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第二章 二人の果て
2-1 望んだ、しかし想像とは違う冒険①
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東へと吹く風に身を任せ、二騎が進む。
赤の親父アンナリーゼの根拠地、イズマッシュを発って幾日かが過ぎた。すぐに血の気配は消え、風はまた静かになった。
時の移ろいとともに、地平線は少しずつその風景を変えていた。
遠く地平線の彼方に、北限の峰の白い稜線が浮かぶ。朽ちた緑の森、苔生した草原、細々とした雪どけの川……。気付けば春は暮れ、僅かだが地平線には夏が色付き始めている。
ただし、それがどこまでも色褪せていることに変わりはない。
僅かな風の声と、川のせせらぎに沿って二人は進んだ。地図上では、大陸の北東部、文明の最東端に栄えたと云われる〈塔の国〉に向かっている。
イズマッシュ以東の道は、大まかに三つに分かれていた。
一つ目は東へ直進する道……。ここは〈嵐の旅団〉の主勢力圏を横断する交易路であり、アンナリーゼから貰った通行証も最大限に活用できる。だが同時に、地域社会と対立する旧主の番人や戦狼たちなど多数の派閥が入り乱れており、今後騒乱は免れないし、恐らくは主戦場となる。だから選択は慎重に、かつ選択を迫られる前に決断しろと助言を受けた。
二つ目は南東の乾いた海へと進む道……。こちらは昔から南の異教徒の流入が絶えず、小競り合いは日常茶飯事、軍同士のぶつかり合いも枚挙に暇がない。ただ、荒れているからこそ略奪を前提に進むのならば適してはいると助言を受けた。
三つ目は北東の〈塔の国〉を目指す道……。その国は北限の峰の麓に栄え、かつては文明の最東端と呼ばれていた。もちろん他の東部諸国の例に漏れず、現在はすでに滅んでいる。しかし〈嵐の旅団〉の多く、特に騎馬民の血を引く者は〈塔の国〉には決して近づかない。季節も夏に向かっており、潜みながら進むには最適な時期だと助言を受けた。
なぜ騎馬民が〈塔の国〉に近づかないのかを訊ねると、アンナリーゼは「〈東の覇王〉が唯一征服できなかったからだ」と答えた。
……二百年前、〈東の覇王〉率いる東方の騎馬軍団は、他の東部諸国と同じように〈塔の国〉を攻撃した。のちに〈東からの災厄〉と呼ばれる災禍から逃れるべく、人々は塔の上へ上へと上っていった。そして気付いたとき、〈塔の国〉からは一切の人影が消えていた。その後、兵を転進させた〈東の覇王〉は二度とこの地を踏むことはなかった。そしてこの地から誰かが現れることも二度とはなかった……。
神妙な面持ちのアンナリーゼに対し、ミッコはまた土着の迷信かと思ったが、しかし鼻で笑う気にはなれなかった。廃墟に住むという住人……。その蒙昧な影は脳裏に燻ったまま離れなかった。
そして今、二人は北東に向かっていた。どちらが決めたともいえないが、足は自然とそちらに進んでいた。結局のところ、いつものように、風が流れ、風に流されていた。
ただ、ミッコはこの地の全てを過小評価していた。己の信仰心のなさゆえに、エミリーの容態も完全に見誤っていたと言っていい。もっとも、それに気付くのはもう少しあとのことになるのだが……。
「いい風だ。やっぱ夏は快適だよな」
道中、ミッコは意識して口数を増やしていた。
「それにしても、ものの見事に廃墟と草原しかねぇな。これぞまさに〈東からの災厄〉の嵐、伝承に語られる世紀末って感じじゃね?」
ミッコは努めて明るく振る舞った。しかし、エミリーの反応は相変わらず薄かった。
ミッコと顔を合わせても、その目はずっとどこか遠くを見ていた──感情が死んでいるのではないか──それを見るたび、ミッコは苛立ちと不安に駆られた。
相変わらず、互いの距離感をどう取ればいいかはわからなかった。
そんな道すがら、馬車の車列を見つけた。まず遠眼鏡で様子を窺い、それから慎重に近づいた。
遠眼鏡の向こうには、擦り切れた赤兎旗がはためいていた。
火と鉄、血と硝煙、そして肉の焼ける臭いが風に漂う。すぐそばまで来ても、動く人影はなかった。焼かれ、破壊され、放棄されたこの車列の中で生きている者は、通りすがりの訪問者二人しかいなかった。
赤兎旗と赤いウサギの紋章から、襲われたのは赤の親父アンナリーゼ配下の隊商であることは間違いなかった。ただ、襲撃者が何者なのかはわからなかった。矢、銃、刀剣など手掛かりはありそうだが、どれも最近の戦場ではよく見かける、ありふれたものでしかなかった。
血の色と火の熱量から、日数がそれほど経過していないことはわかった。不測の事態に備え、ミッコの手は自然とウォーピックを握っていた。
ミッコは細心の注意を払いながら、死体の山を探り、漁った。その間、エミリーは十字架のペンダントを握り締めていた。
車列の中に、奴隷もしくは罪人の牢車があった。鉄格子の中では無数の人間が焼け死んでいた。断末魔は煤に歪み、格子の外に伸ばされた手はどれも黒焦げていた。
ミッコは一瞥だけして別の馬車を調べようとした。しかしエミリーはよろよろと馬から降りると、黒焦げの牢車の前で跪いた。そして十字架のペンダントを一層強く握り締め、ほとんど呪詛のような口調で〈神の依り代たる十字架〉への祈りを唱え始めた。
