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内裏のもののけと眠り式神
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平安京―
政治の中枢となる大内裏。
そして、帝が住まう内裏の後宮。
夜も更けて、世間では恋の駆け引きも始まるころ。
1人の若い新参者の女官がある物音で目を覚ました。
恋人でも来たのだろうか?
と、袿を羽織り物音のする部屋へ向かってみる。
妻戸が少し開いていたので、そっと体を滑り込ませて中に入った。
室内は暗い。
ゆっくりと部屋の中を進んでいく。
薄暗がりの中、足元にコツンと何かがぶつかった。
かがんで触ってみると、木か紙の感触だった。
目が暗闇に慣れてきたのか、薄っすらと部屋の様子が分かってきた。
どうやら、巻物や書物が床に転がっているようなのだ。
目の前の几帳に目を向けると、几帳からはみ出た、巻物の端がゆらゆらと揺れている。
誰かが几帳の向こうで巻物を読んでいるかのようだ。
「誰かおるのか?」
恐る恐る声をかけてみると、ゆらゆらと揺れていた巻物がピタリと止まった。
女官が身を固くした次の瞬間、几帳の布がフワリと揺れると、1人の男の童子が現れた。
手には巻物を持っている。
その姿を見て、女官は息を飲んだ。
その童子は、水干姿で髪もきちんと結い上げられていて、
高貴な雰囲気といい、まるでその場だけ輝いているようだったのだ。
女官は、どこかの宮様のように感じてしまい、
「こんな夜分遅くにどこの宮様ですか?」
と声をかけた。
童子は、フッと微笑みを浮かべた。
「龍宮殿…」
童子の口からこぼれる鈴の鳴るような美しい声音に、若い女官は一瞬うっとりとしてしまった。
童子はその隙に、巻物を床に置くと、そっと女官の脇をすり抜けて、妻戸からするりと出て行ってしまった。
ハッとなった女官もすぐ後を追ったが、妻戸の外の簀子縁には誰の姿も無い。
しばらくキョロキョロとして、
「はて?」
と思う。
よくよく考えたら内裏の後宮には龍宮殿などという所は無いではないか。
部屋を振り返ると、書物と巻物だけが転がったままになっていた。
「もののけ…」
青ざめて慌てて自分の局に戻って、同僚達を起こした。
その後、後宮では大騒ぎになってしまった。
翌日―
衣冠姿の二人の男が内裏内の渡殿をゆったりと歩いている。
神妙な顔でため息をつくのは忠保である。
その隣に従うのは、雪明。
昨夜、陰陽頭である忠保は、早馬で来た使いの者にたたき起こされたのだ。
後宮のもののけ騒動として密かに解決せよと、帝からの直々の依頼であった。
忠保は寝不足の頭でも、しっかりと占いを立てた。
結果的に現れたのは、光の星だった。
「悪い存在では無いようだ…」
すぐに紙に書き写していると、何事かと目を覚ましたあやめが横から覗き込んできた。
「忠保様、何事でしょうか?」
「ああ、ちょっとした事件です、たいしたことでは無いと思います、あなたはまだ休んでいてください」
忠保は安心させるようにつぶやくと、自分はまた筆をとり、細長い紙に何やら書き込んでいく。
外は明るくなってきていて、また眠る気にもなれないから、念のため魔除けの霊符も用意することにしたのだ。
そして今、朝早くから参内して、たまたま宿直だった雪明と合流して、共に、調査を開始するところだった。
二人で書物や巻物の散らかったその部屋に行き様子を調べて、昨夜の童子を見た女官から話を聞いた。
身辺に何も無かったことや、無くなった物も無いことから、騒ぐに値しない通りすがりのもののけのいたずらでしょうと判断した。
もちろん、部屋の壁の四方には魔除けの霊符を貼り、二人で祓えの儀式も行っておいた。
それからは、帝の心痛にならないようにと、直ぐに占いの結果と共に報告書を託した。
一通り仕事を終えて、帰りの牛車の中。
「はあー…」
忠保はまたも、ため息…
同乗した雪明は苦笑している。
「お前は知っていたのだろう?」
「おっしゃる通りです」
「宿直だったのなら、事の成り行きも分かっているのだろう?」
「はい」
忠保は苦虫を噛み潰したような顔になった。
先ほどの部屋には、ある気配が残っていたのだ。
分かる人間にしか分からない「気」という存在だ。
「あやめはね、私と共に眠っていたよ」
