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第二章 二人の果て
2-8 塔の麓のデグチャレフ②
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デグチャレフ村に到着後、すぐに陽は落ちた。
マルーン神父からは、今夜は礼拝所で休むようにと言われた。さすがに馬を中に入れることは許されなかったが、すぐ外に繋ぐことは許可された。
長椅子が移動され、即席のベッドが用意される。すぐに村人たちは去り、いつものように二人だけの夜が訪れる。
ミッコはエミリーをベッドに寝かせると、燭台を手に、ぼんやりと礼拝所の中を眺めた。
ロウソクの火に照らし出された木造の礼拝所には、様々な絵が描かれていた。それは〈神の依り代たる十字架〉の教えであり、〈塔の国〉の女王の面影であり、遥かなる地平線に降る血の雨に見えた。
夏虫の声の片隅で微かに刻まれるエミリーの鼓動に耳を澄ます。
ミッコはベッドに腰かけこそしたが、装具を解くことはしなかった。腰にはウォーピックを提げ、背中には矢筒を背負い、手には弓を握っていた。
何もできないことはわかっていたが、眠れはしなかった。そして何も起こらぬまま一夜が明けた。
朝。赤い刺繍の衣服が特徴的な村人たちが、礼拝所の窓辺に集まってくる。
好奇に満ちた騒めきと視線は不快だった。そんな中、ハンターとメイジが朝食を持ってきた。相変わらず言葉はわからなかったが、二人はエミリーの様子を心配してくれているようだった。
出された朝食はどれも見慣れない物ばかりだった。何か毒でも盛られているかもしれないという警戒感も拭えなかったが、結局空腹には耐えられなかった。
「なぁ、あのときは矢を向けたりして悪かったな」
ミッコは出会ったときのことを兄妹に詫びた。驚き、おずおずと隠れる妹のメイジを背に、兄のハンターが受け答えをした。言葉はわからなかったが、きちんと話を聞いてくれている気はした。
ミッコは朝食を終えると、ジェリコの案内で買い出しに出かけた。しかし基本は物々交換であり、貨幣での売買は断られた。仕方なく、ミッコは皿形兜以外の全ての革鎧を、二人分の食料、旅の備品と交換した。
その後、有事の際の偵察を兼ね、ミッコは村をぶらついた。
北に〈塔の国〉の面影を臨むデグチャレフ村は本当に小さな村だった。農耕と牧畜を営む地元民は百人もおらず、警備の兵は昨日顔を合わせた五人だけ、聖職者に至ってはマルーン神父ただ一人だけである。
言葉が通じない人間が大半なので、ミッコはジェリコら外部出身者から情報を引き出さそうとした。ただ、東部入植者の生き残りであるジェリコらも地元民の言葉には詳しくないらしく、大した情報は持っていなかった。
「戦況が気になるのはわかるけど、この村は戦場からはあまりに遠い。彼女さんもずっと寝込んでるんだし、今はゆっくりしていきなよ」
「そうしたいのは山々ですが、しかし旅の途中ではありますので……」
「遥かなる地平線だっけ? 君たちの目指す目的地にこの村はぴったりじゃないか? ここは昔から戦とは無縁の平和な土地だ。のんびり暮らすには最高の場所だよ」
ジェリコの言葉は本心から来るものだとミッコは思った。警備を担当しているにも関らず、クロスボウに矢は装填していないし、鎖帷子もうっすら錆びている。村を流れる風にも火薬の臭いはなく、血の臭いもない。恐らく、本当に戦闘とは無縁の土地だったのであろう。
「それはわかりますが、それにしたって人口に対して警備兵が少なすぎです。地形も雑木林に囲まれている程度で、外敵に対してあまりに無防備と言わざるを得ません」
「大丈夫だよ。ここは〈塔の国〉に近い。まともな人間はあの〈東の覇王〉ですら征服を諦めた土地になんか近づかないし、地域社会の連中もたまに取引に来る程度だ」
