圏ガク!!

はなッぱち

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新学期!!

自己紹介

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「狭間、いつもすまないな。ん、もう一人いるな……誰だ?」

 殆ど関わる事がないとは言え、風呂まで一緒に入った仲だと言うのに、寮長はいまだにオレの顔を記憶していないようだった。

「夷川です、旦那様。旦那様に相談したい事があるらしく、部屋まで訪ねて来たと言っております」

 オレが軽くショックを受けていると、執事モドキがオレの用件を伝えてくれ、寮長は真っ直ぐにこちらを見つめてきた。その美しい顔と、さっき嗅いだシーツの匂いが頭の中で重なって、後ろめたい気持ちでいっぱいになる。

「遠慮する必要はないぞ、夷川。旦那様は後輩の指導を任される程の御方だ。お前のちっぽけな悩みなど、すぐに解決に導いて下さる」

 何故か目をキラキラさせた執事モドキにそう後押しされて、オレはここに来た目的を思い出し、ポケットにしまい込んだ手帳を取り出した。

「コレについて話があって来た」

 渡すつもりはないが、見せる為に手帳を差し出すと、寮長は思いきり目を細めた。その表情から、寮長が手の中にある手帳を必死で見ようとしているのだと分かった。

 もしかして、目が悪いんだろうか。状況を理解して貰わなければ話が進まないと思いつつも、いきなり盗人呼ばわりする気にもなれず、オレは一時、寮長の手に手帳を渡してやった。

「……雫……大切に保管するよう言っていた物があっただろう。それは今どこにある?」

「はい、今は雫の布団の下で、厳重に保管しておりますのでご安心下さい! 枕の下では心許ないと思い、布団の下に貼り付けました」

 寮長は深い深い溜め息を吐くと、手帳をオレに返しながら、執事モドキと狭間に言う。

「狭間に紅茶を用意してやるといい。雫も同行して少し席を外してくれるか。夷川と二人で話がしたい」

「お任せ下さい! この山野辺雫、旦那様にお褒め頂いた紅茶の腕前を後輩にも振る舞ってやります。よし、行くぞ狭間! 雫に続けぇーッ!」

 狭間がチラリとオレの方を見る。軽く頷いて大丈夫だと伝えると、狭間は寮長に一礼して執事モドキを追いかけ部屋を出て行った。 

 一人騒がしかった執事モドキがいなくなり、部屋の中は静まり返った。

「部屋にあった椅子は、雫が壊してしまったんだ。悪いが、ベッドに座ってくれるか夷川。立ったままでは話がしにくい」

 車椅子を操作し方向転換すると、寮長はオレをベッドに誘った。単に見上げて話すのがしんどいという理由だろうが、妙にドキドキしてしまうのは、シチュエーションのせいか、今から話す内容が想像出来ないせいか……いや、後者でないと困るな。

 更に後ろめたさを倍増させながら、オレはベッドに腰掛け、寮長と視線を合わせて向き合った。

「目、悪いのか?」

 ジッと観察するように寮長の目を見ると分かった。視線はこちらを向いているが、オレが合わそうとしても目は全く合わない。

 不躾なオレの質問に、寮長は小さく笑って答えてくれた。

「コンタクトが苦手でな。自分一人では入れられないんだ。いくつか眼鏡も作って持って来ていたが、雫が全て壊してしまった。だから、今は裸眼で過ごしている。殆ど何も見えないが、雫がいるからな。特に不自由はない」

 執事モドキにかかれば、眼鏡なんて一瞬で破壊されるだろうな。呆れと同情を寮長に向けると「人の事は声で判断している。面倒だろうが、僕に用がある時はまず声を出せ」とオレのショックを知ってか知らずかフォローされてしまった。

 人の顔すら判別できない視力で、手帳の文字は読めまい。オレは手帳をしっかりと握り、寮長の真意を単刀直入に尋ねた。

「どうして読む事すら出来ないくせに手帳を盗ませたんだ。あんたにとって不都合な事がここに書いてあるのか?」

 寮長は表情を歪め、不快感を露わにする。

「この手帳がどういった物なのかは知っている。いや、中身を確認出来ないので確証はないが、城井浩太郎の最後の手帳なのだろう」

 寮長の言葉に反応して、オレは手に力を入れてしまう。柔らかい素材の手帳が身を守るように、手の中でクルッと丸まった。

「僕がこれを探していたのは事実だが、雫に盗ませるような事はしていない。と言うより、知っているならば聞かせて貰おうか。どうして、この手帳が僕の部屋にあるのかをな。夕べリハビリから戻ると、いつの間にか机の上に置いてあったのだ。これは誰の仕業だ」

 事情を知らない寮長に、オレは手帳の流れを全て話した。刑事のオッサンから受け取り、会長から守り、メイドに盗まれるまでの流れを全て。

 すると、何故か寮長は、明らかな敵意を滲ませた。オレが『メイド』と言う度にそれは濃くなり、嫌悪と言うより軽蔑の眼差しを向けられる。

「お前の使う『メイド』という呼称は不愉快極まりない。操の酔狂な格好は、あの男が強要しているだけだ」

 確かに好き好んでという感じでもないよな。悪かったと一言謝ると、寮長はハッとしたような顔を見せ、少し目を伏せた。

「あの性悪は、あんたの為に会長をスパイしているのか?」

 寮長はオレの疑問を噛みしめているのか「性悪……」と、オレが改めた呼称を呟いた。女装は本人とは関係ないらしいが、性悪なのは間違いなく事実だ。初日に顔面を机に叩きつけてもらった身なので、これに関しては認識を変えるつもりはない。