「はい」
「なのに、何故、赤山大明神様の気配があの部屋にあるんだ?」
「はい」
「聞いているのだろ? 赤山大明神様から」
「はい」
忠保は、また私だけ知らないことか…とちょっとすねたような表情をした。
「龍様が言うには、内裏内を歩いてみたくなっただけで騒ぎにしようとは露にとも思っていらっしゃらなかったと」
「しかし、あやめの中から抜け出してこの騒ぎになった…、人型をとると麗人のような光る存在になってしまうんだな」
「まあ、ある意味、もののけですから…」
「そうだけどな」
「あやめ、変なこと言っていませんでしたか?」
雪明は扇で口元を隠した。
忠保はちょっと上目づかいに雪明を睨む。
「最近、忠保様が二回帰って来るって言われたよ」
「弟の忠國様、双子のようにそっくりですもんね」
「私が帰宅すると眠っていることが多いから、おかしいなとは思っていたんだ」
雪明はパラリと扇を開くと、
「そういう術の使い方はよろしくありませんけど、忠國様のご意見もきちんと聞いておいた方がよろしいかと、ああ、あと、光忠様のご意見も…」
「ええ! 光忠も関わっているのか」
「私が龍様から聞いたところによると、あの、そのう…」
雪明はちょっと顔を赤らめた。
「いいから言ってみなさい」
忠保が促すと、
「せ…接吻することで鋭気がみなぎるそうです」
密やかに小声で言う。
「やはりな…」
忠保は、うつむき加減で深く息を吐いた。
「分かりますか?」
「そりゃあ、私の妻だからな」
忠保もあやめに初めて口づけた時に感じていたのだ。
なんかわからないけど、元気がみなぎってくるな、という事を。
以前、赤山大明神様と対峙した時に言っていた事を思い浮かべる。
『私と同じ御霊を持つものよ…』
陰陽の龍神だけあって、陰陽道のパワーまで高めてくれる、ありがたい存在なのだろう。
だからと言って、自分の妻が他の人間と口づけするなどとは、許せないではないか。
「龍様も茶目っ気がありますよね」
「あやめの体から抜け出して内裏でフラフラするなんて、やり過ぎだろ!」
「まあ、帝も納得してくださったようだし、やれやれって所でしょうかねぇ」
雪明が言うと、忠保は扇を開いて顔に持っていき、苦笑しながら深くため息をついた。
政治の中枢となる大内裏。
そして、帝が住まう内裏の後宮。
夜も更けて、世間では恋の駆け引きも始まるころ。
1人の若い新参者の女官がある物音で目を覚ました。
恋人でも来たのだろうか?
と、袿を羽織り物音のする部屋へ向かってみる。
妻戸が少し開いていたので、そっと体を滑り込ませて中に入った。
室内は暗い。
ゆっくりと部屋の中を進んでいく。
薄暗がりの中、足元にコツンと何かがぶつかった。
かがんで触ってみると、木か紙の感触だった。
目が暗闇に慣れてきたのか、薄っすらと部屋の様子が分かってきた。
どうやら、巻物や書物が床に転がっているようなのだ。
目の前の几帳に目を向けると、几帳からはみ出た、巻物の端がゆらゆらと揺れている。
誰かが几帳の向こうで巻物を読んでいるかのようだ。
「誰かおるのか?」
恐る恐る声をかけてみると、ゆらゆらと揺れていた巻物がピタリと止まった。
女官が身を固くした次の瞬間、几帳の布がフワリと揺れると、1人の男の童子が現れた。
手には巻物を持っている。
その姿を見て、女官は息を飲んだ。
その童子は、水干姿で髪もきちんと結い上げられていて、
高貴な雰囲気といい、まるでその場だけ輝いているようだったのだ。
女官は、どこかの宮様のように感じてしまい、
「こんな夜分遅くにどこの宮様ですか?」
と声をかけた。
童子は、フッと微笑みを浮かべた。
「龍宮殿…」
童子の口からこぼれる鈴の鳴るような美しい声音に、若い女官は一瞬うっとりとしてしまった。
童子はその隙に、巻物を床に置くと、そっと女官の脇をすり抜けて、妻戸からするりと出て行ってしまった。
ハッとなった女官もすぐ後を追ったが、妻戸の外の簀子縁には誰の姿も無い。
しばらくキョロキョロとして、
「はて?」
と思う。
よくよく考えたら内裏の後宮には龍宮殿などという所は無いではないか。
部屋を振り返ると、書物と巻物だけが転がったままになっていた。
「もののけ…」
青ざめて慌てて自分の局に戻って、同僚達を起こした。
その後、後宮では大騒ぎになってしまった。
翌日―
