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第一部
episode1 「向かいの席は空いているかしら」
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足の底から鉄槌で打ち上げてくるような硬い響きが、車両を包みこんだ。途端、列車は景色を搔き消すような勢いで轟々と走り出す。私を見送る者はおらず、昨夜同胞達に首都を離れるという話をしたがあまり興味がないという風だった。どうでもよいのだろう。窓から望める風景が、まるで一枚絵のように忙しなく変わっていく。風を切りながら全快速で走っているそれは、煤を溶かしたようなどす黒い空気を吐きながら隣町へと向かっている。丸一日掛けて、首都から四つの町を巡らんとしているその昼汽車。人数はまばらで、これから増えたり減ったりするのだろう。閑散とした車内で、走行する鼓動を感じながら、私は終着駅へと向かうためこの列車に乗っていた。向かい合わせになった席で一人、窓際に。空いている席はいくつかあるため、家族や仲間などでなければわざわざ対面に座ろうなどと思う者はいないだろう。座られても上手い受け答えは持ち合わせていないため困るのだが、大剣を隣に座る私を見てそれでも座ってくる者がいるのなら、それはよほどの変わり者に違いない。
列車に乗った経験がないわけではない。しかしその全てが戦場へ向かうための乗車で、窓の外を見るのは大まかな地形を把握するもので、決して風景を感じるためではなかった。なので、景色を楽しむという感覚がどういったものなのか、よく分からない。万が一に備え、見えた地形がどんなものだったのか記憶しなければならないのではないか、そんな風に思えてくる。その土地に戦意は感じられないにも関わらず、鎧すら身に着けていないのに。
白いブラウスに、緑のロングスカート。騎士という身分で行くからにはそれ相応の華美な装いで、という私には理解出来ない言い様で着させられた服である。普段鋼鉄と肌着しか身に着けない私にはとても不釣り合いで、むずがゆい。短刀すら貫通する、布地の衣服。不安が喉元を締め付けてきて、苦しい。防具のない移動というのは、こんなに私を翳らせるのかと。マントのフードを深く被り直すくらいでは拭いきれないくらいの影が、雨雲めいて広がる。なので、別のことを考えて紛らわせることにしよう。そう考えて、列車に揺られながらゆっくりと思考を巡らせる。
私がそれまで暮らしていたフリストレール国、その首都ルユ。大した記憶はないが、それでも二十年過ごした場所だ。去ることに何も思わないかと言えば、それは嘘になる。別に愛国者というわけではなく、戦えと命令されたから守っていた、というだけ。土地に愛着もない、と思う。ただ、この国に私は拾われた。赤子のときに孤児として拾われ、そして五歳から兵士として生きることを運命づけた、私の故郷だ。生まれを誹られようが、髪の色を蔑まれようとも。私が帰る郷里はここしかない。この街しか、私は知らない。その点で、ルユは私の中ではある種の特別な町である。そんな場所を離れろと言われたのだから、それは魂を引き剝がされる気持ちにもなるだろう。まさか少しでも、後ろ髪を引かれる気持ちが私にあるなんて。
兵士としては汎用だった。為すべきときに為す。やれと言われたことをやるだけの存在。大して振り返る意味はない、戦っていただけの記憶。しかし、それしか能がない。それしか知らない。
気を紛らわすために私を振り返ったが、薄っぺらい人生だと改めて確認しただけだった。思い起こす事も然程多くはない。ただ人を殺していた。やれと言われたから。
窓の外に見える景色のほうがよっぽど色味がある。赤か、黒か。私のこれまでに彩を付けるなら、きっとその二つのどちらかだろう。血潮に塗れた手で暗闇を彷徨う。これまでも、そしてこれからも。
これまでを顧みることをやめた、途端。木々や草原、山々のシルエットが切り絵のようにゆき過ぎる。いま、いくつ駅を越えただろうか。気が付けば閑散としていた車内には人が幾人もいて、少なくとも最低一つは駅を通り過ぎたのは間違いない。私が記憶に浸ることをやめたのも、声が思考を遮ったからだ。
