圏ガク!!

はなッぱち

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圏ガクの夏休み

冷蔵庫でトマトを

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「到着だ!」

 部屋の成り立ち(?)を推理していると、男は一番端の部屋の前で足を止め、ノックも何もなしに、いきなり扉を勢いよく開いた。何が出て来ても、冷静に対処出来るよう、入る前に心の準備をしておきたかったのに、そんな配慮は一切してもらえなかった。

「あぁあぁぁ! おれのラーメンがぁ!」

 大丈夫なんだろうなと、男の後頭部に視線を突き刺していると、突然奇声を上げてオレの腕を掴んだまま、部屋の中に突撃しやがった。

 扉を開けた瞬間から流れ出ていた、冷たい空気が充満した中へ飛び込むと、外の暑さで火照った体にその心地よさが襲いかかる。

 久しく感じていなかった文明の利器による涼。

 汗でべたつく肌すら、簡単に拭ってくれる憎い奴。

 エアコン万歳! クーラー万歳! 冷蔵庫万歳!

「山セン、なんでおれのラーメン勝手に食うんだよ!」

「なんでって、そこにラーメンがあるから。そこに放置されて刻々と汁を吸っている麺があるから」

 オレが心の中で万歳三唱している中、男は部屋にいた仲間に詰め寄っていた。香月が言っていた通り、オレを連れて来た男を含めて四人の姿が確認出来る。

 缶ジュースに口をつけながら、こちらを一瞥するや不機嫌そうに窓へと視線を向けた、香月たちを追い払ってくれた稲継先輩。

 その横では恐れていた相手……紛れもなく敵意を剥き出しにした、名前は覚えていないが、何度か絡まれた事のある顔が一つ。

 部屋に漂う腹の虫を刺激する匂いを放つ、インスタントのラーメンを美味しそうに啜る、オレを連れて来た男に『山セン』と呼ばれた、他の連中とは毛色の違う軟派な雰囲気のある奴。

 一言で言うなら、ちぐはぐ。四人の顔を一通り眺め思ったのは、それだった。二年で残留したのが、この四人だったと言うだけで、普段から連んでいる訳ではないのかも知れない。

「うわぁあ、もう汁しか残ってねーじゃんか! しかも汁も半分しか残ってない!」

 ラーメンを奪還出来たらしい男が、悲壮な声を上げる。

「麺がなければ、ショウキチお得意のトマトを食べればいいじゃない」

 ペロリと満足そうに唇を舐めた山センという男は、汁だけになったカップを大事に持っている男の肩を気安く抱くと、馬鹿にしたようにも聞こえる軽やかな笑い声を上げた。

 悔しがりながらも残ったラーメンの汁を飲み始めた男に放置され続けるオレは、この部屋の居たたまれない現状に、暑さから隔離された中でありながら、背中に嫌な汗を感じていた。

 これは、もしかしなくとも、オレから口を開かなければならないんだろうか。一体全体、何を言えばいいのか、考えれば考えるほどに分からなくなっていく。

 稲継先輩には、さっき助けて貰った礼を言うつもりなのだが、その手前から威嚇のような視線を向けて来る奴が居るのを先にどうにかしないと、そいつをシカトする形になってしまってヤバイだろ。

 他に言うべき事を先に言って、状況に変化が出てからと思っても、他に言うべき事ってなんだと言う話で、完全に手詰まりだ。あぁ、そう言えば、ラーメンの汁に夢中の男が

『この夏、お前がお世話になる人だからさ。ちゃんと挨拶しとけ、な』

とか言ってたな。番長代理に挨拶しろという意味だと思うのだが、オレには番長代理が誰なのか分からない。それを紹介してくれるんじゃないのか、ラーメン! と胸中で必死に抗議していると、ラーメンと肩を組んだままの山センとやらが、ようやくオレの方へと顔を向けてくれた。

「んでショウキチ、お前なに拾ってきたんだ?」

 声の調子がガラリと変わって、オレは思わず背筋を伸ばしてしまう。蛇に睨まれた蛙の気持ちを余すことなく実感しながら、こいつがそうなんだと確信した。

「なにって、だから夷川だろ? 稲っちがほったらかしにしてた夷川を連れて来たんだよ」

 ラーメンがカップから顔を上げ、オレを雑に紹介する。すると山センは、また声をガラリと元の調子に戻し「えっ!」と大袈裟に驚愕して見せた。

「こいつが夷川? もっとカマっぽい奴かと思ってた。いやいや、え? マジで? オレの次くらいにイケメンじゃんか」

 初対面でアレだが、ウザイ絡み方してくる奴だなと気持ち一歩引いてしまった。

「えーだって、コイツだろ? 童貞こじらせたシンシンをホモに片足突っ込ませた奴って。いやーオレもビックリだわ。まさかシンシンがホモどころかカマになりかかってるとか、マジでわら」

