いが寝床を頼む。もう夜も遅ぇしな」

 分かりました。
 そう言って恭しく返事をすると、今まで入り口付近でじっとしていた奥様はすっと家の奥へと消えていく。

「お前ぇら、今日は解散だ。リーデが帰ってきたらまた招集を掛けるぜ」

 言って手を叩くと、それを合図に坐していた者達が立ち上がる。何名かは発言したところを見ていないが、恐らく私が帰投する前に言うべきことは言ってしまったのだろう。その者達は村長の一言を受けてさっと家を出ていく。少しの間居座ったのは副村長と店主で、副村長は意味ありげな一瞥を私に投げたあと帰宅した。

「面倒なことになっちまってすまねぇな、騎士様」

 そう私の肩を叩く。至近距離にも関わらず相変わらずな店主の声量は、夜には攻撃と言って差し支えない。

「いいえ。落ち度があったとはいえ、引き受けたのは私自身です。ご主人が気にすることではありません」
「店の商品を疑ったのが気に食わねぇのは今でも変わらねぇ。でもな、これとそれとは話が別だ。別にオレは出てけなんて思っちゃいねぇからな」

 そう言うと赤い羽織りものをなびかせながら、足早に出ていく。手のひらをひらひらと揺らしながら。じゃあな、そんな意味があるのだろう。心なしか急いでいたように見えたのは、恐らくは家に娘を置いてきているからだと思われる。
 実際商人を救うことで、村の流通は良くなるはずだ。品の傾向にもよるが、決して私にも関係ない話ではない。なので本当に、店主が気にすることではない。

「騎士殿」

 ふいに、村長が呼ぶ。

「鎧が濡れてるな、脱げ。風邪ひくぞ」

 その言葉に、そもそも内側も濡れ鼠なことを思い出して急に寒気を覚えた。つま先から這い上ってくる寒さで、体の芯がきりきりと締め付けられるように軋む。
 それを伝えると、浴室へ行くよう言われた。そういえば、この村に来てからろくに湯も浴びていない。日中に水浴びをしたため別にいいと言うと、村長はしかめっ面をして急に頭を掻きだす。そして背中を押されて家の奥へと連行されたかと思えば、脱衣所に押し込まれてしまった。
 いいから入れ、ということらしい。
 まさか一日に二度体を洗うことになるとは思わなかった。昨夜だって、水を浴びたと言えば間違っていない。兵であった頃は何日も体を洗えない日もあったというのに。
 ただ湯浴みしろということならば、断わる理由もない。鎧を外し、肌着を脱ぐと、浴槽に張られたお湯へと身を沈める。何か混入しているのか、白濁したお湯。途端に雨のような音がしたのは、浴槽から湯がざあざあと溢れ出たためだ。ただ、あまり長い時間入っているのも忍びないので、早々に出る。すると出た先で奥様に遭遇し、浴室に戻されてしまった。
 曰く、湯舟にはもっとゆっくりと浸かるものだと。
 湯舟に入る機会がそもそもあまりなかったため、その理論はよく分からない。しかし、まあ、湯舟に浸かっている感覚は悪くない。そう思う。
 身体が温かみを帯びていくのを感じていると、脱衣所から奥様が声を掛けてきた。私が着ていた肌着は現在乾かしていて、その代わりとして服を置いていくとのことである。
 対して、私がそれに分かりましたと返事をすると、奥様はそうして去っていった。それを確認して湯舟を出ると、私に纏わりついて持ち上がった湯が体を抜けて流れ落ちていく。
 身体がほぐれたような安らぎを覚えて、浴室を出る。脱衣所には先ほど言われた通り私が身に着けていた者が一切なくなって、代わりに白い寝間着が折り畳まれて置かれていた。寝間着は白い絹製のもので、手首から足首まで覆われてはいるが少し薄手だ。そのため、これは奥様の寝間着なのか、それともリーデ様のものなのだろうか、手に取った瞬間、一瞬だけ考えてしまった。どうだっていいことなのだが。
 そういえば、武具はどこだろうか。考えて、薄手の装備にどこか不安になりながら探しに行く。
 身に着けていたものは壁際に作られた暖炉の傍にあった。それは先ほど会議が行われていた部屋に在り、溢れる低い焔が辺りをぼんやりと赤く照らしている。さっきはそれがあることに気が付かなかったため、恐らく今日は使われていなかったものなのだろう。テーブルの上に大きめの布が置いてあるところを見ると、普段はそれで覆い隠しているのだ。私の身に着けていたものを乾かすだけのために、それは使用されている。それを考えると、少しだけ心の中に苦い灰汁のようなものが湧き出た。
 何かをしてくれるということは、何かを提供する必要がある。私が出来るものといえば武力しかない。そしてそれは今まさに要求されていることだ。それなのに、今夜はそれを提供することが出来ない。
 私には現在負い目がある。つまりはそういう苦渋だった。

「おぉ騎士殿。湯はどうだった」

 椅子に座り膝をくずしてあぐらをかきながら、やってきた私にそう村長が話しかけてくる。恐らくは、干してある私の肌着に火が移らないように見ていてくれたのだ。

「良い湯加減でした。感謝致します」

 言うと、「そうか」といって背もたれに体重を掛ける。

「面倒になっちまったな」
「仕方のないことです。どうかお気になさらず」

 何度も何度も、これは自分の意思であることを主張する。人にやれと言われたからでなく、私が決定して行動したのだと。そう思うことで、これは正しかったのだと思いたいのだ。
 赤い火が家の中で、生き物めいて動く。まるで私を見ているかのように。
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