「ですが、地域社会と取引をしている以上、情報は外部に伝わっているはず。今のままでは野盗や山賊どころか、数人のならず者にすら対処できませんよ」
「まぁそうだけど、でもこの村には奪うような物なんてないからなぁ。わざわざ遠出してまで来ないって」
この村はあまりに警戒感が無さ過ぎる──ミッコは危機感から意見を続けた。ただ、引退後の余生を過ごす老兵は、耳を傾けはするもののどこか他人事といった雰囲気だった。
その後もジェリコら警備兵たちと話したが、やはり大した情報はなかった。わかったのは、外部からの人間で地元民たちと会話ができるのはマルーン神父一人だけということぐらいだった。
ジェリコと別れ、ミッコは寝泊まりする礼拝所へと向かった。
帰り道、白を基調とした村の風景は眩しかった。夏の陽射しを受け、それは光り輝いていた。
デグチャレフ村は平和だった。この村に流れる風はあまりにも穏やかだった。しかしミッコにとってそれは不気味以外の何物でもなかった。
礼拝所に戻ると、二頭の馬の世話をした。ゲーフェンバウアーは元気だったし、アルバレスも少しずつ回復しているようだった。
次に、エミリーの容態を確認した。その寝顔はいつもと同じで、死んでいるかのように穏やかな表情だった。
やるべきことを一通り終えると、ミッコは礼拝所をぶらついた。
壁から天井にまで描かれた無数の絵を眺める。
マルーン神父やジェリコのような外部から来た人間と違い、赤い刺繍の衣服が特徴的なデグチャレフ村の地元民は、〈嵐の旅団〉の勢力圏内にありながらも彼ら独自の文化に基づいて生活しているようだった。
ただ、ミッコから見ればそれは奇妙そのものでしかなかった──礼拝所に描かれた様々な絵──この村には確かに大陸全土で信仰されている〈神の依り代たる十字架〉の教えが息づいてはいるが、しかしそれは文明の最東端と呼ばれた〈塔の国〉の女王の神秘によって歪められた、血塗れの邪教にしか見えなかった。
ミッコはエミリーの横たわるベッドに座った。そして村を出る準備を整え、夜を待った。
マルーン神父からは、今夜は礼拝所で休むようにと言われた。さすがに馬を中に入れることは許されなかったが、すぐ外に繋ぐことは許可された。
長椅子が移動され、即席のベッドが用意される。すぐに村人たちは去り、いつものように二人だけの夜が訪れる。
ミッコはエミリーをベッドに寝かせると、燭台を手に、ぼんやりと礼拝所の中を眺めた。
ロウソクの火に照らし出された木造の礼拝所には、様々な絵が描かれていた。それは〈神の依り代たる十字架〉の教えであり、〈塔の国〉の女王の面影であり、遥かなる地平線に降る血の雨に見えた。
夏虫の声の片隅で微かに刻まれるエミリーの鼓動に耳を澄ます。
ミッコはベッドに腰かけこそしたが、装具を解くことはしなかった。腰にはウォーピックを提げ、背中には矢筒を背負い、手には弓を握っていた。
何もできないことはわかっていたが、眠れはしなかった。そして何も起こらぬまま一夜が明けた。
朝。赤い刺繍の衣服が特徴的な村人たちが、礼拝所の窓辺に集まってくる。
好奇に満ちた騒めきと視線は不快だった。そんな中、ハンターとメイジが朝食を持ってきた。相変わらず言葉はわからなかったが、二人はエミリーの様子を心配してくれているようだった。
出された朝食はどれも見慣れない物ばかりだった。何か毒でも盛られているかもしれないという警戒感も拭えなかったが、結局空腹には耐えられなかった。
「なぁ、あのときは矢を向けたりして悪かったな」
ミッコは出会ったときのことを兄妹に詫びた。驚き、おずおずと隠れる妹のメイジを背に、兄のハンターが受け答えをした。言葉はわからなかったが、きちんと話を聞いてくれている気はした。
ミッコは朝食を終えると、ジェリコの案内で買い出しに出かけた。しかし基本は物々交換であり、貨幣での売買は断られた。仕方なく、ミッコは皿形兜以外の全ての革鎧を、二人分の食料、旅の備品と交換した。
