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第三章 雪原に続く道
3-1 静かな意志
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──冬の訪れとともに、雪が北の〈帝国〉に降り積もる。雪原には刻まれる無数の足跡は、どこかを目指して続いていく。
*****
おぼろげな冬の陽が雪景色に揺れる。
僅かな冬晴れのあと、〈帝国〉の地は再び雪雲に覆われた。降り積もる雪は何も言わず、戦場の死も、枯れた森の焼け跡も、そしてまだ地に残る人影さえも白く染めていく。
白く染まった朽ちかけた古城、〈教会〉の十字架旗が掲げられたボフォースの城に、鎮魂の歌が響く。
聖堂前の広場に置かれた豪奢な棺を囲み、教会軍の兵士たちが祈りを捧げる。それはミカエルの父であり、ロートリンゲン家の家長であり、教会遠征軍元帥であったヨハン・ロートリンゲンの棺である。
第六聖女セレンと従軍司祭らの主導で葬送の儀が行われる。ボフォースの虐殺で殺されたヨハン元帥以外の死者は、未だ雪原で眠っている。
ヨハンの次男、ミカエル・ロートリンゲンは式に立ち会い、ただ静かに祈った。
その目は迷いなく静謐を見つめ、その姿は確固たる意志で冷雪に屹立する。
葬送の儀の終わり、棺が閉められる直前に、ミカエルは父を見た。その遺体は清め整えられてはいたが、やはり死に際の悲痛な表情だけは凍りついたままだった。
別れ際、ミカエルは父の遺体に誓った──必ずこの〈帝国〉の地から生きて帰ると。そして──。
移送のためヨハンの棺が下げられると、間もなく兵士たちは散会した。
聖堂前から人気がなくなると、ミカエルは教会遠征軍の残存士官、月盾騎士団の主だった幕僚を残らず集めた。騎士団の副官と親衛隊隊長を兼任するディーツ、弟のアンダース、将校のアナスタシアディスとリンドバーグ、そして敵陣から戻ってきたウィッチャーズもいる。
寒空のおぼろげな陽が、雪上に浮かぶ無数の影を揺らす。
「国境沿いのティリー卿へ救援要請を出す。先遣隊の指揮官はアナスタシアディス。能力のある者を選抜し、ただちに出発の準備を。合わせて最適と思える経路を検討し報告せよ」
ミカエルの命令に、アナスタシアディスが敬礼する。他の者たちは黙って命令を聞いている。
雪中行軍の能力とティリーとの交渉の両方を考えた場合、先遣隊の指揮官はアナスタシアディス以外いなかった。同郷で知己のアナスタシアディスならティリーも話を聞くだろうが、他の者では門前払いをくらう恐れがある。アナスタシアディスが抜けても、ウィッチャーズが帰還したのでその穴は埋まる。
続いて月盾騎士団を含めた全軍の再編と、負傷兵の後方移送を指示する。負傷兵約三千名は、残存する将軍の中で最も高位の者に指揮を任せた。ただその将軍も負傷しているうえに、後方連絡線は帝国軍の遊撃隊に常に狙われているが、ここに残る者たちよりは希望がある。往路である北陵街道に戻れば、後方からの輜重部隊に会える可能性もある。
ミカエルは生き残った士官たちを見た。誰も彼も寒さに沈み、覇気はない。しかしそれでも、その両足は地をしっかりと踏み締め立っている。
「これまで遠征軍の指揮を執ってきた我が父、ヨハン・ロートリンゲン元帥はもういない。これからは我らだけでこの敗勢の中を戦い続けなければならない」
今や後任の指揮官となったミカエルを全員が見ている。今まで父が背負ってきたであろう重荷、軍の存亡を賭けた重責が、ミカエルの双肩に圧しかかる。
