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第一部
episode13 「いいえ、あなたがいるのはずっと仄暗い下のほう」
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変わらずに、昼間と同じようにきらきらと星屑がそこに光っていたからだ。
「エメ・アヴィアージュ」
確かめるように、彼女は私の名前を復唱した。そうして何度か繰り返した後、何かに納得したかのように頷く。繰り返し私を呼称するその声に、心臓がどくりと跳ねた。どうしてか分からなくて、なぜ、なぜ、と囁き声が私の頭を掻き回す。
分からないことは放棄する。そう頭の中では決めているのに。引き寄せられるような、よく分からない感覚によって彼女のその瞳から視線を外すことが出来ない。
「……何かしら」
その声でようやく自分を回復して、放り込まれた闇の中で火を得た気持ちになった。
「申し訳ございません、エステル様の眼が……」
そこまで声に出して、しかしその先の言葉を飲み込む。彼女の声に、瞳に、何故引き寄せられたのか分からないのに、説明出来るわけがない。
「……いえ、何でもございません」
乾燥した咽喉に唾を押しやる。先ほどの高鳴りはなんだったのだろう、そう思いながらも忘れたいがために彼女から目を背ける。
だが「そう」と言いながらも、彼女が私を不思議そうに見つめてくるのを感じた。紫水晶のように透き通った瞳が、こちらまで見徹そうと覗き込んでくる。私の挙動を不審に思っているようで、実際に私も彼女の立場なら同じようにするだろう。
しかし、どう続けるべきだったのかも、どう誤魔化したらよかったのかも分からず、私はただその風雨が過ぎるのを待つしか出来なかった。
「聞いてもいいかしら」
急にそう問われ、急いで彼女の双眸へ視線を飛ばす。聡い上官を目の前にしたような、そんな感覚。
「はい、なんでしょうか」
答えながら、自分は何を言われるのかを考える。彼女の顔を凝視したことだろうか、それともその後目逸らしたことか。フードを取れ、それだけは言われたくない言葉だ。この地で任に就く以上は、いずれ私の髪色が白だと発覚するのは避けられないだろう。ただ、せめて何日かは秘匿したい。そう考えると、足先に軽い戦きが足先に伝わってくるのが自分で分かる。
「あなたはいまどこにいるの」
今日はおかしな言葉ばかりを聞く日だと思った。巨躯の彼の言葉、村長の言葉、そして目の前のエステルの言葉。全て抽象的で、具体的に何も問うているのか理解させてくれない。分からない。分からないから、その言葉の理解は放棄しよう。
「ここにいます」
「地に足を着けて立ってはいないわ」
「います。このカルム村の、その前で」
「いいえ、あなたがいるのはずっと仄暗い下のほう」
外国語のようだった。特に彼女の言っていることは。相互理解など不可能で、私が意味を知ろうとも誰もその答えを教えてはくれない。
上官がそうだった。
「自分で考えろ」
自分で分からないから、明確に答えがほしいのに。
「何も見ていない、何も感じていない。そんな瞳をしているわ」
「……この眼はあなたを見ています。分からないと感じています」
「そう」
その声からは脈動を感じられず、水をかけたように冴えて返しだった。あまりにも私が無知なので、興味を失って白けてしまったに違いない。分からないのだから、仕方がないのに。
「ご期待に応えられず申し訳ありません」
「そうではないけど、別にいいわ」
あまりにも程度の低い者には苛々する気すら失せてしまうと言うが、きっと彼女もその状態なのだろう。
「それと気になるのだけど、どうしてフードを被っているのかしら」
されたくない質問が来た、という風だった。この白髪が知られ、誹られることになるのは今まで通ってきた道だ。それはもう仕方がない。ただ、自分から晒そうとは思わない。
「……以前の戦争で、頭が抉れてしまっていて。見ないほうがよろしいかと」
口から出まかせの嘘を並べる。
「頭には何も着けていないようだけど」
戦争により頭が抉れてしまう者は偶にいる。それは大砲であったり、或いは大槌によるものだったりと様々な要因による損傷だ。半数以上はそれで事切れるが、生きている場合もある。その場合、脳髄が漏れ出さないよう頭部を覆うように装具を着けなければならない。
彼女は見たことがあるのだ。戦争による負傷者を。従って、彼女は過去数年前以内に戦争があった国から来たということになる。ただ、それを詰めるつもりはない。私には影響のない話だろうから。
「申し訳ありません、あまり晒したくないもので」
「そう、分かったわ」
怪しむ間すらなく、彼女は言った。
それで納得したのかは分からない。分かったふりをしてフードを剥いで白髪を口撃してきた者だって中にはいた。彼女がまだ興味を残しているのかは分からないが、ひとまずこの場では納得してくれたらしい。