「失礼」
という、私のすぐそばで発せられた声が。
とはいえ、それが私に向けて言った言葉だとはそのときは思わなかった。さきほど考えた通り、わざわざ私の前に座る必要はないだろうと。そのため、反射的にその声の主を確認しただけのつもりだった。棘のように降りかかってくる、彼女の眼。もちろん彼女とは初対面で、恨みを買うような行いもしていない。そう感じたのはきっと、彼女の銀色の髪が私自身を連想させたからだろう。白銀はフリストレールの国民が持つ髪色ではない。この国にその色は私しかいない。なので一瞬私が見つめているのかと思って、思考が真っ暗になりかけたが、さっと気持ちを引き締める。私がもう一人いるなんて、あるわけない。彼女の顔は照り輝いているように綺麗で、まぶしささえ感じさせる。その点だけで、同じ系統の髪色だというのに私と彼女は大きく違っていた。
「向かいの席は空いているかしら」
そう言われて、車両の中をぐるりと見渡す。どうやら満員というほどではないが、どのボックスシートにも人が座っているようで、なるほどこの向かい席にやって来るのにも道理である。
「はい、空いていますが」
「座っても?」
断る理由もないため、首肯する。しかし申し訳ないことに、この席の荷物棚には既に私の大荷物が鎮座している。従ってその手に持ったアタッシュケースは隣に置いてもらう他ないわけだが。その旨を伝えたところ、彼女は納得したように分かったと答えた。
改めて、目の前に座った彼女の貌を窺う。ちらりと電光のように、あくまで盗み見るように。男の兵に囲まれて生きてきたため、美に対する選定眼などなく所感ではあるが。彼女は美しい女性だと思う。涼しく刺すような切れ長の目と背中まで伸びた銀髪が、得も言われぬ存在感を放つ。ドレスを模したしっかりとした造りの水色のワンピースは、家柄なのか品の良さを感じさせる。
なによりその髪色を何の負い目もなく晒す、光に満ちたその表情が、私には甚だ分からなかった。どこか遠くからの観光客だろうか。私を貶めるものの一つである白銀という髪色、それが彼女にとっては気にも留めない存在なのだと。
分からない。知れず、私はいつの間にか彼女のことを瞬きもしないで眺め入っていた。見つめるという意識すらしておらず、凝視していると気づいたのは直接彼女から問われたときだった。
「何か顔に付いているかしら」
さーっと頭の中に稲妻が走る。まさか指摘されるまで、自分の行いに気付かないなんて。相手に不信感を与えたことも相まって、兵士として浅はかにもほどがある。もし上官の前であったら、即座に体罰が発生するほどの失態だ。
「いえ、そのようなことは」
言いながら、どう躱すべきなのか分からず視線を逸らした。軍であれば顔面に一撃を貰えばそれで終わりなのだが、流石にそんなことを行う外見には見えない。
「あなたが見ていたのは、これでしょう?」
そう後ろ髪を掻き上げる。私には決して出来ない所作。その姿はどこか花弁が散っているようで、儚さすら感じさせた。どうして、その髪色を以て堂々と振舞えるのか。羨ましい、妬ましいという感情ではなく、ただ単純に分からない。
「珍しいかしら」
「はい、フリストレールは茶色の髪色が多いです」
「ああ、それで先ほどから視線を感じるのね」
奇異の目などどこ吹く風、という態度。ならさきほどから聞こえる吐息のような私語(ささやき)も、気にしてはいないのだろう。
「確かにわたしの国でも少し珍しいけど、関係ないわ。これがわたしなのだから、侮辱できる権利なんて誰にもありはしないのよ」
分からない。まるで異世界の言語のようで、私は返せる言葉すらなかった。分からないなら暴力で解決してしまえばいいという元上官からの教えは、この場では通用しない。
そしてもしかしたら自分の髪へ興味が出るのではないかという恐れから、私は押し黙った。フードをしているため、不自然さが彼女に生まれてもおかしくない。だから、意図的に沈黙する。いったん言葉が途切れると、まるで会話なんてなかったかのように沈黙がボックスシートに重く腰を据えた。
彼女とはこれっきりの相対だ、蟠りが残ることなど考慮する必要はない。分からないことは考えても分からないのだから、仕方がないだろう。
