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秋人
漆 垂り雪
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「美冬、父様をお願いね」
そう僅かに笑んで、様々な感情が混濁しながらも美しい瞳は二度と開かれることはなかった。
葬儀の日に舞う初雪は世界を白く塗り替えていく。屋敷の色は白と黒ばかり。
主人が不在の中、全てを取り仕切る執事は慌ただしくしていた。美冬と秋人は何もできずに座っていただけだ。
埋葬も終え、きんと冷えた静寂が満ちている。参列者の足跡が消えた後、石畳からはずれた場所に足跡ができた。秋人はそれを追う。
黒い服を来た美冬が見上げているのは梅だ。自分達の背をわずかに超えるだけの低い木にも等しく雪が積もっていた。
花族に伝わる習わしで、産声を上げた赤子のために一族の神花を植えるというものがある。一年で終わるものは残された種を毎年植え続け、季節を繰り返すものは手をかけて成長を見守られた。神花と同じ時を過ごした者が家を出る際や嫁ぐ際には家財道具と一緒に送り出され、新たな地に根をはる。神に花を与えられた時から続く風習らしい。
母が嫁いだ日、彼女と共に時を歩む梅も植えかえられた。入り口近くにあるのは、皆を出迎えたいと母が言ったからだ。胸を張って秋人に言い聞かせた美冬はその木にだけは決して上らなかった。
「花は、まだね」
風にかき消されそうな小さな声は誰に聞かせるでもなく雪に吸われていく。
吐息をこぼした白い顔からは、あらゆる感情が抜け落ちていた。泣くことも、嘆くことも、叫ぶこともしない痛々しい姿は、秋人の心も震えさせる。
何をしたらいいのか、何を言ったらいいのか。秋人の答えは出ず、無力な自分を殴り倒したい。護衛と名乗った匠にも、唐突に現れた異邦人にも立ち向かえるようになるだろうか。
自分はあまりにも非力で無能だ。彼女を守るのに十分な力を持てたら、ゆるがない自信を持てたら、目の前の背にかける言葉が見つかるような気がする。
「どなたか、亡くなったのでしょうか」
唐突に響いた声に、秋人はすばやく身構え、美冬はゆっくりと振り替えった。
春の空を切り取ったようなガラスの瞳を持った男が立っている。
「声をかけるか、迷ったのですが、手を合わせるぐらいはさせていただけないかと思いまして」
独特の調子で話す異邦人は申し訳なさそうにしている。鼻や目元は真っ赤に色付き、帽子と肩には雪が降り積もっていた。ぎこちなくはにかむ様は同情を誘う。
あまりにも間が悪い。喪に服している上に、雪が降る道を来る必要があったのか。
母のことに手をとられ返信を控えていたので、また押し掛けてきたのだろう。執事は手紙の内容を母にだけ見せていたが、母は首を縦には振らなかった。何も言われなかったが、秋人の力を解明したいのだろうと簡単に想像がついた。何処かの誰かと同じように気になったら止まれないのかもしれない。
前回、彼を突き返した伯母は屋敷を出ていた。しばらくの間は顔を出すと言っていたが、泊まり込むことはもうないだろう。
「母が亡くなりました。よろしければ、手を合わせて行ってください」
秋人は気丈に答えた方へ振り返る。凪いだ瞳に口元だけが笑った顔がそこにあった。
わずかに目を見張る異邦人は追求をせず、歩き出した美冬に続いて屋敷に進む。執事の姿は見えず、代わりに美冬が仏間まで案内した。
美冬に作法を習った異邦人は最後に手を合わせ、じっと仏壇を眺める時間が続く。真っ直ぐのびた背は微動だにしない。対話でもするかのように一心不乱に向かう姿は不審な行動にも関わらず、声をかけさせない空気をまとっている。
線香の半分に差しかかるまで時間が過ぎ、部屋の外から美冬を呼ぶ声が聞こえた。 襖の間から眉を八の字にした執事が美冬を部屋から呼び出しても、異邦人は振り返りもしない。
二人だけになった空間で、秋人は異邦人を観察する。見慣れない金髪は絹糸のように繊細で、それだけで華やかに見せた。丈がある分、背中は縦に広く、貧弱さは感じられない。