「もはや〈第六聖女遠征〉は果たせぬかもしれぬ。それでも総帥である第六聖女セレン様はご健在である。我らは〈教会〉の騎士として聖女様をお守りし、十字架旗への忠節を果たさねばならぬ」
歴然とする勝敗と父の死を前にして茫然自失になりかけたミカエルを、セレンの小さな手が揺り戻した──決して独りではないと。
「第六聖女セレン様と残余の本隊一万二千名は、これよりボフォースを放棄し王の回廊へ移動。ヴァレンシュタイン卿率いる遠征軍第二軍と合流する」
その命令に、一部の士官らが騒つく。しかしミカエルは真っ直ぐにその騒めきを見据え、そして有無を言わさずそれを沈めた。
「我らだけではセレン様をお守りできない。ヴァレンシュタイン軍は未だ五万の兵力を抱えている。生き延びるためには彼らの助力が不可欠であるとの判断だ」
冬の北風が聖堂前を吹き抜ける。
「この難局を乗り切るため、皆の力を貸してほしい。我ら一丸となって〈教会〉の十字架旗に集い、そして生きて故郷に帰ろう」
人面甲のリンドバーグがいの一番に敬礼する。それに続き他の士官たちも敬礼し、重なり合う甲冑の音が聖堂前で静かに響いた。
雪上に、静かな意志が灯る。
ふと、ミカエルは士官らの中にいる弟のアンダースに目をやった。アンダースの視線は騎兵帽のつばに隠れ、ミカエルの位置からは読み取れなかった。
*****
〈帝国〉を覆う冬の色は、遥か南の地平線までもを白く染めている。
月盾騎士団の百騎がボフォースの南へ向かい駆け出していく。去り際、最後尾の一騎が城壁の上に立つミカエルに向かい剣を掲げる。
ミカエルは別れを告げるアナスタシアディスに対し、古めかしい直剣を虚空に掲げ返事をした。
負傷兵の移送部隊と、アナスタシアディス率いる救援要請の先遣隊が城を出る。その出発を見届け、ミカエルが城門前に向かおうとすると、どこから現れたのか、アンダースが小声で耳打ちしてきた。
「一部の将軍や士官は、負傷兵らと一緒に逃げたかったでしょうね」
「誰しもがそう思う。揚げ足を取るようなことを言うな」
他人事のように冷笑するアンダースをミカエルは窘めたが、アンダースは気にする様子もなかった。
「生存と帰還だけを考えれば、先遣隊からの連絡を待たずに帰途へ着くのが一番だということです。帝国軍は我々を無視して移動しました。その矛先は恐らくヴァレンシュタインであり、ヴァレンシュタインと合流するということは、再び帝国軍と干戈を交えるということになりますよ」
子供に説く様な口調のアンダースに腹を立てながらも、ミカエルは黙って聞いていた。
「帝国軍に城を包囲されていたときとは状況が違います。なぜ今さら合流という選択肢を取るのです?」
「我らは軍旗に誓った。月盾騎士団はロートリンゲン家の名誉を、〈教会〉の偉大なる信仰を、そして遠征軍総帥たる第六聖女の天使の錦旗を守る盾だと」
「それならば今回は退却するしかありますまい。こちらは兵も食料も足りません。敵がヴァレンシュタインを追っている今なら逃げ切れます」
終始冷笑を浮かべるアンダースをミカエルは睨みつけた。アンダースは驚いたように視線を逸らしつつ、なおも言葉を続ける。
「──よもや父上の敵討ちなど考えておりますまい? よしんば敵討ちができたとしても、血みどろの戦いになりますよ」
「アンダース……。お前が父上と不仲だったことは知っている。だが私は違う」
「……戦いになれば第六聖女も再び戦火に晒されるのですよ? それでは我が家の敵討ちにセレン様を利用してるようにも思えますが……」
薄っすらと口元を歪めるアンダースを、ミカエルは再度睨みつけた。
