圏ガク!!

はなッぱち

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初デート!!

出発!

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「セイシュン、そろそろ起きろ~」

 軽く肩を揺らされ目覚めると、オレの顔を覗き込む先輩と目が合った。条件反射で口元がだらしなく緩むのが分かったが、寝起きの頭はそれを恥ずかしいとは思わないらしく、「おはよう」と言ってくれる先輩に平然と挨拶を返す。

「休日の起床時間にしては、かなり早くて悪いな」

 いつの間にか、抱き枕代わりになっていた寝袋を離して起き上がると、部屋の中に漂う焼きたてのパンのような匂いに空きっ腹が即座に反応した。

 その匂いの元をキョロキョロと探すと、コンロのある一角に見つけてしまう。大きめのカゴみたいな入れ物に、ほのかに湯気すら見える丸いパンが、崩れ落ちんばかりに積み上げられているのを。

「パンとコーヒーだけの質素な朝飯だけど、量だけは確保してきたから、腹一杯食ってくれ」

 朝飯と聞いてからのオレの行動は早かった。布団から転がり出て、即座に畳んでタオルケットと一緒にまとめて部屋の隅へと片付け、たった今まで眠ってた場所に正座し、圏ガクへ来て初めてのパンの朝食を今か今かと待ち侘びた。

「あ、先に顔洗って……ん、先に食うか」

 パンが山積みのカゴと、カフェオレの入ったマグカップを持って来てくれた先輩は、言いかけた言葉を途中で引っ込め、それらを差し出すように置いてくれた。

「これ! どうしたの? 先輩が焼いたの?」

 目の前のパンから目を離せず、結果的に視線を先輩とパンとの間で何往復もさせながら聞いてしまう。

「俺が焼いたんじゃないから安心して食っていいぞ。新館の朝飯を分けてもらったんだよ。でも、早すぎてパンしか出来てなくてな」

 十分すぎるくらい贅沢なのに、申し訳なさそうな顔をする先輩は、何か思い出したらしくポケットに手を突っ込むと、中からいくつものジャムやバターを出して見せた。

「これだけあれば足りるかな?」

 心配そうに言う先輩にどう答えるのが良いのか分からず、オレは軽く手を合わせて一つのパンを掴んだ。外はパリッとしていても、中は柔らかいらしく、勢い余って丸いパンを握り潰してしまった。ちょっと残念に思いつつも(小さくなってしまって悲しくなったのだ)まずは何も付けず一口。

「……すっげぇ美味しい!」

 ほんわりと温かいパンは、シンプルな味しかしないはずなのに、色々と味の付いているコンビニや購買のパンよりもずっとずっと美味しかった。

 先輩が一つ食べ終わる前に三つ目に手を伸ばすオレは、バターやジャムも次々に開けてパンを味わい尽くした。先輩の話では、新館は週に三日パンを焼く職人さんを呼び寄せているそうだ。話に聞くだけならば腹立たしいだけなのだが、こうして一度でも味わってしまうと羨ましい事この上ない。

 夕べ部屋で見た分ではなく、淹れたてカフェオレは熱すぎず温すぎない適温で、思わず三口で飲み干してしまう。そのせいか牛乳で少し胸が悪くなったが、そんな気持ちの悪さも、笑っている先輩を見ると、不思議な事に治まってしまった。

 山のようにあったパンも二人で手を付けると、ものの数分で完食し、その勢いのまま出掛ける準備に取りかかった。

 先輩は部屋の隅にあった、大きなリュックサックの中身を確認するように開いたが、オレは主に自分の身支度だけなので、どうしても手持ち無沙汰になった。

 ボーッとしていても始まらない。ここはホテルかと思うくらいの十分すぎるアメニティー用品を手渡されたので、オレは手洗い場へと直行する。

 早朝の校舎はどこもかしこも静かで、一人で出歩くのは少し緊張した。廊下に響く足音は土足のせいか、妙に後ろめたい音がする。

 手洗い場の曇った鏡の前で、先輩が用意してくれた新しい歯ブラシで歯を磨きながら、改めて自分の服装を確認する。山で遊ぶのだろうと予想して、薄手の動きやすい格好を用意していたのだが、由々式からのアドバイスで、あまり肌が露出しない服を選び直した。虫や草木で怪我をしない為だそうだ。