痩せぎすで骨も太くない秋人は心の端で羨望が芽吹くのを感じた。岩のように動かない背中は、美冬の背ばかりを追う自分とは大違いだ。強い眼差しを守るには、あの護衛よりも、この異邦人よりも力がいる。方法を選んでる場合ではない。
「……異能を使えますか」
混濁した思考のまま、秋人は呟いていた。
異邦人は仏像のように動かない。
決意もなく、ついこぼれた言葉に秋人は後悔し始めた。
雪の日の静寂な時間が過ぎていく。
微動だにしなかった背が思い出したように振り返り、ガラス玉のような瞳が現れる。神聖な宝珠を思わせるような青い一対は真剣みを帯びていた。
「異能は使えませんが、原理は理解していると思います。貴方は使えますよね。私はそれが知りたくて来ました」
「……使える、とは言えません」
「使えるようになりたいのですね?」
言い逃れできない瞳に捕まり、秋人は頷いていた。
興味深そうに細められた目は、底との距離がつかめない澄んだ川のようだ。
「保証はできませんが、協力は惜しみません」
異邦人はその言葉と共に小さな紙切れを秋人に指し出した。
白い紙には名前と住所が印されている。タイプライターで打たれた字は規則正しく並んでいた。
固く調った字を見つめる秋人はなかなか手を出さない。
「ここに来れば、必ず私と連絡がつきます。決心がついたら来てください」
穏やかに続いた言葉を聞き、秋人の指が動く。
この話を絶対に受けなくてもいいとも取れて、秋人は名刺の端をつまんで受け取った。差し出した手を戻し、太ももの上で両手で持つ。名前は、フィン・ミアカーフと捺され、下には異国の文字も印されていた。住所は行ったことのない場所だ。
緊迫した空気はひどく吸いづらい。
廊下から気配を感じた秋人は考えるよりも先にポケットに紙をねじ込んだ。
「すみません、お待たせしました。他にもお客様がいらっしゃったみたいで」
「では、私はお暇します」
顔を見せた美冬に異邦人はやわらかく笑って、腰を上げる。
二人は彼を玄関まで見送り、傘を貸すと申し出た。すでに耳を赤くした異邦人に手を振って断られる。
帽子を軽く上げた異邦人は美冬を、そして秋人を見た。
「では、また」
吸い込まれそうな瞳に見つめられ、秋人は身動きが取れなくなってしまった。美冬が礼を取る間も、呆然と小さくなる背を瞳に映す。
「何かあったの?」
顔を上げた美冬は眉間にしわを寄せて訊いた。
「特には」
それ以上は答えをしぶる秋人に興味が失せたのか、もともとなかったのか美冬は次の客に会うために廊下を歩き始める。
彼女の気まぐれは常に読めないので、助かったと秋人は心の中だけで息をついた。秋人自身、異邦人の提案にのるかどうか、迷っている。受けると決めても事実を美冬に話すわけにはいかず、怪しまれることは確実だ。
美冬は奔放なようで目端がきく。
秋人は美冬の側を離れることにもなり、使いの時間だと誤魔化すのも難しい。さらに見落とせないのは、秋人が置かれている状況だ。世話になってる身の上、主人である父の許可もいるだろう。悩み種はいくらでもある。
考え事をしながらも、無意識でも美冬についていける自分に気付いたのは、廊下の半分を過ぎてからだ。秋人は心底驚いたが、顔の使い方に疎いので表面には出なかった。
縁廊下にさしかかり、視界が開ける。ガラス越しに見える景色に一本の煙が立ち上っていた。強い風もなく斜めにのびたそれは、汽車のものだろう。天近くまでのびた煙は、空に覆う曇天のような色をしていた。
足を止めた美冬の息がかかり、ガラス戸が白くくもる。秋人の位置からは顔が見えず、こちらが心配する程に息は細い。
「早く、父様が帰ってこないかしら」
戸に淡く映る表情はガラスのせいか歪んで見えた。
家族が恋しいという感覚は秋人にはない。生まれてもいない気がする。想像もできない秋人だが、理由は違えど美冬と願うことは一緒だ。己の進む道について、父の意見を聞きたい。
雪の重さに耐えきれなかった枝が折れ、地に落ちる。埋葬の時に同じものを見た伯母は真っ赤な目で遠くを見つめ、垂り雪ねと呟いていた。
雪はやみそうにない。
