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『狂気の天才、ボナパルト』
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一七六九年、地中海のコルシカ島において、一人の狂気の天才が生まれた。その名は、ナポレオン・ボナパルト。のちのフランス皇帝、ナポレオン一世だ。元々、生まれつき、今でいうところの統合失調症気味だったボナパルトは、フランス貴族で、修道院教育を経て、陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経、エリート軍人の道をたどる。成績優秀。切れ者で、抜群の頭脳と才覚。申し分ない。また、彼が修めた大砲は、のちに、フランスが、諸国に対して、侵略戦争を企てる際に、大きな威力を発揮した。ボナパルトは、砲兵科の生徒だったのだ。しかも、繰り返すように、優秀だった。国費で入り、抜群の成績で卒業。彼ほどの切れ者、強者はいない。
また、ボナパルトは、陣地を構築して、戦争を上手く運ぶことにおいて、天才的な素質を持っていた。これは、陸軍士官学校時代にも、磨いた技術の一つであった。また、書物を読むこともよくし、博学英才。申し分ない青年軍人だ。また、小説家としての活動も、若年期からやっていた。才能という意味では、誰にも引けを取らない人間だった。
一七九三年前後、ボナパルトが大尉に昇格した直後、ヨーロッパは、諸国がフランス政府に対して、第一次対仏大同盟を盟約しており、フランスは孤立していた。仮想敵国となっていたのだ。また、仏国内に、革命の嵐が吹き荒れ、大混乱に陥っていた。革命は、粛清に次ぐ粛清を行い、大量の処刑者を出した。
当時、制海権を握っていたイギリスが睨みを利かせ、オスマン帝国も健在で、フランスは、内外から、挟撃状態となっていた。いわゆる、挟み撃ち、包囲網ができていたのである。ボナパルトは、イギリスのホレーショ・ネルソンに大敗し、フランス艦隊は、壊滅的な打撃を受けた。
だが、悪運は強かったのだ。故国フランスにおいて、人民は、彼を歓迎し、クーデターを敢行して、統領政府を樹立、第一統領に就任する。その折、第二次対仏大同盟が成立、フランスは再び、窮地へと立たされた。
だが、そこで、ボナパルトは、第一統領となった権勢を使って、反転攻勢に出、ヨーロッパ諸国を次々と平定し、大占領政策を取る。また、かの有名なナポレオン法典を作り、内政面でも、尽力した。彼の功績は、殊更、軍事面においてだけではなかったのである。また、フランス銀行の設立にも尽力した。
そののちの征服戦争でも、敗北の経験はあったものの、悉く、勝利し、植民地なども随時獲得していき、帝国の版図を確実に広げていった。そして、ボナパルトにとって、最高の栄誉が訪れた。一八〇四年十二月二日、有名すぎるぐらい有名で、誰もが知る「ナポレオンの戴冠」が行われた。絶頂であった。これ以上、彼の人生において、絶頂はなかった。
ただ、以後、彼の運命は、ボールが坂を転げ落ちるように、転げ落ちていく。ヨーロッパ諸国が、第三次対仏大同盟を締結し、フランスを亡き者にしようとしたのだ。その大同盟は、締結の効を奏し、フランスは敗北に次ぐ敗北を繰り返す。そして、わずかな期間で、フランス帝国は崩壊、ボナパルトをめぐる状況も極度に悪化した。
そして、転げ落ちたボナパルトは自殺を企図したのち、失脚し、一八一五年、エルバ島を脱出、それからが、いわゆる百日天下だった。のち、彼はイギリス政府によって、セントヘレナ島に幽閉される。
最後に、一度は、帝国の最高位にまで上り詰めたこの男の死因を述べて、この短編小説を結ぶこととしよう。ボナパルトの遺体は解剖され、死因は、潰瘍とガンであって、胃ガンが直接の死因と公表されたが、ヒ素による暗殺の可能性もあったらしい。これが、人臣最高位を極めた男の最期であり、不幸極まりない結末でもあった。人の運命というのは、どうも分からないらしい。少なくとも、この男に関しては、それが着実に言える。そう言い添えて、この稿を結ぶこととする。
(了)
また、ボナパルトは、陣地を構築して、戦争を上手く運ぶことにおいて、天才的な素質を持っていた。これは、陸軍士官学校時代にも、磨いた技術の一つであった。また、書物を読むこともよくし、博学英才。申し分ない青年軍人だ。また、小説家としての活動も、若年期からやっていた。才能という意味では、誰にも引けを取らない人間だった。
一七九三年前後、ボナパルトが大尉に昇格した直後、ヨーロッパは、諸国がフランス政府に対して、第一次対仏大同盟を盟約しており、フランスは孤立していた。仮想敵国となっていたのだ。また、仏国内に、革命の嵐が吹き荒れ、大混乱に陥っていた。革命は、粛清に次ぐ粛清を行い、大量の処刑者を出した。
当時、制海権を握っていたイギリスが睨みを利かせ、オスマン帝国も健在で、フランスは、内外から、挟撃状態となっていた。いわゆる、挟み撃ち、包囲網ができていたのである。ボナパルトは、イギリスのホレーショ・ネルソンに大敗し、フランス艦隊は、壊滅的な打撃を受けた。
だが、悪運は強かったのだ。故国フランスにおいて、人民は、彼を歓迎し、クーデターを敢行して、統領政府を樹立、第一統領に就任する。その折、第二次対仏大同盟が成立、フランスは再び、窮地へと立たされた。
だが、そこで、ボナパルトは、第一統領となった権勢を使って、反転攻勢に出、ヨーロッパ諸国を次々と平定し、大占領政策を取る。また、かの有名なナポレオン法典を作り、内政面でも、尽力した。彼の功績は、殊更、軍事面においてだけではなかったのである。また、フランス銀行の設立にも尽力した。
そののちの征服戦争でも、敗北の経験はあったものの、悉く、勝利し、植民地なども随時獲得していき、帝国の版図を確実に広げていった。そして、ボナパルトにとって、最高の栄誉が訪れた。一八〇四年十二月二日、有名すぎるぐらい有名で、誰もが知る「ナポレオンの戴冠」が行われた。絶頂であった。これ以上、彼の人生において、絶頂はなかった。
ただ、以後、彼の運命は、ボールが坂を転げ落ちるように、転げ落ちていく。ヨーロッパ諸国が、第三次対仏大同盟を締結し、フランスを亡き者にしようとしたのだ。その大同盟は、締結の効を奏し、フランスは敗北に次ぐ敗北を繰り返す。そして、わずかな期間で、フランス帝国は崩壊、ボナパルトをめぐる状況も極度に悪化した。
そして、転げ落ちたボナパルトは自殺を企図したのち、失脚し、一八一五年、エルバ島を脱出、それからが、いわゆる百日天下だった。のち、彼はイギリス政府によって、セントヘレナ島に幽閉される。
最後に、一度は、帝国の最高位にまで上り詰めたこの男の死因を述べて、この短編小説を結ぶこととしよう。ボナパルトの遺体は解剖され、死因は、潰瘍とガンであって、胃ガンが直接の死因と公表されたが、ヒ素による暗殺の可能性もあったらしい。これが、人臣最高位を極めた男の最期であり、不幸極まりない結末でもあった。人の運命というのは、どうも分からないらしい。少なくとも、この男に関しては、それが着実に言える。そう言い添えて、この稿を結ぶこととする。
(了)
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