しかし沈黙が生まれたことにより、囁き声が蘆の葉に渡る風のようにどこからともなく起こる。奇異の目、彼女の銀髪を誹る声。私には最早慣れたもので空気のようなものなのだが、彼女はどうだろう。さきほどの口ぶりからして、あまり気にしてはいないだろうが。
木の葉がざわつくような背景音楽。絶えず起きるざわめきに、飽きないないのかと呆れながら、車窓の外を眺める。飛び去る景色は何もかもが速く、詳しい地形は把握出来ない。草原が、木々が、畦道が、そしてその先に見える水平線が来ては飛び去る。そうして風景を眺め続けてどれほど経ったか、再び真横で声が聞こえた。
「おかしいな、幽霊がボックスシートを占領してる」
列車に乗った経験がないわけではない。しかしその全てが戦場へ向かうための乗車で、窓の外を見るのは大まかな地形を把握するもので、決して風景を感じるためではなかった。なので、景色を楽しむという感覚がどういったものなのか、よく分からない。万が一に備え、見えた地形がどんなものだったのか記憶しなければならないのではないか、そんな風に思えてくる。その土地に戦意は感じられないにも関わらず、鎧すら身に着けていないのに。
白いブラウスに、緑のロングスカート。騎士という身分で行くからにはそれ相応の華美な装いで、という私には理解出来ない言い様で着させられた服である。普段鋼鉄と肌着しか身に着けない私にはとても不釣り合いで、むずがゆい。短刀すら貫通する、布地の衣服。不安が喉元を締め付けてきて、苦しい。防具のない移動というのは、こんなに私を翳らせるのかと。マントのフードを深く被り直すくらいでは拭いきれないくらいの影が、雨雲めいて広がる。なので、別のことを考えて紛らわせることにしよう。そう考えて、列車に揺られながらゆっくりと思考を巡らせる。
私がそれまで暮らしていたフリストレール国、その首都ルユ。大した記憶はないが、それでも二十年過ごした場所だ。去ることに何も思わないかと言えば、それは嘘になる。別に愛国者というわけではなく、戦えと命令されたから守っていた、というだけ。土地に愛着もない、と思う。ただ、この国に私は拾われた。赤子のときに孤児として拾われ、そして五歳から兵士として生きることを運命づけた、私の故郷だ。生まれを誹られようが、髪の色を蔑まれようとも。私が帰る郷里はここしかない。この街しか、私は知らない。その点で、ルユは私の中ではある種の特別な町である。そんな場所を離れろと言われたのだから、それは魂を引き剝がされる気持ちにもなるだろう。まさか少しでも、後ろ髪を引かれる気持ちが私にあるなんて。
兵士としては汎用だった。為すべきときに為す。やれと言われたことをやるだけの存在。大して振り返る意味はない、戦っていただけの記憶。しかし、それしか能がない。それしか知らない。
気を紛らわすために私を振り返ったが、薄っぺらい人生だと改めて確認しただけだった。思い起こす事も然程多くはない。ただ人を殺していた。やれと言われたから。
窓の外に見える景色のほうがよっぽど色味がある。赤か、黒か。私のこれまでに彩を付けるなら、きっとその二つのどちらかだろう。血潮に塗れた手で暗闇を彷徨う。これまでも、そしてこれからも。
これまでを顧みることをやめた、途端。木々や草原、山々のシルエットが切り絵のようにゆき過ぎる。いま、いくつ駅を越えただろうか。気が付けば閑散としていた車内には人が幾人もいて、少なくとも最低一つは駅を通り過ぎたのは間違いない。私が記憶に浸ることをやめたのも、声が思考を遮ったからだ。
「失礼」
という、私のすぐそばで発せられた声が。
とはいえ、それが私に向けて言った言葉だとはそのときは思わなかった。さきほど考えた通り、わざわざ私の前に座る必要はないだろうと。そのため、反射的にその声の主を確認しただけのつもりだった。棘のように降りかかってくる、彼女の眼。もちろん彼女とは初対面で、恨みを買うような行いもしていない。そう感じたのはきっと、彼女の銀色の髪が私自身を連想させたからだろう。白銀はフリストレールの国民が持つ髪色ではない。この国にその色は私しかいない。なので一瞬私が見つめているのかと思って、思考が真っ暗になりかけたが、さっと気持ちを引き締める。私がもう一人いるなんて、あるわけない。彼女の顔は照り輝いているように綺麗で、まぶしささえ感じさせる。その点だけで、同じ系統の髪色だというのに私と彼女は大きく違っていた。