 エルゥーと吠えるような語尾が部屋に木霊する。喋ってる途中だと言うのに、山センが弧を描いて後方へと吹っ飛んだのだ。吹っ飛ばしたのは、黙っていた方の二人。

「黙って聞いてれば、調子乗りやがって、いっぺん死んどけや、山セン」

「てめぇごときが、真山さんを侮辱するな」

 容赦なく追撃をかける二人を目の当たりにして、オレの足は少しずつ確実に後ろへと動いていた。自分の確信が、ほぼ間違いなく間違いだと気付き、現在進行形で繰り広げられている暴行ショーが、他人事ではないのだと肌で感じるせいだ。

 とにかく逃げよう。オレの中で、今からどうするべきか結論が出た。それと同時に、タイミング悪く、ラーメンがオレの方へと視線を向けやがった。逃げようとしている気配に勘づかれたのか、ラーメンは真剣な表情を浮かべながら、こちらへにじり寄って来る。

「お前………………トマト、嫌いか?」

 オレを壁へ追いやるように、ラーメンのカップを片手に迫ってきたと思ったら、訳の分からない事を聞かれ、盛大に眉を顰めた。

「いや、トマトって好き嫌いあるだろ。その、苦手って奴も意外と多いから。お前はどうなのかなって思って」

 睨まれたとでも思ったのか、男は血相を変えて質問した理由を説明し出した。トマトは苦手でも嫌いでもないので、素直にそう答えると、男の顔がパッと輝いた。オレに空のカップを押しつけ、バタバタと部屋の隅に鎮座する冷蔵庫へ走り、中から銀色のボウルを抱えて戻って来る。

「ん!」

 期待に満ちたキラキラした目で男は、カランと涼しげな音を立てるボウルを差し出した。中には氷水が張られ、プカプカと不揃いのトマトが五つほど浮かんでいる。

 食えと言う意味なんだろうが、悲鳴と怒声が飛び交う部屋で、どんな顔してトマトを頬張れと? 考えるまでもなく、食えと言われたら食うしかないんだけどな!

 オレはなるようになれと、ボウルに浮かぶひんやり冷たいトマトを一つ掴み、豪快にかじる。何も考えずに歯を立てたので、汁が勢いよく溢れてしまう。仕方無く先に汁を啜りながらもう一口かじった。大きくも小さくもないトマトは、ものの数秒でオレの腹におさまった。

 オレの食いっぷりをジッと見ていた男は、ちょっと頬を紅潮させながら、何か言いたげな表情で口をモゴモゴさせている。手に残ったヘタをどうしようか弄りつつ、美味しかったと端的に伝えると、男は目も口も鼻の穴までも全開にした変な顔で固まってしまった。

「ほ、ほほ、ほんと? ほんとにトマト、おいしい、か? おいしいって思うのか?」

 震える声に嫌な予感がしたが、嘘を吐くのは躊躇われたので頷くと、また男が滝のような涙を流し出した。 

「はじ、はははじめ、はじめて、おれの作ったドマド、おいじぃって、い、いいい言われた」

 鼻が詰まり、震える言葉がいくらか濁って非常に聞きづらくなったが、どうやら感動しているらしい。もう一つ食えと言いたいのだろう、ボウルを再び差し出して来たので、遠慮無く……もうやけっぱちで、ラーメンのカップを捨て、トマトを両手に一つずつ掴んで、無我夢中でかじりついた。

 形は確かに歪で、少し青い所も残っている、お世辞にも美味しそうには見えないトマトだったが、味の方は普通に美味しい。皮が少し固い気もするが、酸味と甘みのバランスが絶妙で、塩やドレッシングがなくとも、簡単に三つとも平らげる事が出来た。氷水で冷やされていたおかげで、余計に美味しく感じたのもあるが、お世辞抜きにトマトは本当に美味しかったのだ。……決して男を泣き止ませる為に上手した訳ではないのだ。

「……お前、いい奴だな」

 またも手ぬぐいで顔を拭うと、ラーメン改めトマトは、にかっと嬉しそうに笑って見せた。そして、自分でも一つトマトを手に取ると、ガブリとこれまた美味しそうに食べる。それにつられて、オレも最後の一つに手を伸ばす。