ふうと、軽く息を吐くと、出てきた吐息は上ずったように震えていた。
「じゃあ、お勤めご苦労様。私も帰るわ」
そう言って村の中へと歩き出す。その歩みにつられて視線をふと、村のほうへやると、先ほどよりも灯りがまばらなことに気がついた。一つ、また一つとランタンの灯りが消えていく。広場の燭台は点いているようだが、軒先の灯りは家主が就寝に入ると共に消すようだ。
「灯りは消してしまうのですか」
「あまり火を灯していると、良くない獣が寄ってくるわ」
それは双剣の彼女が言っていたことと矛盾している。火は絶やさないように、確かにそう言ったはずだ。良くない獣が村の言い伝えのような存在ならば問題ないのだが、害獣であった場合は話が違う。害獣に襲われてしまえという、明確な悪意がそこにはある。やはり双剣の彼女も、私を騎士として受け入れる気はないのだ。
ただ、害獣が脅威として存在しているのなら、排除してしまうのは一つの選択肢だろう。それが何体も存在しているのでなければの話だが。
いつの間にか燭台以外の灯りはなくなり、彼女も村の中へと消えていた。燭台は巨大とはいえ、村の広場に座しているため周囲の様子はしっかりと確認出来るわけではない。
持ってきたランタンに火を灯す。すると、ぼんやりとしていた景色がしっかりと見えるようになった。乳白色の、薄霧が漂っているような明かり。
現状、獣のような姿と匂いはない。しかし、念のため武器は鞘から抜いておく。何も来ないならそれでいいし、来るなら討伐する。どちらでもいい。
夜をゆく、梟の鳴き声だけがこだまする。たまに風が野草を揺すってざわざわと音を立てるが、春らしい生暖かい風だ。それと共に充満する土のような匂いが、雨が近いことを予感させる。
フリストレールは夏を除いて比較的過ごしやすい土地で、真冬でも氷点下を下回るということは少ない。そのため、一度だけ雪国に遠征した際、あまりの寒さに一度引き返したのは軍の中で半ば語り草となっていた。逆に夏は平均的に四十度を超えるため、非常に過ごしづらい。これからその季節がやってくることを考えただけで煩わしく感じるほどに。
猛暑の想起を遮るように、梟の重く乾いた羽音がした。気づけばさほど遠くない場所から木々がざわざわと鳴いている。別のことを考えている場合ではないと忠告しているようにも聞こえた。そのざわめきは、どうやら風が揺らしている音ではなく、何かが当たって撓んでいるようだ。梟はその音の元凶から逃げるため飛び立ったのだろう。一羽が飛び去るのにつられるように、後から何羽かが羽音を立てた。
「エメ・アヴィアージュ」
確かめるように、彼女は私の名前を復唱した。そうして何度か繰り返した後、何かに納得したかのように頷く。繰り返し私を呼称するその声に、心臓がどくりと跳ねた。どうしてか分からなくて、なぜ、なぜ、と囁き声が私の頭を掻き回す。
分からないことは放棄する。そう頭の中では決めているのに。引き寄せられるような、よく分からない感覚によって彼女のその瞳から視線を外すことが出来ない。
「……何かしら」
その声でようやく自分を回復して、放り込まれた闇の中で火を得た気持ちになった。
「申し訳ございません、エステル様の眼が……」
そこまで声に出して、しかしその先の言葉を飲み込む。彼女の声に、瞳に、何故引き寄せられたのか分からないのに、説明出来るわけがない。
「……いえ、何でもございません」
乾燥した咽喉に唾を押しやる。先ほどの高鳴りはなんだったのだろう、そう思いながらも忘れたいがために彼女から目を背ける。
だが「そう」と言いながらも、彼女が私を不思議そうに見つめてくるのを感じた。紫水晶のように透き通った瞳が、こちらまで見徹そうと覗き込んでくる。私の挙動を不審に思っているようで、実際に私も彼女の立場なら同じようにするだろう。
しかし、どう続けるべきだったのかも、どう誤魔化したらよかったのかも分からず、私はただその風雨が過ぎるのを待つしか出来なかった。
「聞いてもいいかしら」
急にそう問われ、急いで彼女の双眸へ視線を飛ばす。聡い上官を目の前にしたような、そんな感覚。
「はい、なんでしょうか」
答えながら、自分は何を言われるのかを考える。彼女の顔を凝視したことだろうか、それともその後目逸らしたことか。フードを取れ、それだけは言われたくない言葉だ。この地で任に就く以上は、いずれ私の髪色が白だと発覚するのは避けられないだろう。ただ、せめて何日かは秘匿したい。そう考えると、足先に軽い戦きが足先に伝わってくるのが自分で分かる。
「あなたはいまどこにいるの」
今日はおかしな言葉ばかりを聞く日だと思った。巨躯の彼の言葉、村長の言葉、そして目の前のエステルの言葉。全て抽象的で、具体的に何も問うているのか理解させてくれない。分からない。分からないから、その言葉の理解は放棄しよう。
「ここにいます」
「地に足を着けて立ってはいないわ」