あの梅は大丈夫だろうかと気がかりになり、曇天のような瞳は再び歩み始めた背を追いかける。
秋人は折れないでほしいと願ってしまった。
そう僅かに笑んで、様々な感情が混濁しながらも美しい瞳は二度と開かれることはなかった。
葬儀の日に舞う初雪は世界を白く塗り替えていく。屋敷の色は白と黒ばかり。
主人が不在の中、全てを取り仕切る執事は慌ただしくしていた。美冬と秋人は何もできずに座っていただけだ。
埋葬も終え、きんと冷えた静寂が満ちている。参列者の足跡が消えた後、石畳からはずれた場所に足跡ができた。秋人はそれを追う。
黒い服を来た美冬が見上げているのは梅だ。自分達の背をわずかに超えるだけの低い木にも等しく雪が積もっていた。
花族に伝わる習わしで、産声を上げた赤子のために一族の神花を植えるというものがある。一年で終わるものは残された種を毎年植え続け、季節を繰り返すものは手をかけて成長を見守られた。神花と同じ時を過ごした者が家を出る際や嫁ぐ際には家財道具と一緒に送り出され、新たな地に根をはる。神に花を与えられた時から続く風習らしい。
母が嫁いだ日、彼女と共に時を歩む梅も植えかえられた。入り口近くにあるのは、皆を出迎えたいと母が言ったからだ。胸を張って秋人に言い聞かせた美冬はその木にだけは決して上らなかった。
「花は、まだね」
風にかき消されそうな小さな声は誰に聞かせるでもなく雪に吸われていく。
吐息をこぼした白い顔からは、あらゆる感情が抜け落ちていた。泣くことも、嘆くことも、叫ぶこともしない痛々しい姿は、秋人の心も震えさせる。
何をしたらいいのか、何を言ったらいいのか。秋人の答えは出ず、無力な自分を殴り倒したい。護衛と名乗った匠にも、唐突に現れた異邦人にも立ち向かえるようになるだろうか。
自分はあまりにも非力で無能だ。彼女を守るのに十分な力を持てたら、ゆるがない自信を持てたら、目の前の背にかける言葉が見つかるような気がする。
「どなたか、亡くなったのでしょうか」
唐突に響いた声に、秋人はすばやく身構え、美冬はゆっくりと振り替えった。
春の空を切り取ったようなガラスの瞳を持った男が立っている。
「声をかけるか、迷ったのですが、手を合わせるぐらいはさせていただけないかと思いまして」
独特の調子で話す異邦人は申し訳なさそうにしている。鼻や目元は真っ赤に色付き、帽子と肩には雪が降り積もっていた。ぎこちなくはにかむ様は同情を誘う。
あまりにも間が悪い。喪に服している上に、雪が降る道を来る必要があったのか。
母のことに手をとられ返信を控えていたので、また押し掛けてきたのだろう。執事は手紙の内容を母にだけ見せていたが、母は首を縦には振らなかった。何も言われなかったが、秋人の力を解明したいのだろうと簡単に想像がついた。何処かの誰かと同じように気になったら止まれないのかもしれない。
前回、彼を突き返した伯母は屋敷を出ていた。しばらくの間は顔を出すと言っていたが、泊まり込むことはもうないだろう。
「母が亡くなりました。よろしければ、手を合わせて行ってください」
秋人は気丈に答えた方へ振り返る。凪いだ瞳に口元だけが笑った顔がそこにあった。
わずかに目を見張る異邦人は追求をせず、歩き出した美冬に続いて屋敷に進む。執事の姿は見えず、代わりに美冬が仏間まで案内した。
美冬に作法を習った異邦人は最後に手を合わせ、じっと仏壇を眺める時間が続く。真っ直ぐのびた背は微動だにしない。対話でもするかのように一心不乱に向かう姿は不審な行動にも関わらず、声をかけさせない空気をまとっている。
線香の半分に差しかかるまで時間が過ぎ、部屋の外から美冬を呼ぶ声が聞こえた。 襖の間から眉を八の字にした執事が美冬を部屋から呼び出しても、異邦人は振り返りもしない。
二人だけになった空間で、秋人は異邦人を観察する。見慣れない金髪は絹糸のように繊細で、それだけで華やかに見せた。丈がある分、背中は縦に広く、貧弱さは感じられない。
痩せぎすで骨も太くない秋人は心の端で羨望が芽吹くのを感じた。岩のように動かない背中は、美冬の背ばかりを追う自分とは大違いだ。強い眼差しを守るには、あの護衛よりも、この異邦人よりも力がいる。方法を選んでる場合ではない。
