短編集

門松一里

文字の大きさ
上 下
3 / 4
短編

春茄子

しおりを挟む
『春茄子』

 岡山の秘湯に身をよせたのは例の震災で火傷を負ったからだ。顔の右半分が移植した皮膚でズレている。生きているだけマシというが、社会は冷たい。第一印象でまず弾(はじ)かれる。

 幸い友人と起こした会社が安定したので、代表権を奪われて一株主として配当で生活している。人前に出られぬ身姿であれば、厄介払いもかねていたのだろう。まま言い過ぎたわたしも悪いが。

 隠れ湯とはよくいったもので宿にはわたししかいなかった。

 朝餉(あさげ)の前に宿をでて散策にむかった。うっすらと霞(かすみ)が残っていたが、陽が高くなるにつれ雪が解けるように消えてしまった。

 杖を脇にパナマ帽をかけなおすと、宿に借りた手拭いで汗をぬぐった。
〈いち乃〉(いちの)の女主人京子(きょうこ)が艶(つや)のある髪を薬指で耳にかけると、わたしをみかけ会釈した。

 ハットの鍔(ブリム)に手をかけ軽くうなずいた。

 声がかかったのか、もう一度会釈しながら歩み出した。

 遠くの春山に白と黒の雲がかかっていた。黒雲は雨だろう。走るように白い雲の上におおいかかり、過ぎていく。白雲は蹴散らされるが、高度差があるのか混じらず、温度差もあるようで濁らない。

 ふと苦笑しているのにわたしは気づいた。

 山道にパンチドキャップは似合わないが、あいにくこれしか持っていない。

 履き慣れたものだから靴擦れはしないだろう。

 山に向かう途中で水車小屋があった。昔は小麦を製粉していたらしい。

 途中のちいさな畑に陸稲(おかぼ)がある。水稲とは違い、水をはらずにすむ。急な斜面では機械も使えないのだろう。

 十分二十分は歩いただろうか。牛が玩具のように見えた。宇宙人であれば牛のほうが多いので、人間より知的生命体と考えるかもしれないなどという愚かな考えにまた笑ってしまう。

 どうやらこの地ののどかさにわたしは癒されているらしい。そう自覚するが、笑うと引き攣(つ)ってしまう顔が嫌になる。痛み。

 折口信夫(おりくちしのぶ)先生にも青い痣(あざ)があったことを思い出した。

 稀人(まれびと)/客人(マレビト)という思想をつくった偉人だ。

 そして、どこにでもいる同性愛者だ。

 わたしが会社を去ったのは、友人に会わせる顔がなかったからだ。愛されているとは知りながら、自分自身も愛していると知りながら、その事実を、あの人の瞳に映るわたし自身を許せなかったからだ。

 あの時、咄嗟に庇ったのでわたしだけが傷を負った。それで十分だった。新しい人を紹介したのもわたしだ。

 いつもの丘を背に下った。

 朝餉に茄子(なす)はでるだろうか……。

 夕餉(ゆうげ)の茄子がわたしのお気に入りになった。身を冷やすというが、あたたかくして食べればいいだろう。そうした塩梅(あんばい)は女将の仕事だ。

 またも笑ってしまい、自嘲したが足を踏み外してしまった。

 転がり落ちる。

 立とうとしたのがいけなかった。

 重心が上がって加速した。

 どこかしら痛いが、問題は足だった。

 違う方向に折れていた。

 合点、ああそうか。

 違う。

 わたしが誤っていたのだ。

 首が後ろを向いていた。

 痛みが消え、冷たくなってきた。

 最期に考えたのは、あの人の幸せではなく、茄子の調理法だった。

 笑み。
(了)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【ショートショート】雨のおはなし

樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
青春
◆こちらは声劇、朗読用台本になりますが普通に読んで頂ける作品になっています。 声劇用だと1分半ほど、黙読だと1分ほどで読みきれる作品です。 ⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠ ・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します) ・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。 その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

r18短編集

ノノ
恋愛
R18系の短編集 過激なのもあるので読む際はご注意ください

【完結】【R18百合】会社のゆるふわ後輩女子に抱かれました

千鶴田ルト
恋愛
本編完結済み。細々と特別編を書いていくかもしれません。 レズビアンの月岡美波が起きると、会社の後輩女子の桜庭ハルナと共にベッドで寝ていた。 一体何があったのか? 桜庭ハルナはどういうつもりなのか? 月岡美波はどんな選択をするのか? おすすめシチュエーション ・後輩に振り回される先輩 ・先輩が大好きな後輩 続きは「会社のシゴデキ先輩女子と付き合っています」にて掲載しています。 だいぶ毛色が変わるのでシーズン2として別作品で登録することにしました。 読んでやってくれると幸いです。 「会社のシゴデキ先輩女子と付き合っています」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/759377035/615873195 ※タイトル画像はAI生成です

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

あの頃のぼくら〜ある日系アメリカ人の物語〜

white love it
ライト文芸
1962年。東京オリンピックまであと2年となった、ある日の夏。日系アメリカ人のジャック・ニシカワは、アメリカはユタ州の自身が代表を務める弁護士事務所にて、一本の電話を受け取る。かつて同じ日系アメリカ人収容所に入れられていたクレア・ヤマモトが、重病で病院に運び込まれたというのだ。ジャックは、かつて収容所にいたころのことを思い出しながら、飛行機に乗ったー 登場人物 ジャック・ニシカワ 日系アメリカ人の弁護士 クレア・ヤマモト  かつてジャック・ニシカワと同じ収容所に居た日系の美女

処理中です...