「います。このカルム村の、その前で」
「いいえ、あなたがいるのはずっと仄暗い下のほう」
外国語のようだった。特に彼女の言っていることは。相互理解など不可能で、私が意味を知ろうとも誰もその答えを教えてはくれない。
上官がそうだった。
「自分で考えろ」
自分で分からないから、明確に答えがほしいのに。
「何も見ていない、何も感じていない。そんな瞳をしているわ」
「……この眼はあなたを見ています。分からないと感じています」
「そう」
その声からは脈動を感じられず、水をかけたように冴えて返しだった。あまりにも私が無知なので、興味を失って白けてしまったに違いない。分からないのだから、仕方がないのに。
「ご期待に応えられず申し訳ありません」
「そうではないけど、別にいいわ」
あまりにも程度の低い者には苛々する気すら失せてしまうと言うが、きっと彼女もその状態なのだろう。
「それと気になるのだけど、どうしてフードを被っているのかしら」
されたくない質問が来た、という風だった。この白髪が知られ、誹られることになるのは今まで通ってきた道だ。それはもう仕方がない。ただ、自分から晒そうとは思わない。
「……以前の戦争で、頭が抉れてしまっていて。見ないほうがよろしいかと」
口から出まかせの嘘を並べる。
「頭には何も着けていないようだけど」
戦争により頭が抉れてしまう者は偶にいる。それは大砲であったり、或いは大槌によるものだったりと様々な要因による損傷だ。半数以上はそれで事切れるが、生きている場合もある。その場合、脳髄が漏れ出さないよう頭部を覆うように装具を着けなければならない。
彼女は見たことがあるのだ。戦争による負傷者を。従って、彼女は過去数年前以内に戦争があった国から来たということになる。ただ、それを詰めるつもりはない。私には影響のない話だろうから。
「申し訳ありません、あまり晒したくないもので」
「そう、分かったわ」
怪しむ間すらなく、彼女は言った。
それで納得したのかは分からない。分かったふりをしてフードを剥いで白髪を口撃してきた者だって中にはいた。彼女がまだ興味を残しているのかは分からないが、ひとまずこの場では納得してくれたらしい。
ふうと、軽く息を吐くと、出てきた吐息は上ずったように震えていた。
「じゃあ、お勤めご苦労様。私も帰るわ」
そう言って村の中へと歩き出す。その歩みにつられて視線をふと、村のほうへやると、先ほどよりも灯りがまばらなことに気がついた。一つ、また一つとランタンの灯りが消えていく。広場の燭台は点いているようだが、軒先の灯りは家主が就寝に入ると共に消すようだ。
「灯りは消してしまうのですか」
「あまり火を灯していると、良くない獣が寄ってくるわ」
それは双剣の彼女が言っていたことと矛盾している。火は絶やさないように、確かにそう言ったはずだ。良くない獣が村の言い伝えのような存在ならば問題ないのだが、害獣であった場合は話が違う。害獣に襲われてしまえという、明確な悪意がそこにはある。やはり双剣の彼女も、私を騎士として受け入れる気はないのだ。
ただ、害獣が脅威として存在しているのなら、排除してしまうのは一つの選択肢だろう。それが何体も存在しているのでなければの話だが。
いつの間にか燭台以外の灯りはなくなり、彼女も村の中へと消えていた。燭台は巨大とはいえ、村の広場に座しているため周囲の様子はしっかりと確認出来るわけではない。
持ってきたランタンに火を灯す。すると、ぼんやりとしていた景色がしっかりと見えるようになった。乳白色の、薄霧が漂っているような明かり。
現状、獣のような姿と匂いはない。しかし、念のため武器は鞘から抜いておく。何も来ないならそれでいいし、来るなら討伐する。どちらでもいい。
夜をゆく、梟の鳴き声だけがこだまする。たまに風が野草を揺すってざわざわと音を立てるが、春らしい生暖かい風だ。それと共に充満する土のような匂いが、雨が近いことを予感させる。
フリストレールは夏を除いて比較的過ごしやすい土地で、真冬でも氷点下を下回るということは少ない。そのため、一度だけ雪国に遠征した際、あまりの寒さに一度引き返したのは軍の中で半ば語り草となっていた。逆に夏は平均的に四十度を超えるため、非常に過ごしづらい。これからその季節がやってくることを考えただけで煩わしく感じるほどに。
猛暑の想起を遮るように、梟の重く乾いた羽音がした。気づけばさほど遠くない場所から木々がざわざわと鳴いている。別のことを考えている場合ではないと忠告しているようにも聞こえた。そのざわめきは、どうやら風が揺らしている音ではなく、何かが当たって撓んでいるようだ。梟はその音の元凶から逃げるため飛び立ったのだろう。一羽が飛び去るのにつられるように、後から何羽かが羽音を立てた。
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