「……異能を使えますか」
混濁した思考のまま、秋人は呟いていた。
異邦人は仏像のように動かない。
決意もなく、ついこぼれた言葉に秋人は後悔し始めた。
雪の日の静寂な時間が過ぎていく。
微動だにしなかった背が思い出したように振り返り、ガラス玉のような瞳が現れる。神聖な宝珠を思わせるような青い一対は真剣みを帯びていた。
「異能は使えませんが、原理は理解していると思います。貴方は使えますよね。私はそれが知りたくて来ました」
「……使える、とは言えません」
「使えるようになりたいのですね?」
言い逃れできない瞳に捕まり、秋人は頷いていた。
興味深そうに細められた目は、底との距離がつかめない澄んだ川のようだ。
「保証はできませんが、協力は惜しみません」
異邦人はその言葉と共に小さな紙切れを秋人に指し出した。
白い紙には名前と住所が印されている。タイプライターで打たれた字は規則正しく並んでいた。
固く調った字を見つめる秋人はなかなか手を出さない。
「ここに来れば、必ず私と連絡がつきます。決心がついたら来てください」
穏やかに続いた言葉を聞き、秋人の指が動く。
この話を絶対に受けなくてもいいとも取れて、秋人は名刺の端をつまんで受け取った。差し出した手を戻し、太ももの上で両手で持つ。名前は、フィン・ミアカーフと捺され、下には異国の文字も印されていた。住所は行ったことのない場所だ。
緊迫した空気はひどく吸いづらい。
廊下から気配を感じた秋人は考えるよりも先にポケットに紙をねじ込んだ。
「すみません、お待たせしました。他にもお客様がいらっしゃったみたいで」
「では、私はお暇します」
顔を見せた美冬に異邦人はやわらかく笑って、腰を上げる。
二人は彼を玄関まで見送り、傘を貸すと申し出た。すでに耳を赤くした異邦人に手を振って断られる。
帽子を軽く上げた異邦人は美冬を、そして秋人を見た。
「では、また」
吸い込まれそうな瞳に見つめられ、秋人は身動きが取れなくなってしまった。美冬が礼を取る間も、呆然と小さくなる背を瞳に映す。
「何かあったの?」
顔を上げた美冬は眉間にしわを寄せて訊いた。
「特には」
それ以上は答えをしぶる秋人に興味が失せたのか、もともとなかったのか美冬は次の客に会うために廊下を歩き始める。
彼女の気まぐれは常に読めないので、助かったと秋人は心の中だけで息をついた。秋人自身、異邦人の提案にのるかどうか、迷っている。受けると決めても事実を美冬に話すわけにはいかず、怪しまれることは確実だ。
美冬は奔放なようで目端がきく。
秋人は美冬の側を離れることにもなり、使いの時間だと誤魔化すのも難しい。さらに見落とせないのは、秋人が置かれている状況だ。世話になってる身の上、主人である父の許可もいるだろう。悩み種はいくらでもある。
考え事をしながらも、無意識でも美冬についていける自分に気付いたのは、廊下の半分を過ぎてからだ。秋人は心底驚いたが、顔の使い方に疎いので表面には出なかった。
縁廊下にさしかかり、視界が開ける。ガラス越しに見える景色に一本の煙が立ち上っていた。強い風もなく斜めにのびたそれは、汽車のものだろう。天近くまでのびた煙は、空に覆う曇天のような色をしていた。
足を止めた美冬の息がかかり、ガラス戸が白くくもる。秋人の位置からは顔が見えず、こちらが心配する程に息は細い。
「早く、父様が帰ってこないかしら」
戸に淡く映る表情はガラスのせいか歪んで見えた。
家族が恋しいという感覚は秋人にはない。生まれてもいない気がする。想像もできない秋人だが、理由は違えど美冬と願うことは一緒だ。己の進む道について、父の意見を聞きたい。
雪の重さに耐えきれなかった枝が折れ、地に落ちる。埋葬の時に同じものを見た伯母は真っ赤な目で遠くを見つめ、垂り雪ねと呟いていた。
雪はやみそうにない。
あの梅は大丈夫だろうかと気がかりになり、曇天のような瞳は再び歩み始めた背を追いかける。
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