「皇帝を殺す。グスタフ三世の首を教皇庁に掲げ、その血で帝都を染めてやる。そのためなら、セレン様にも戦ってもらう」
──これは賭けである。そしてミカエルは本気だった。グスタフ三世の首を取り、教会遠征軍に勝利をもたらし、この戦争を終わらせる。
〈血の礼拝日〉を行った皇帝の暴虐を正し、教会軍の威信を取り戻す。それは遠征軍の指揮を執った父ヨハン、そして五大家筆頭ロートリンゲン家に課された使命でもある。
第六聖女セレンを巻き込むことも承知している。だからこその賭けでもある。大勢が覆った以上、聖女の存在なくして残存兵の団結はない。そしてヴァレンシュタインの兵力も勝利には必要不可欠なものである。
アンダースの危惧も理解できる。しかしミカエルは父の遺体を前に誓った。
──必ずこの〈帝国〉の地から生きて帰ると。そして──必ず帝国軍に死の報いを受けさせると。
遠征軍の象徴たるセレンの存在がミカエルの心に火を灯した──乙女の導きがあれば、軍はまだ戦える、戦い続ける。生き残るため、そして勝利者たるロートリンゲン家の家名を守るために──。
それは小さく静かな、そして確かな意志。
アンダースはミカエルの眼差しを無感情に一瞥すると、その視線を騎兵帽のつばで隠し、それ以上は何も言わなかった。
*****
ボフォースの城の尖塔から〈教会〉の十字架旗が降ろされる。過去の異物である朽ちかけた城が再び捨てられる。
降ろされる教会旗と、その先に広がる虚空を一瞥したあと、ミカエルはボフォースの城門に集まる軍勢を睥睨した。
親衛隊、月盾騎士団を中心とした残存部隊はすでに出発の準備を終え整列している。士官たちは冬季戦用の装備に身を包んでいるが、兵士たちの多くは擦り切れた外套程度しか行き渡っておらず、風が吹くたび身震いの音が地を這い回る。
馬車の中にいる第六聖女セレンに頭を下げたあと、ミカエルは馬上から全軍に向けて声を上げた。
語る──エリクソン平原での敗北。ボフォースでの虐殺。父ヨハンの死。誰の目にも涙はない。流す涙はとうに擦り切れている。
今後待ち受けるであろう苦難。ヴァレンシュタインとの合流。そしてティリーへの救援要請。誰もが押し黙って聞いている。誰もが寒空の下で、必死に立っている。
ミカエルが話し終えても、声はなかった。僅かに聞こえるのは断続的な身震いの音。それも時折吹きつける強き北風に消えていく。
親衛隊長ビスコフの掛け声とともに、全軍が一斉に敬礼する。しかしそこには何の感情も見えなかった。
ミカエルは進発の号令をかけた。月盾騎士団を先頭に、〈教会〉の十字架旗と第六聖女の天使の錦旗が城外へと歩み出ていく。
おぼろげな冬の陽は、雪原に続く道を静かに照らす。
*****
おぼろげな冬の陽が雪景色に揺れる。
僅かな冬晴れのあと、〈帝国〉の地は再び雪雲に覆われた。降り積もる雪は何も言わず、戦場の死も、枯れた森の焼け跡も、そしてまだ地に残る人影さえも白く染めていく。
白く染まった朽ちかけた古城、〈教会〉の十字架旗が掲げられたボフォースの城に、鎮魂の歌が響く。
聖堂前の広場に置かれた豪奢な棺を囲み、教会軍の兵士たちが祈りを捧げる。それはミカエルの父であり、ロートリンゲン家の家長であり、教会遠征軍元帥であったヨハン・ロートリンゲンの棺である。
第六聖女セレンと従軍司祭らの主導で葬送の儀が行われる。ボフォースの虐殺で殺されたヨハン元帥以外の死者は、未だ雪原で眠っている。
ヨハンの次男、ミカエル・ロートリンゲンは式に立ち会い、ただ静かに祈った。
その目は迷いなく静謐を見つめ、その姿は確固たる意志で冷雪に屹立する。