「向かいの席は空いているかしら」
そう言われて、車両の中をぐるりと見渡す。どうやら満員というほどではないが、どのボックスシートにも人が座っているようで、なるほどこの向かい席にやって来るのにも道理である。
「はい、空いていますが」
「座っても?」
断る理由もないため、首肯する。しかし申し訳ないことに、この席の荷物棚には既に私の大荷物が鎮座している。従ってその手に持ったアタッシュケースは隣に置いてもらう他ないわけだが。その旨を伝えたところ、彼女は納得したように分かったと答えた。
改めて、目の前に座った彼女の貌を窺う。ちらりと電光のように、あくまで盗み見るように。男の兵に囲まれて生きてきたため、美に対する選定眼などなく所感ではあるが。彼女は美しい女性だと思う。涼しく刺すような切れ長の目と背中まで伸びた銀髪が、得も言われぬ存在感を放つ。ドレスを模したしっかりとした造りの水色のワンピースは、家柄なのか品の良さを感じさせる。
なによりその髪色を何の負い目もなく晒す、光に満ちたその表情が、私には甚だ分からなかった。どこか遠くからの観光客だろうか。私を貶めるものの一つである白銀という髪色、それが彼女にとっては気にも留めない存在なのだと。
分からない。知れず、私はいつの間にか彼女のことを瞬きもしないで眺め入っていた。見つめるという意識すらしておらず、凝視していると気づいたのは直接彼女から問われたときだった。
「何か顔に付いているかしら」
さーっと頭の中に稲妻が走る。まさか指摘されるまで、自分の行いに気付かないなんて。相手に不信感を与えたことも相まって、兵士として浅はかにもほどがある。もし上官の前であったら、即座に体罰が発生するほどの失態だ。
「いえ、そのようなことは」
言いながら、どう躱すべきなのか分からず視線を逸らした。軍であれば顔面に一撃を貰えばそれで終わりなのだが、流石にそんなことを行う外見には見えない。
「あなたが見ていたのは、これでしょう?」
そう後ろ髪を掻き上げる。私には決して出来ない所作。その姿はどこか花弁が散っているようで、儚さすら感じさせた。どうして、その髪色を以て堂々と振舞えるのか。羨ましい、妬ましいという感情ではなく、ただ単純に分からない。
「珍しいかしら」
「はい、フリストレールは茶色の髪色が多いです」
「ああ、それで先ほどから視線を感じるのね」
奇異の目などどこ吹く風、という態度。ならさきほどから聞こえる吐息のような私語(ささやき)も、気にしてはいないのだろう。
「確かにわたしの国でも少し珍しいけど、関係ないわ。これがわたしなのだから、侮辱できる権利なんて誰にもありはしないのよ」
分からない。まるで異世界の言語のようで、私は返せる言葉すらなかった。分からないなら暴力で解決してしまえばいいという元上官からの教えは、この場では通用しない。
そしてもしかしたら自分の髪へ興味が出るのではないかという恐れから、私は押し黙った。フードをしているため、不自然さが彼女に生まれてもおかしくない。だから、意図的に沈黙する。いったん言葉が途切れると、まるで会話なんてなかったかのように沈黙がボックスシートに重く腰を据えた。
彼女とはこれっきりの相対だ、蟠りが残ることなど考慮する必要はない。分からないことは考えても分からないのだから、仕方がないだろう。
しかし沈黙が生まれたことにより、囁き声が蘆の葉に渡る風のようにどこからともなく起こる。奇異の目、彼女の銀髪を誹る声。私には最早慣れたもので空気のようなものなのだが、彼女はどうだろう。さきほどの口ぶりからして、あまり気にしてはいないだろうが。
木の葉がざわつくような背景音楽。絶えず起きるざわめきに、飽きないないのかと呆れながら、車窓の外を眺める。飛び去る景色は何もかもが速く、詳しい地形は把握出来ない。草原が、木々が、畦道が、そしてその先に見える水平線が来ては飛び去る。そうして風景を眺め続けてどれほど経ったか、再び真横で声が聞こえた。
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