君の唇がさよならと告げる前に

HAZZA

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旋律 4

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「…んんっ!…」

堅く閉じた唇をこじ開けようと八代の舌が朋の唇を彷徨う。熱いその動きの気持ち悪さにゾワっと肌が粟立ち、両手で八代の肩を押し返そうとしてもベースにぎりぎりと体を圧迫され力が入らない。
荒い息を吐きながら、唇を諦めた八代が朋の顎を掴む。

「なぁ…やろうぜ」

思い詰めたような表情で、その指先の震えが伝わってくる。身に覚えのある熱情に、でも絆される訳がない。
八代を睨み返す朋の視線から逃れるように目を逸らし朋のYシャツのボタンに伸びた手を、咄嗟に力一杯振り払って立ち上がると、ガタンと大きな音を立ててピアノ椅子が倒れた。

「ふ、ざけんなっ」
「ふざけてねぇよ」

八代が朋の襟元を掴み引き寄せた瞬間、朋の項でネックレスのチェーンが微かな音を立て、あっ…と小さく息を呑む朋の声よりも早く、シャランとそれが二人の足元に落ちた。

「…んだよ、これ」
「っっ!触んな!」

朋よりも早くそれを拾い上げた八代からネックレスを奪い取りピアノから離れた朋の腕を八代が掴む。伝わる痛みに顔を顰めて振り返り、眉根を寄せた八代の瞳に胸が傷んだのは、鏡に映る自分を見ているようだったからだ。

息を殺しても鳴り止まない鼓動。
海翔を想えば心の奥底に沈んでいるはずの不安が頭をもたげ、それでも求める気持ちは抑えきれず、ただ傍にいて抱きしめられたいと願う。
そんな瞳。

でも、八代の願いに応える事はできない。
海翔じゃないとダメなんだと痛烈に思い知った。

「彼氏とお揃いかよ」
「お前に関係ないだろ」
「あんなおっさんのどこがいいんだよ」
「煩い。離せよ」
「ずっと見てきた。諦るとか無理なんだよ」
「知るかよ。離せって!」

必死に八代の腕を振り払い背中を向けた瞬間、八代が後から朋の体を抱きしめ苦しげな声を絞り出すように朋の耳元で囁いた。

「どうすればいいんだよ…教えてくれよ」
「…だから、知らないって…」
「助けてくれよ…」
「八代…」

無理なものは無理だと伝えようと唇を動かした瞬間、ガチャガチャとドアのレバーが動き乱暴に扉が開かれた。

「…!?海翔?」
「朋!!」

ハァハァと肩で息をしている海翔の目がみるみるうちに怒りで塗り替えられえいく。ドンっと靴音を鳴らして腕を伸ばし、朋の体を自分の胸に抱き寄せた海翔の手が震えている。

 ああ…海翔だ…海翔の匂いだ…

間違いなく修羅場だというのに、朋の心が安らぎで満たされていく。
何故ここに?と問う必要もない。
僕は海翔のもので、海翔は僕のものだから。

「…んだよ、てめぇ。勝手に入ってくんじゃねぇ」
「こいつは俺のものだ。金輪際朋に近づくな」
「はぁ?何言ってんだよ。こいつの彼氏はあのオッサン…」
「違う」
「は?」
「違う。付き合ってるのはあの人じゃない。俺だ」
「海翔?何言って…んンッ…!」

海翔の言葉を取り繕おうと顔を上げた朋の唇に海翔の唇が重なる。荒々しく押し付けられた唇から這い出した舌が乱暴に朋の舌に絡みついてくる。それは初めて交わした口づけのように心臓を鳴らし、そして痛く心を締め付けた。

「…あれは嘘か?」

呆然と呟く八代の声が耳に届く。

「朋…大丈夫か?」

八代の呟きなど意に介さず、海翔が耳元で囁く。それは怒ってるはずなのに優しい口調で、朋の不安が大きく膨れ上がり思わず海翔の腕を強く掴んでしまった。

「…これ…」

不自然に握りしめた手に気づいた海翔が朋の手をそっと解き、千切れたネックレスに眉を顰める。

「ごめん…千切れちゃって…」
「本当に何もされてないんだよな?」
「うん…海翔…」

八代に抱きしめられている姿を見られ、千切れたネックレスに気付かれて、何を信じてくれと言えばいいのか。でも、本当なんだ。信じて、と言いたいのに馬鹿みたいに喉が震えて涙が込み上げてくる。
泣いたらもっと勘ぐられると分かっていても、朋の顔を覗き込む海翔の顔がぼんやりと滲んでいった。

「…泣くなって言っただろ」

朋をぎゅっと抱きしめ、ゆっくりと背中を擦る大きな手が離れてしまう前に二人でこの場から去らないと、僕たちは…

頬を伝う涙をグイグイと袖口で拭い、帰ろうと朋が伝えるよりも早く、海翔の温もりが離れてしまった。

「朋、先に帰れ」

朋に向けた背中が何かを決意している。
海翔を見つめる八代の威嚇するような表情を見れば、海翔がどんな顔で八代を睨みつけているのか想像するのは容易かった。

「嫌だ。海翔、帰ろう」
「いいから、早く行け」
「嫌だ!」
「朋!」

朋振り返ろうとした海翔の胸倉を掴んだ八代がニヤリと口角を上げて朋に視線を投げた。

「生徒会長さんは帰った方がいいぜ?」
「八代!お前っ!」
「殴り合いして問題になったら困るんじゃねぇの?」

確かにそうだと瞬時に思ってしまう自分の弱さを呪うしかなかった。
だが、冷静にと自分に言い聞かせながら思いつく最善の案はたった一つしか浮かばない。
悔しくて情けないけど、犬飼に助けを求めるしか。

グッと奥歯を噛み締めて床に置いたカバンを手に取った。
本当にいいのか?と、違う自分の問いかけを追い払うように頭を振り海翔の背中に囁いた。

「…帰るよ」
「あぁ…俺もすぐ追いかけるから」
「うん…」
「心配すんな」
「う…ん…」

震える声を悟られたくなくて、息を止めてスタジオのドアをすり抜ける。薄暗い廊下に出た瞬間駆け出した朋の背中で耳障りな音を立ててドアが締められる音が響き渡った。

    
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