「へへ、そんな一気に食って、腹こわしても知らねーぞ」

 トマトは呆れたような物言いをしながらも、どこか嬉しそうで、オレを妙にソワソワした気持ちにさせた。

「ちょっとここ座って待ってろ」

 壁に立てかけてあったパイプ椅子を引っ張ってくるや「ちょっと待ってろ」と再度念押しして部屋の隅にある机だろうか、そこへ走り、またもオレを唐突に放置するトマト。不思議なもので、一人になると部屋に流れる物騒なBGMの音量が跳ね上がったように思えた。

「オレよりお前らの方が酷いんだからな! オレのは冗談にも聞こえるけど、お前らのキレ方、完全にマジじゃん。お前らが騒げば騒ぐほどシンシンのホモ疑惑は深まってくんだからな!」

「その呼び方からして気に食わねーんだよ! てめぇ、いつまで身内気取りでいやがる。いい加減態度改めろや」

「今度、真山さんをホモ呼ばわりしたら……吊すぞ」

「チョイ待ち稲っち。お前はさ、夷川を助けた時点でシンシンがホモだって肯定しちゃってるんだよ? 信じたくないからってオレに当たるのとかマジないわー」

 山センの言う『シンシン』ってのが髭なのか? てか、なんで髭のホモ疑惑とセットでオレの名前が聞こえてくるんだ。色んな意味で恐すぎる。絶対にあの中に巻き込まれてはならないと、オレは目線を完全に床へと固定し、一刻も早く、唯一話の出来そうなトマトが帰って来るのを待った。

「お茶でも淹れてやろうと思ったんだけど、そんな気の利いたモンなかった」

 床を熱心に眺めていたオレの視界に、いきなり誰かの手が現れたと思ったら、戻って来てくれたトマトが欠けた湯飲みを差し出していた。なんの匂いもしない湯飲みの中身は白湯だった。さっき食べた冷たいトマトと、体の熱がすっかり冷やされたのか、室内の涼しいから寒いに変わりつつある気温のおかげで、真夏であろうと白湯をありがたく頂く。きっと、オレを助けに来る前に作っていたカップラーメンに使った残り湯だろう。すっかり冷めていたので、舌を焼く事なく白湯を一気に煽る。

「形は悪いけど、味はなかなかだったろ? 自信はあったんだ。でも、あいつらときたら、酷いんだぜ」

 トマトと並んで座ると、目の前では窓から山センが吊されようとしていた。それを止めるでもなく、視線で『あいつら』と指しただけで、トマトは腕組みをして愚痴を零し出す。

「食わせるのも一苦労ってか、まず一口も食ってくれねーんだ。山センは『こんなもん鳥の食いモンだ』って言って馬鹿にするし、矢野は『野菜より肉持って来い』って無茶言いやがるし……稲っちに頼み込んで食って貰っても、どんだけ嫌なんだよって悲しくなるような顔されるし。まあ、トマト苦手ならしいから、しゃーないんだけどな……でもさ、やっぱりさぁ、作ったからにはさぁ、美味そうに食って貰いたいって思ってたんだよなぁ」

 見てるこっちが恥ずかしくなるような、だらしない顔を見せるトマトに、アレは放置してもいいのかと、さり気なく窓の方へと視線をやり促してみたが、窓から逆さ吊りにされるくらい日常だとでも言うつもりか、トマトはまるで意に介さない。

「他にもな、トマト以外にも色々作ってて……あ、あのな! また……食って、くれるか、な?」

 期待と不安がモロに出た顔を見ると、例え野菜が嫌いだろうと断れそうになかった。肉か野菜かと聞かれたら、そりゃ迷う事なく肉を取るが、野菜が嫌いという訳ではないので(それに貴重な缶詰以外の食料だ)申し出をありがたく快諾する。

 オレが頷くと、トマトはグッと拳を握りしめ、あろう事かまたプルプル震えだした。

「お前、やっぱり、いい奴だなぁ」

 ドバァーと溢れた涙を見ながらも、いい加減慣れてきて、そうなっている理由にようやく気が付いた。どうやら感情と涙腺が直結しているらしい。

 難儀な人だなと呆れもしたが、オレはこの色々と開けっぴろげな奴がどうやら嫌いじゃないみたいだ。予備はないのかと言いたくなる手ぬぐいで、また顔を汚すトマトに

「あの、先輩。名前を教えて貰えますか?」

自分から一歩、踏み込んでいった。
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