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第5話 サチ
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春の陽射しの片隅で、崩壊したヨーロッパの街並みの映像が流れていく。
ケーキを食べるたび、家族のみんなに笑顔が戻った。口数の多くない夫のユウイチロウも、険しい表情だった次男のトモキも、普段はスマートフォンばかりいじっている末子のミユも、少しだけ大きくなったお腹をさするサオリさんも、もちろん長男のユウキも、みんなが明るい表情になった。
サチは今、幸せな気持ちだった。特にユウキの奥さんのサオリさんが笑顔を見せてくれることが、嬉しくてたまらなかった。
新たな命のお祝いである。今、重苦しい事実は頭の片隅に遠ざけている。
ウクライナ戦争が始まって以降、様々なニュースを見た。
急遽結婚式を挙げた若い二人を見た。
戦時下で出産をした女性を見た。
病院に搬送されたが死亡した子供を見た。
涙が出た。今、遠い異国で起こっていること。これから日本で起きるかもしれないこと……。それらの状況を自らの子供たちに重ねるたび、サチの胸は締め付けられた。
きっと、誰もが幸せな日常が続くことを願っていたはずだ。それなのに、その日常は唐突に崩れ去った。
仕事や家事の合間に、様々なニュースを見た。傲慢な持論をベラベラとまくし立てるロシアの指導者を見るたび、サチはその子供染みた身勝手さに憤りを感じた。
いかなる理由があろうと、暴力が許されていい道理はない。
憤りはあったが、娘のミユと一緒のときは、なるべく戦争の話題は避けた。エスカレーター式で大学に進学できるとはいえ、高校生は多感な時期である。なるべくストレスは与えたくない。
その分、夫のユウイチロウとはよく意見を交わし合った。話し役はサチが、聞き役は夫になることが多かった。
一度目の停戦交渉が行われたときだろうか。あるとき、ロシアの指導者の映像を見ながら、夫が呟いた。
「老化による幼児退行じゃないのか?」
つい先ごろ、親の介護を終えた夫のユウイチロウはそう言った。そう言われると、今のロシアの指導者は、まるで駄々をこねる子供のようだとサチも思った。
かつて世界を二分した帝国は滅び、世界の中心は弟分に奪われ、今やその足下にさえ及ばない── 栄光が忘れられない。また注目してほしい。このまま見捨てられたくない……──だからたとえ周囲から悪く思われようとも、力づくで振り向かせようとする。決して好かれることなどないとわかっていながら、力を誇示しようとする。
本来なら、周りがそれを諌め、叱らないといけない。しかし国際社会はその武力を恐れ、毅然とした対応をしなかった。そしてそれがエスカレートした結果が、この現状だろう。
そしてロシアの指導者の身勝手な言い分を信じるならば、彼らは今、兄弟で争っていることになる。
まだ幼かった頃、兄のユウキにもそんな時期はあった。自分一人だけが世界の中心だった頃を懐かしみ、弟のトモキを力任せに押さえつけようとした。
しかし、兄には兄の、弟には弟の人生がある。幸い、園宮家の兄弟はきちんと歩み寄ってくれた。歳の離れた妹ミユの存在も、二人を、家族を結びつけてくれた。そして夫は、子供たちを正しい道に導いてくれた。
平穏な日常は、みなの努力なくしては生まれ得ない。
家族の団らんを眺めながら、サチもケーキを食べた。
ケーキを口にするたび、幸せが胸いっぱいに広がる。シャンパンを口にするたび、心地よい酔いに心が躍る。家族の笑顔を見るたび、明るい未来が待ち遠しくなる。
上の二人はもう巣立ち、それぞれの道を生き始めた。長男のユウキは家庭を持ち、子供を授かった。次男のトモキは国防の道を志した。末子のミユは甘やかした影響で遊んでばかりだが、しかしサチは本人の意志を信じている。
サチが長男のユウキを産んでから二十五年が経った。夫のユウイチロウもサチも、五十歳をいくつか過ぎた。子育てはあっという間だった。辛いとき、苦しいときももちろんあった。しかし平穏で楽しい日常を守るため、戦ってきた。二人で力を合わせ、子供たちを、家族を守るために戦ってきた。
あとはミユを社会に送り出せば、親としての役目は一旦は終わりを迎える。その後は、出会ったときのように二人だけの時間を迎える。もちろん、老後に不安がないわけではない。しかし、二人だけの時間を楽しむプランはたくさん考えてある。
そして今、新たな命が生まれようとしている。この命は、必ず守らなければならない。
春の陽射しが温もりを連れてくる。
シャンパンの酔いが回っていく。周りの酔いに当てられたのか、コーラを片手にケーキを食べ尽くしたミユが、シャンパンを飲みたいと父親にねだる。
悪ふざけで娘に飲ませようとする夫と、サオリさんを巻き込んで味方に付ける娘を、「未成年なのだから止めろ」とサチは窘めた。ミユはぶーたれたが、しかしその笑顔は明るかった。