「操が何を考えているのか、僕には分からない。操には心安らげる穏やかな生活をして欲しくて暇を出したが、どういう訳か今も羽坂の下に身を寄せ、こんな場所で働いている」

 膝の上に置いた手を握り締め、寮長は沈痛な顔を見せた。黙っているべきか、一瞬だけ悩んだが、まどろっこしいのに付き合うのは止めて、ずばり言ってやる事にした。

「あんたの事が心配なんだろ。それくらい小学生だって考えりゃ分かるぞ。あんたみたいな箱入りが、筋肉馬鹿しか連れず、こんな山奥の掃き溜めで共同生活なんてありえねぇだろ」

「……筋肉馬鹿」

「この部屋見ろ! つーか現実を見ろ! 性悪と狭間がいなかったら、まともな生活送れてねぇぞ絶対」

「雫も頑張ってくれている。僕の我が儘に付き合わせ、二人を……雫と操をこのような学校に入学させてしまった事は……本当に申し訳ないと思っている」

 それをオレに言われても困る。別にオレは寮長の生活指導をしに来た訳じゃあないのだ。話の方向が明後日を向いているのに気付き、軌道修正を試みる。

「どうして寮長はコレを、城井浩太郎の手帳を探していたんだ。ここには一体何が書いてあるんだ。教えてくれないか」

 あぁ、それだけじゃあない。一つ転がり出ると、次から次へ疑問が湧いてくる。

「そもそも城井浩太郎が誰だか知っているのか? いや、その前にさっき『最後の』手帳だって言ったよな。手帳は他にもあるのか」

 車椅子に掴み掛かる勢いで質問を連発する後輩を寮長は指先一つで黙らせた。

「………………」

 唇に触れる男の手には思えない、けれど女の手にも見えない、正に中性的な寮長の人差し指と中指の感触に、頭の中から溢れていた何もかもが吹き飛ばされる。

「お前がもたらした情報で混乱している。頭の中を整理する、少し黙っていてくれ」

 コクコクと頷くと、寮長の指から解放された。つーか、なんだこの変な感じ。寮長のシーツに変な薬でも染み込んでたのかと疑いたくなる。いや、現在進行形でフェロモンみたいな怪しげな成分が、寮長から垂れ流されているのかもしれない! 

 オレは恐ろしくなって、ベッドの端へと移動する。寮長には不思議そうな顔をされてしまったが、嫌な感じで心臓がドクドクと鳴っているのだ。そんな些細な事は気になど出来ない。

 先輩以外の奴にドキドキするのなんて嫌だ。てか、オレこの人すげぇ苦手だ。冷静さを取り戻したくて、手帳をギュッと握る。

「芭灯という刑事から、その手帳を渡された時、どんな話を聞いた?」

 何があろうと触れ合わない距離は、オレに安心感を与えてくれた。憂いに満ちた溜め息を零す、阿呆みたいに色気のようなモノを振りまく寮長の姿が視界に入ろうと、一瞬で頭が切り替わる。

「金城先輩の事を聞いたのだろう。城井浩太郎が彼の祖父だという事も」

 それは言えないと口に出す前に、寮長は大きな一歩を踏み込んで来た。誰彼構わず吹聴するような話ではない。オレは頷く事もせず、黙って相手が何を探ろうとしているのか考える。

 言葉通り受け取るなら、寮長は城井老人が先輩のじいちゃんだと知っているのだと思う。けれど、それすら鎌を掛けているだけだったら、目も当てられない。

 柏木の言う事を信用する訳ではないが、寮長と先輩の間には、オレの知らない事情が確実に存在する。そして、それは友好的なモノではない。

 そんな相手に、先輩の事情をホイホイ話す事は出来ない。自殺行為だ。

「随分と警戒されているのだな。その事について話があるのではないのか?」

 何も答えないオレに寮長は裏のありそうな、見惚れてしまう程の微笑を披露しやがった。

「先輩の不利になるかもしれない。だから、刑事のオッサンから聞いた話は出来ない」

「刑事のオッサン……ふむ、お前は人の名前を正確に記憶しようという気はないのだな」

 あのオッサンのせいで、寮長に呆れた顔をされてしまった。まあ、オッサンだけのせいじゃあないか。

「別に記憶力が乏しい訳じゃあないからな。聞いてたら、一応は覚えてるよ。名前を聞く機会がなかったんだよ。オッサンも、あんたの使用人たちも」

「そうか……では、僕の名前は覚えているか?」

「葛見だろ。覚えてるよ……一応」

 さっき狭間や柏木に聞いていたからな。それまでは、意識した事なんて一度もなかったけど。

「そう言えば、お前とは何度か話したが、改めて名乗った事はなかったな」

 付け焼き刃だと見抜かれたらしく、可笑しそうな顔をしながら、寮長は車椅子の肘掛けで頬杖をつく。まるでキャンパスに描き上げられた令息は、妙な迫力でオレをベッドの柱へしがみつかせる。

「僕は葛見光樹だ」

 からかうように言う寮長に「(フルネームも柏木から聞いていたので)知ってる」と言おうとしたが、にこやかな表情とは正反対の言葉に再び沈黙させられた。

「父を殺した相手をもう一度見たくて、ここに入学した……お前が言う所のただの『馬鹿』だよ」
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