遥かなる地平線に血の雨を

寸陳ハウスのオカア・ハン

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第二章 二人の果て

2-6 子供たちとの出会い

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 微かな吐息が夏風に流れては消えていく。

 照りつける陽射しの下、果てない草原を二騎が進む。先頭、二人と荷物を背に乗せてなお壮健な足取りの黒馬が道を先導する。一方、その後ろで手綱を引かれる白馬の足取りは弱っており力ない。
 黒馬のゲーフェンバウアーに跨るミッコは、エミリーの体を抱えながら、道なき道を進んだ。
 街道ともいえぬ獣道が北東へと続く。北の空、北限の峰の白い稜線沿いには、無数の塔の影が居並んでいる。
 現在、ミッコとエミリーは〈嵐の旅団コサック〉の勢力圏の北端、二百年前の災厄により滅んだ〈塔の国〉の南部国境沿いに位置する集落を目指している。ただ、風の声は聞こえない。アンナリーゼが地図に示してくれた印まであとどのくらいの行程なのか、そもそも現在地はどこなのか、今は何もかもが曖昧な状態である。

 ミッコの胸元で、エミリーの微かな吐息が息づき、消えていく。

 エミリーは死ぬのではないか──痩せ細り、しかしあまりに穏やかなその横顔を見るたび、ミッコはそう思った。戦いの中、ミッコは多くの死を見てきたが、しかし今は不思議なほどに現実感がなかった。
 エミリーは衰弱しきっていた。再会から数日が経過したが、状態は日を追うごとに悪化の一途を辿っている。独りで馬に乗ることはもちろん、食事もほとんど喉を通らず、言葉を発することもない。辛うじて息はしているが、生きているのが不思議なほどの状態である。

 生きることを諦めたとき、人は死ぬ。もちろん、ミッコは生きることを諦めていない。しかし、エミリーはどうなのか……。

 今は抱きかかえることしかできなかった。ミッコはエミリーの名を呼び続けた。しかし、返答はなかった。

 太陽が真上に昇り、草原に吹く風が熱波に燃える。
「エミリー。狩りに出るから、ここで休んでいてくれ。アルバレス、見張りを頼むぞ」
 ミッコは雑木林の木陰にエミリーを隠すと、水筒の水を飲ませた。ほとんどは口元から漏れてしまったが、乾いた唇は一瞬だけ艶を取り戻した。

 狩りに出る。果てなき草原で獲物を探る。
 単騎になるたび、焦燥感に嫌な汗が滲んだ。すでに酒瓶の中身も手持ちの食糧も尽きている。エミリーを守るためには、まずミッコ自身が生きなければならない。
 幸い、食料となる生き物はいた。ただ、汗が滲むたび、矢の狙いはぶれた。しかしそこは経験で補正した。
 放った矢がウサギに突き刺さる。ミッコは馬を降り、ウサギの首を切って血を抜き、皮を剥ぎ、内臓を取り出し、肉を切り分けた。

 わずかな収穫を手に、ミッコはエミリーのもとへ戻った。
 草原を駆ける馬蹄は、久しぶりに軽やかだった。しかし雑木林の木陰にアルバレスの白い背中が見えたそのとき、風に異音が混じった──聞き慣れた、しかし最近では一切耳にしなかった人の声──ミッコは即座に弓を手に取り、矢を引き絞った。
 エミリーのそばに、エミリー以外の人影が見えた。
「そこから離れろ! さもなくば殺す!」
 ミッコは狙いを定め、吼えた。
 横たわるエミリーのそばには子供が二人いた。兄と妹だろうか、顔つきは似ていた。年齢はお互い十歳前後であり、赤い刺繍が特徴的な民族衣装を着ている。
 追い剥ぎには見えなかったが、油断はできなかった。木の実や果物を抱える妹が怯え震える一方で、妹を庇う兄は木を削って作った短槍を持っている。背嚢はいのうの中にも何が入っているかわからない。
「離れろって言ってんだろ! 言葉がわかんねぇのか!?」
 ミッコは大陸共通語に東の古語を交え、再び子供たちを怒鳴りつけた。
 子供とはいえ、容赦する気はなかった。出方次第では、二人とも一度で射殺すつもりだった。ただ、アルバレスは警戒を解いているし、ゲーフェンバウアーも戸惑っている。
 後ずさる子供たちに狙いを定めたまま、距離を詰める。馬を降り、エミリーのもとに駆け寄る。
 しかしそのとき、震える手がミッコに触れた。
「ミッコ……、あの子たちは助けてくれたの……。だから、武器を下ろして……」
 その声を聞いたのは、いつぶりだろうか──エミリーの手が、ミッコの体を抑えようとする。
 ミッコは驚き、なされるがまま武器を下ろした。
「おいで、二人とも……。心配しなくても大丈夫……。この人は私の大切な人だから……」
 エミリーの震える手が、子供たちを手招く。ミッコとエミリーの間に、二人の間に子供たちが割り込んでくる。子供たちは聞いたことのない言葉を喋りながら、水や果物を差し出してエミリーを介抱しようとする。
「助けてくれてありがとう……」
 それは誰に向けての言葉なのか──ミッコは気になったが、しかし問うことはできなかった。
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