葬送の儀の終わり、棺が閉められる直前に、ミカエルは父を見た。その遺体は清め整えられてはいたが、やはり死に際の悲痛な表情だけは凍りついたままだった。
別れ際、ミカエルは父の遺体に誓った──必ずこの〈帝国〉の地から生きて帰ると。そして──。
移送のためヨハンの棺が下げられると、間もなく兵士たちは散会した。
聖堂前から人気がなくなると、ミカエルは教会遠征軍の残存士官、月盾騎士団の主だった幕僚を残らず集めた。騎士団の副官と親衛隊隊長を兼任するディーツ、弟のアンダース、将校のアナスタシアディスとリンドバーグ、そして敵陣から戻ってきたウィッチャーズもいる。
寒空のおぼろげな陽が、雪上に浮かぶ無数の影を揺らす。
「国境沿いのティリー卿へ救援要請を出す。先遣隊の指揮官はアナスタシアディス。能力のある者を選抜し、ただちに出発の準備を。合わせて最適と思える経路を検討し報告せよ」
ミカエルの命令に、アナスタシアディスが敬礼する。他の者たちは黙って命令を聞いている。
雪中行軍の能力とティリーとの交渉の両方を考えた場合、先遣隊の指揮官はアナスタシアディス以外いなかった。同郷で知己のアナスタシアディスならティリーも話を聞くだろうが、他の者では門前払いをくらう恐れがある。アナスタシアディスが抜けても、ウィッチャーズが帰還したのでその穴は埋まる。
続いて月盾騎士団を含めた全軍の再編と、負傷兵の後方移送を指示する。負傷兵約三千名は、残存する将軍の中で最も高位の者に指揮を任せた。ただその将軍も負傷しているうえに、後方連絡線は帝国軍の遊撃隊に常に狙われているが、ここに残る者たちよりは希望がある。往路である北陵街道に戻れば、後方からの輜重部隊に会える可能性もある。
ミカエルは生き残った士官たちを見た。誰も彼も寒さに沈み、覇気はない。しかしそれでも、その両足は地をしっかりと踏み締め立っている。
「これまで遠征軍の指揮を執ってきた我が父、ヨハン・ロートリンゲン元帥はもういない。これからは我らだけでこの敗勢の中を戦い続けなければならない」
今や後任の指揮官となったミカエルを全員が見ている。今まで父が背負ってきたであろう重荷、軍の存亡を賭けた重責が、ミカエルの双肩に圧しかかる。
「もはや〈第六聖女遠征〉は果たせぬかもしれぬ。それでも総帥である第六聖女セレン様はご健在である。我らは〈教会〉の騎士として聖女様をお守りし、十字架旗への忠節を果たさねばならぬ」
歴然とする勝敗と父の死を前にして茫然自失になりかけたミカエルを、セレンの小さな手が揺り戻した──決して独りではないと。
「第六聖女セレン様と残余の本隊一万二千名は、これよりボフォースを放棄し王の回廊へ移動。ヴァレンシュタイン卿率いる遠征軍第二軍と合流する」
その命令に、一部の士官らが騒つく。しかしミカエルは真っ直ぐにその騒めきを見据え、そして有無を言わさずそれを沈めた。
「我らだけではセレン様をお守りできない。ヴァレンシュタイン軍は未だ五万の兵力を抱えている。生き延びるためには彼らの助力が不可欠であるとの判断だ」
冬の北風が聖堂前を吹き抜ける。
「この難局を乗り切るため、皆の力を貸してほしい。我ら一丸となって〈教会〉の十字架旗に集い、そして生きて故郷に帰ろう」
人面甲のリンドバーグがいの一番に敬礼する。それに続き他の士官たちも敬礼し、重なり合う甲冑の音が聖堂前で静かに響いた。
雪上に、静かな意志が灯る。
ふと、ミカエルは士官らの中にいる弟のアンダースに目をやった。アンダースの視線は騎兵帽のつばに隠れ、ミカエルの位置からは読み取れなかった。
*****
〈帝国〉を覆う冬の色は、遥か南の地平線までもを白く染めている。