 歯と顔を洗った所で、タイミング良く催したので用を足してから、先輩の元へと戻る。
 部屋に戻ると、先輩はすっかり準備を終えており『今から登山します』という格好でオレを待っていた。大きなリュックは既に背負われており、両手には登山靴だろうか、本格的な靴が二足握られている。先輩は自分の腕時計で時間を確認すると「準備は、もういいか?」と聞いてくる。ワクワクする気持ちが声に乗らないように、表情にも注意しながら慎重に頷く。

「悪い、セイシュン。また、やっちまったな、俺」

 すると、先輩は何かに気付いたような顔をして、手に持っていた靴を床に置いてしまった。

「どうしたの?」

 まさか、何か遊びに行けない理由を思い出してしまったとか? 不安になって、先輩を見上げると、真剣な目が真っ直ぐにオレに向けられる。

「夕べの事すっかり忘れてたんだ。お前をちゃんとじいさんに診せないとって思ってたのに……遊ぶの優先しようとしてた」

 言い終わると先輩は、ちょっとだけ寂しそうに笑って見せた。眠る前は少しだけ頭が痛かったが、今は不調な所はない。好き放題に蹴られたり踏まれたりしたが、言われるまで忘れていた程度の違和感しかなかった。痛いだなんだいう感覚は不快感と一緒に、先輩が拭い去ってしまったようだ……かなりインパクトのある方法で。

 夕べの事を思い出しそうになって、思わず頭を振って追い払う。先輩は更に心配そうな顔になってしまったが、それを無視して床に置かれた靴を掴んで、大きい方を先輩の胸元に押しつけた。

「外で遊ぶって、フェンスの外でって意味じゃねーの? 人目についたらヤバイじゃん。早く行こうよ」

 先輩が何か言いかけたが、オレは続けて言葉を重ねる。

「別に一回使ったくらいで、体がおかしくなるような薬じゃないんだろ? 夕べは、その……かなり醜態を晒したけどさ、あー、あと寝る前? 頭痛とか少しあったけど、今は全く問題ないから」

 口に出すと、頭の中では思い出さないよう気を付けていても、顔が熱くなった。赤面しているのを誤魔化す為に軽く咳払いをする。

「絶対大丈夫だけど……もし体調が悪くなったら、早めに帰ってくればいいだけだろ。だから行こうよ、先輩」

 どうしようか迷っている気配を感じて、オレは強めに先輩の腕を掴む。

「オレすっげぇ楽しみにしてたんだぞ。あんな下らない事のせいで中止とか、絶対に納得しないからな」

 駄犬みたいに力任せに先輩の腕を引っ張ると、ようやく「分かった」という返事を貰えた。

「絶対に体調が悪くなったら、無理せずに帰るって約束してくれるか?」

 本当に心配してくれる声を聞くのは、不謹慎だが嬉しかった。けれど真剣な表情の先輩に対して、こちらがにやけては失礼だ。オレは自分の小指を先輩の鼻先に突きつけて、神妙な顔で頷いて見せた。

 先輩の指が当然のように、オレの指に絡まる。指切りにをしたからって、別になんの意味もないはずなのに、ただの口約束でそれ以上でも以下でもないはずなのに、先輩の表情は一気に柔らかくなった。不覚にもドキッとするような、少し子供っぽい嬉しそうな顔から目が離せなくなる。

「ん、それじゃあ、出発しよう」

 色っぽい展開なんかじゃないのに、心臓が大きく鳴り出して、赤面を更に加速させている気がする。先輩の腕を掴んだオレの手は、先輩の手によって握り返され、優しく引き寄せられた。

「セイシュン……ありがとな」

 先輩の肩に少しぶつかると、どうしてかそんな言葉が降ってきた。不思議に思い、その表情を窺うと、また違った意味でドキッとしてしまう、不安を覚えるくらい……なんと言ったらいいのか……すごく儚い表情に見えた。