ミッコが声をかけても、祈りが終わることはなかった。しばらくの間、ミッコはエミリーの肩を抱きながら、ただそれを見守ることしかできなかった。
赤の親父アンナリーゼの根拠地、イズマッシュを発って幾日かが過ぎた。すぐに血の気配は消え、風はまた静かになった。
時の移ろいとともに、地平線は少しずつその風景を変えていた。
遠く地平線の彼方に、北限の峰の白い稜線が浮かぶ。朽ちた緑の森、苔生した草原、細々とした雪どけの川……。気付けば春は暮れ、僅かだが地平線には夏が色付き始めている。
ただし、それがどこまでも色褪せていることに変わりはない。
僅かな風の声と、川のせせらぎに沿って二人は進んだ。地図上では、大陸の北東部、文明の最東端に栄えたと云われる〈塔の国〉に向かっている。
イズマッシュ以東の道は、大まかに三つに分かれていた。
一つ目は東へ直進する道……。ここは〈嵐の旅団〉の主勢力圏を横断する交易路であり、アンナリーゼから貰った通行証も最大限に活用できる。だが同時に、地域社会と対立する旧主の番人や戦狼たちなど多数の派閥が入り乱れており、今後騒乱は免れないし、恐らくは主戦場となる。だから選択は慎重に、かつ選択を迫られる前に決断しろと助言を受けた。
二つ目は南東の乾いた海へと進む道……。こちらは昔から南の異教徒の流入が絶えず、小競り合いは日常茶飯事、軍同士のぶつかり合いも枚挙に暇がない。ただ、荒れているからこそ略奪を前提に進むのならば適してはいると助言を受けた。
三つ目は北東の〈塔の国〉を目指す道……。その国は北限の峰の麓に栄え、かつては文明の最東端と呼ばれていた。もちろん他の東部諸国の例に漏れず、現在はすでに滅んでいる。しかし〈嵐の旅団〉の多く、特に騎馬民の血を引く者は〈塔の国〉には決して近づかない。季節も夏に向かっており、潜みながら進むには最適な時期だと助言を受けた。
なぜ騎馬民が〈塔の国〉に近づかないのかを訊ねると、アンナリーゼは「〈東の覇王〉が唯一征服できなかったからだ」と答えた。
……二百年前、〈東の覇王〉率いる東方の騎馬軍団は、他の東部諸国と同じように〈塔の国〉を攻撃した。のちに〈東からの災厄〉と呼ばれる災禍から逃れるべく、人々は塔の上へ上へと上っていった。そして気付いたとき、〈塔の国〉からは一切の人影が消えていた。その後、兵を転進させた〈東の覇王〉は二度とこの地を踏むことはなかった。そしてこの地から誰かが現れることも二度とはなかった……。
神妙な面持ちのアンナリーゼに対し、ミッコはまた土着の迷信かと思ったが、しかし鼻で笑う気にはなれなかった。廃墟に住むという住人……。その蒙昧な影は脳裏に燻ったまま離れなかった。
そして今、二人は北東に向かっていた。どちらが決めたともいえないが、足は自然とそちらに進んでいた。結局のところ、いつものように、風が流れ、風に流されていた。
ただ、ミッコはこの地の全てを過小評価していた。己の信仰心のなさゆえに、エミリーの容態も完全に見誤っていたと言っていい。もっとも、それに気付くのはもう少しあとのことになるのだが……。
「いい風だ。やっぱ夏は快適だよな」
道中、ミッコは意識して口数を増やしていた。
「それにしても、ものの見事に廃墟と草原しかねぇな。これぞまさに〈東からの災厄〉の嵐、伝承に語られる世紀末って感じじゃね?」
ミッコは努めて明るく振る舞った。しかし、エミリーの反応は相変わらず薄かった。
ミッコと顔を合わせても、その目はずっとどこか遠くを見ていた──感情が死んでいるのではないか──それを見るたび、ミッコは苛立ちと不安に駆られた。
相変わらず、互いの距離感をどう取ればいいかはわからなかった。
そんな道すがら、馬車の車列を見つけた。まず遠眼鏡で様子を窺い、それから慎重に近づいた。
遠眼鏡の向こうには、擦り切れた赤兎旗がはためいていた。
火と鉄、血と硝煙、そして肉の焼ける臭いが風に漂う。すぐそばまで来ても、動く人影はなかった。焼かれ、破壊され、放棄されたこの車列の中で生きている者は、通りすがりの訪問者二人しかいなかった。
赤兎旗と赤いウサギの紋章から、襲われたのは赤の親父アンナリーゼ配下の隊商であることは間違いなかった。ただ、襲撃者が何者なのかはわからなかった。矢、銃、刀剣など手掛かりはありそうだが、どれも最近の戦場ではよく見かける、ありふれたものでしかなかった。
血の色と火の熱量から、日数がそれほど経過していないことはわかった。不測の事態に備え、ミッコの手は自然とウォーピックを握っていた。
ミッコは細心の注意を払いながら、死体の山を探り、漁った。その間、エミリーは十字架のペンダントを握り締めていた。
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ミッコは一瞥だけして別の馬車を調べようとした。しかしエミリーはよろよろと馬から降りると、黒焦げの牢車の前で跪いた。そして十字架のペンダントを一層強く握り締め、ほとんど呪詛のような口調で〈神の依り代たる十字架〉への祈りを唱え始めた。
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