衣冠姿の二人の男が内裏内の渡殿をゆったりと歩いている。
神妙な顔でため息をつくのは忠保である。
その隣に従うのは、雪明。
昨夜、陰陽頭である忠保は、早馬で来た使いの者にたたき起こされたのだ。
後宮のもののけ騒動として密かに解決せよと、帝からの直々の依頼であった。
忠保は寝不足の頭でも、しっかりと占いを立てた。
結果的に現れたのは、光の星だった。
「悪い存在では無いようだ…」
すぐに紙に書き写していると、何事かと目を覚ましたあやめが横から覗き込んできた。
「忠保様、何事でしょうか?」
「ああ、ちょっとした事件です、たいしたことでは無いと思います、あなたはまだ休んでいてください」
忠保は安心させるようにつぶやくと、自分はまた筆をとり、細長い紙に何やら書き込んでいく。
外は明るくなってきていて、また眠る気にもなれないから、念のため魔除けの霊符も用意することにしたのだ。
そして今、朝早くから参内して、たまたま宿直だった雪明と合流して、共に、調査を開始するところだった。
二人で書物や巻物の散らかったその部屋に行き様子を調べて、昨夜の童子を見た女官から話を聞いた。
身辺に何も無かったことや、無くなった物も無いことから、騒ぐに値しない通りすがりのもののけのいたずらでしょうと判断した。
もちろん、部屋の壁の四方には魔除けの霊符を貼り、二人で祓えの儀式も行っておいた。
それからは、帝の心痛にならないようにと、直ぐに占いの結果と共に報告書を託した。
一通り仕事を終えて、帰りの牛車の中。
「はあー…」
忠保はまたも、ため息…
同乗した雪明は苦笑している。
「お前は知っていたのだろう?」
「おっしゃる通りです」
「宿直だったのなら、事の成り行きも分かっているのだろう?」
「はい」
忠保は苦虫を噛み潰したような顔になった。
先ほどの部屋には、ある気配が残っていたのだ。
分かる人間にしか分からない「気」という存在だ。
「あやめはね、私と共に眠っていたよ」
「はい」
「なのに、何故、赤山大明神様の気配があの部屋にあるんだ?」
「はい」
「聞いているのだろ? 赤山大明神様から」
「はい」
忠保は、また私だけ知らないことか…とちょっとすねたような表情をした。
「龍様が言うには、内裏内を歩いてみたくなっただけで騒ぎにしようとは露にとも思っていらっしゃらなかったと」
「しかし、あやめの中から抜け出してこの騒ぎになった…、人型をとると麗人のような光る存在になってしまうんだな」
「まあ、ある意味、もののけですから…」
「そうだけどな」
「あやめ、変なこと言っていませんでしたか?」
雪明は扇で口元を隠した。
忠保はちょっと上目づかいに雪明を睨む。
「最近、忠保様が二回帰って来るって言われたよ」
「弟の忠國様、双子のようにそっくりですもんね」
「私が帰宅すると眠っていることが多いから、おかしいなとは思っていたんだ」
雪明はパラリと扇を開くと、
「そういう術の使い方はよろしくありませんけど、忠國様のご意見もきちんと聞いておいた方がよろしいかと、ああ、あと、光忠様のご意見も…」
「ええ! 光忠も関わっているのか」
「私が龍様から聞いたところによると、あの、そのう…」
雪明はちょっと顔を赤らめた。
「いいから言ってみなさい」
忠保が促すと、
「せ…接吻することで鋭気がみなぎるそうです」
密やかに小声で言う。
「やはりな…」
忠保は、うつむき加減で深く息を吐いた。
「分かりますか?」
「そりゃあ、私の妻だからな」
忠保もあやめに初めて口づけた時に感じていたのだ。
なんかわからないけど、元気がみなぎってくるな、という事を。
以前、赤山大明神様と対峙した時に言っていた事を思い浮かべる。
『私と同じ御霊を持つものよ…』
陰陽の龍神だけあって、陰陽道のパワーまで高めてくれる、ありがたい存在なのだろう。
だからと言って、自分の妻が他の人間と口づけするなどとは、許せないではないか。
「龍様も茶目っ気がありますよね」
「あやめの体から抜け出して内裏でフラフラするなんて、やり過ぎだろ!」
「まあ、帝も納得してくださったようだし、やれやれって所でしょうかねぇ」
雪明が言うと、忠保は扇を開いて顔に持っていき、苦笑しながら深くため息をついた。
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