 この不安を拭って欲しくて、どうかしたのかとオレが口を開こうとする前に、先輩はさっきの表情が嘘みたいに楽しげな顔で、

「よーし、んじゃ気合い入れて遭難しに行くか!」

訳の分からない事を言った。

 聞き慣れないのに環境のせいか身近に感じられる不穏な単語に、一抹の不安を抱きはしたのだが、それ以上にそこから連想される探検や冒険と言った妙に心躍る気配に乗っかってしまい、オレは先輩にツッコミを入れる事なく付いて行く。

 三年が夜中に出入りする為に、鍵が壊れている(壊している?)焼却炉へと続く扉から外へ出ると、運動場の方からは見えない校舎の陰を縫うように歩き、人気のない初めて足を踏み入れる区画にやって来た。

 基本的に生徒は寄りつかない、教師陣のテリトリーとも呼ぶべきその場所は、圏ガクの車庫だった。

 大きな倉庫のような建物で、面倒なのか夜中だろうとシャッターは下ろされておらず、今も中が丸見えだ。中にはオレらを迎えに来たオンボロのバスが三台、それに数台の車、バイク、自転車、リヤカーや台車まで、タイヤの付いたモノが片っ端から集められている。

 入り口付近にパイプ椅子と大きめの空き缶で作られた灰皿が鎮座しているのだが、その存在こそ、ここが教師の溜まり場である事を物語っていた。

 学校施設内は全面禁煙で、新旧の寮内は元より職員室でもそれは徹底しており、この車庫内にある一畳ほどのスペースが唯一喫煙を許されている場所なのだ。オレが知る限り、教師は揃いも揃って喫煙者なので、昼間は必ず誰かがここに立って煙草を吹かしている。

 時折ここに呼び出される生徒も居るのだが、そうなったら数日は教室に戻って来られないのが常で、人目がない時の説教は、イコールで折檻という実に圏ガクらしい一面を目の当たりに出来る場所だったりする。まあ……人目があろうと大して変わらない気もするが。

 生徒にとっては鬼門とでも言うべき車庫に、先輩は飄々と入ってしまい少し焦った。朝一で誰かが一服しに来ていたらと思うと、無駄に周囲を警戒してしまう。ビビっているオレに気付いた先輩は、オレの所まで戻って来ると「大丈夫、誰もいないよ」と言って手を引いてくれた。

「ここの裏口を使わせて貰うんだ。あ、バスはいいけど他の車とかバイクは触らないようにな」

 注意されるまでもなく、『命の次に大切にしてます』と宣伝しているピカピカに磨き上げられた車になんて近づけるはずがない。もし万が一、傷でも付けてしまったらと考えるとゾッとする。きっと数日どころか、数ヶ月単位で教室に戻れないだろう。

 極力車から距離を置いて奥へと進む。薄暗い車庫の中は、雑多な物で溢れかえっていた。思わず足を取られそうになったが、すり足ぎみで歩き、放置された工具などをつま先で軽く蹴りながら先輩に続くと、不自然に荷物が避けられた空間が見えてきた。目をこらすと、そこには窓も何もないのっぺりとした扉があった。

 扉を開けると、すぐ目の前に敷地内を囲う高いフェンスが見えた。そこに、ちょうど人が一人、通り抜けられるくらいの穴が空いている。腰ぐらいの位置にある穴なので、抜けるのに少し手間取ったが、先輩の手も借りながら、オレは初めて圏ガクの外へと降り立った。

 目の前に道と呼べる物はない。鬱蒼とした森が延々と続いている。学校の敷地内とは違った薄暗さが不気味で、まるでオレらの侵入を拒んでいるかのように思えた。

「それじゃあ、行くか。セイシュン、体調が悪くなったら、本当にすぐに言うんだぞ」

 オレの方を振り返った先輩は、そう言うと楽しそうに笑って見せた。先輩の顔を見ていると、不安で冷えてしまった気持ちすら、すぐに温かくなる。

 さっきまであった森への怖さも、どんな面白い物が出るのかという期待に変わってしまう。口元が緩むのを気にする必要はない。もう面倒になってしまったのだ。

 先輩と一緒にいると、自然とだらしない顔になってしまうから。嬉しいという気持ちが自分の中に入りきらず、どうしても溢れてしまう。

 思いっきり首を縦に振って答えると、先輩はどこで拾ってきたのか(車庫の中でだろうか?)腰に差した鎌を手に取り、勇ましく森へと向き直った。
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