その後、有事の際の偵察を兼ね、ミッコは村をぶらついた。
北に〈塔の国〉の面影を臨むデグチャレフ村は本当に小さな村だった。農耕と牧畜を営む地元民は百人もおらず、警備の兵は昨日顔を合わせた五人だけ、聖職者に至ってはマルーン神父ただ一人だけである。
言葉が通じない人間が大半なので、ミッコはジェリコら外部出身者から情報を引き出さそうとした。ただ、東部入植者の生き残りであるジェリコらも地元民の言葉には詳しくないらしく、大した情報は持っていなかった。
「戦況が気になるのはわかるけど、この村は戦場からはあまりに遠い。彼女さんもずっと寝込んでるんだし、今はゆっくりしていきなよ」
「そうしたいのは山々ですが、しかし旅の途中ではありますので……」
「遥かなる地平線だっけ? 君たちの目指す目的地にこの村はぴったりじゃないか? ここは昔から戦とは無縁の平和な土地だ。のんびり暮らすには最高の場所だよ」
ジェリコの言葉は本心から来るものだとミッコは思った。警備を担当しているにも関らず、クロスボウに矢は装填していないし、鎖帷子もうっすら錆びている。村を流れる風にも火薬の臭いはなく、血の臭いもない。恐らく、本当に戦闘とは無縁の土地だったのであろう。
「それはわかりますが、それにしたって人口に対して警備兵が少なすぎです。地形も雑木林に囲まれている程度で、外敵に対してあまりに無防備と言わざるを得ません」
「大丈夫だよ。ここは〈塔の国〉に近い。まともな人間はあの〈東の覇王〉ですら征服を諦めた土地になんか近づかないし、地域社会の連中もたまに取引に来る程度だ」
「ですが、地域社会と取引をしている以上、情報は外部に伝わっているはず。今のままでは野盗や山賊どころか、数人のならず者にすら対処できませんよ」
「まぁそうだけど、でもこの村には奪うような物なんてないからなぁ。わざわざ遠出してまで来ないって」
この村はあまりに警戒感が無さ過ぎる──ミッコは危機感から意見を続けた。ただ、引退後の余生を過ごす老兵は、耳を傾けはするもののどこか他人事といった雰囲気だった。
その後もジェリコら警備兵たちと話したが、やはり大した情報はなかった。わかったのは、外部からの人間で地元民たちと会話ができるのはマルーン神父一人だけということぐらいだった。
ジェリコと別れ、ミッコは寝泊まりする礼拝所へと向かった。
帰り道、白を基調とした村の風景は眩しかった。夏の陽射しを受け、それは光り輝いていた。
デグチャレフ村は平和だった。この村に流れる風はあまりにも穏やかだった。しかしミッコにとってそれは不気味以外の何物でもなかった。
礼拝所に戻ると、二頭の馬の世話をした。ゲーフェンバウアーは元気だったし、アルバレスも少しずつ回復しているようだった。
次に、エミリーの容態を確認した。その寝顔はいつもと同じで、死んでいるかのように穏やかな表情だった。
やるべきことを一通り終えると、ミッコは礼拝所をぶらついた。
壁から天井にまで描かれた無数の絵を眺める。
マルーン神父やジェリコのような外部から来た人間と違い、赤い刺繍の衣服が特徴的なデグチャレフ村の地元民は、〈嵐の旅団〉の勢力圏内にありながらも彼ら独自の文化に基づいて生活しているようだった。
ただ、ミッコから見ればそれは奇妙そのものでしかなかった──礼拝所に描かれた様々な絵──この村には確かに大陸全土で信仰されている〈神の依り代たる十字架〉の教えが息づいてはいるが、しかしそれは文明の最東端と呼ばれた〈塔の国〉の女王の神秘によって歪められた、血塗れの邪教にしか見えなかった。
ミッコはエミリーの横たわるベッドに座った。そして村を出る準備を整え、夜を待った。
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