サチは未来に希望を持っている。
サチは今、とても楽しかった。そしてリビングに溢れる家族みんなの笑顔に未来を描いた。
ケーキを食べるたび、家族のみんなに笑顔が戻った。口数の多くない夫のユウイチロウも、険しい表情だった次男のトモキも、普段はスマートフォンばかりいじっている末子のミユも、少しだけ大きくなったお腹をさするサオリさんも、もちろん長男のユウキも、みんなが明るい表情になった。
サチは今、幸せな気持ちだった。特にユウキの奥さんのサオリさんが笑顔を見せてくれることが、嬉しくてたまらなかった。
新たな命のお祝いである。今、重苦しい事実は頭の片隅に遠ざけている。
ウクライナ戦争が始まって以降、様々なニュースを見た。
急遽結婚式を挙げた若い二人を見た。
戦時下で出産をした女性を見た。
病院に搬送されたが死亡した子供を見た。
涙が出た。今、遠い異国で起こっていること。これから日本で起きるかもしれないこと……。それらの状況を自らの子供たちに重ねるたび、サチの胸は締め付けられた。
きっと、誰もが幸せな日常が続くことを願っていたはずだ。それなのに、その日常は唐突に崩れ去った。
仕事や家事の合間に、様々なニュースを見た。傲慢な持論をベラベラとまくし立てるロシアの指導者を見るたび、サチはその子供染みた身勝手さに憤りを感じた。
いかなる理由があろうと、暴力が許されていい道理はない。
憤りはあったが、娘のミユと一緒のときは、なるべく戦争の話題は避けた。エスカレーター式で大学に進学できるとはいえ、高校生は多感な時期である。なるべくストレスは与えたくない。
その分、夫のユウイチロウとはよく意見を交わし合った。話し役はサチが、聞き役は夫になることが多かった。
一度目の停戦交渉が行われたときだろうか。あるとき、ロシアの指導者の映像を見ながら、夫が呟いた。
「老化による幼児退行じゃないのか?」
つい先ごろ、親の介護を終えた夫のユウイチロウはそう言った。そう言われると、今のロシアの指導者は、まるで駄々をこねる子供のようだとサチも思った。
かつて世界を二分した帝国は滅び、世界の中心は弟分に奪われ、今やその足下にさえ及ばない── 栄光が忘れられない。また注目してほしい。このまま見捨てられたくない……──だからたとえ周囲から悪く思われようとも、力づくで振り向かせようとする。決して好かれることなどないとわかっていながら、力を誇示しようとする。
本来なら、周りがそれを諌め、叱らないといけない。しかし国際社会はその武力を恐れ、毅然とした対応をしなかった。そしてそれがエスカレートした結果が、この現状だろう。
そしてロシアの指導者の身勝手な言い分を信じるならば、彼らは今、兄弟で争っていることになる。
まだ幼かった頃、兄のユウキにもそんな時期はあった。自分一人だけが世界の中心だった頃を懐かしみ、弟のトモキを力任せに押さえつけようとした。
しかし、兄には兄の、弟には弟の人生がある。幸い、園宮家の兄弟はきちんと歩み寄ってくれた。歳の離れた妹ミユの存在も、二人を、家族を結びつけてくれた。そして夫は、子供たちを正しい道に導いてくれた。
平穏な日常は、みなの努力なくしては生まれ得ない。
家族の団らんを眺めながら、サチもケーキを食べた。
ケーキを口にするたび、幸せが胸いっぱいに広がる。シャンパンを口にするたび、心地よい酔いに心が躍る。家族の笑顔を見るたび、明るい未来が待ち遠しくなる。
上の二人はもう巣立ち、それぞれの道を生き始めた。長男のユウキは家庭を持ち、子供を授かった。次男のトモキは国防の道を志した。末子のミユは甘やかした影響で遊んでばかりだが、しかしサチは本人の意志を信じている。
サチが長男のユウキを産んでから二十五年が経った。夫のユウイチロウもサチも、五十歳をいくつか過ぎた。子育てはあっという間だった。辛いとき、苦しいときももちろんあった。しかし平穏で楽しい日常を守るため、戦ってきた。二人で力を合わせ、子供たちを、家族を守るために戦ってきた。
あとはミユを社会に送り出せば、親としての役目は一旦は終わりを迎える。その後は、出会ったときのように二人だけの時間を迎える。もちろん、老後に不安がないわけではない。しかし、二人だけの時間を楽しむプランはたくさん考えてある。
そして今、新たな命が生まれようとしている。この命は、必ず守らなければならない。
春の陽射しが温もりを連れてくる。
シャンパンの酔いが回っていく。周りの酔いに当てられたのか、コーラを片手にケーキを食べ尽くしたミユが、シャンパンを飲みたいと父親にねだる。
悪ふざけで娘に飲ませようとする夫と、サオリさんを巻き込んで味方に付ける娘を、「未成年なのだから止めろ」とサチは窘めた。ミユはぶーたれたが、しかしその笑顔は明るかった。
サチは未来に希望を持っている。
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