月盾騎士団の百騎がボフォースの南へ向かい駆け出していく。去り際、最後尾の一騎が城壁の上に立つミカエルに向かい剣を掲げる。
ミカエルは別れを告げるアナスタシアディスに対し、古めかしい直剣を虚空に掲げ返事をした。
負傷兵の移送部隊と、アナスタシアディス率いる救援要請の先遣隊が城を出る。その出発を見届け、ミカエルが城門前に向かおうとすると、どこから現れたのか、アンダースが小声で耳打ちしてきた。
「一部の将軍や士官は、負傷兵らと一緒に逃げたかったでしょうね」
「誰しもがそう思う。揚げ足を取るようなことを言うな」
他人事のように冷笑するアンダースをミカエルは窘めたが、アンダースは気にする様子もなかった。
「生存と帰還だけを考えれば、先遣隊からの連絡を待たずに帰途へ着くのが一番だということです。帝国軍は我々を無視して移動しました。その矛先は恐らくヴァレンシュタインであり、ヴァレンシュタインと合流するということは、再び帝国軍と干戈を交えるということになりますよ」
子供に説く様な口調のアンダースに腹を立てながらも、ミカエルは黙って聞いていた。
「帝国軍に城を包囲されていたときとは状況が違います。なぜ今さら合流という選択肢を取るのです?」
「我らは軍旗に誓った。月盾騎士団はロートリンゲン家の名誉を、〈教会〉の偉大なる信仰を、そして遠征軍総帥たる第六聖女の天使の錦旗を守る盾だと」
「それならば今回は退却するしかありますまい。こちらは兵も食料も足りません。敵がヴァレンシュタインを追っている今なら逃げ切れます」
終始冷笑を浮かべるアンダースをミカエルは睨みつけた。アンダースは驚いたように視線を逸らしつつ、なおも言葉を続ける。
「──よもや父上の敵討ちなど考えておりますまい? よしんば敵討ちができたとしても、血みどろの戦いになりますよ」
「アンダース……。お前が父上と不仲だったことは知っている。だが私は違う」
「……戦いになれば第六聖女も再び戦火に晒されるのですよ? それでは我が家の敵討ちにセレン様を利用してるようにも思えますが……」
薄っすらと口元を歪めるアンダースを、ミカエルは再度睨みつけた。
「皇帝を殺す。グスタフ三世の首を教皇庁に掲げ、その血で帝都を染めてやる。そのためなら、セレン様にも戦ってもらう」
──これは賭けである。そしてミカエルは本気だった。グスタフ三世の首を取り、教会遠征軍に勝利をもたらし、この戦争を終わらせる。
〈血の礼拝日〉を行った皇帝の暴虐を正し、教会軍の威信を取り戻す。それは遠征軍の指揮を執った父ヨハン、そして五大家筆頭ロートリンゲン家に課された使命でもある。
第六聖女セレンを巻き込むことも承知している。だからこその賭けでもある。大勢が覆った以上、聖女の存在なくして残存兵の団結はない。そしてヴァレンシュタインの兵力も勝利には必要不可欠なものである。
アンダースの危惧も理解できる。しかしミカエルは父の遺体を前に誓った。
──必ずこの〈帝国〉の地から生きて帰ると。そして──必ず帝国軍に死の報いを受けさせると。
遠征軍の象徴たるセレンの存在がミカエルの心に火を灯した──乙女の導きがあれば、軍はまだ戦える、戦い続ける。生き残るため、そして勝利者たるロートリンゲン家の家名を守るために──。
それは小さく静かな、そして確かな意志。
アンダースはミカエルの眼差しを無感情に一瞥すると、その視線を騎兵帽のつばで隠し、それ以上は何も言わなかった。
*****
ボフォースの城の尖塔から〈教会〉の十字架旗が降ろされる。過去の異物である朽ちかけた城が再び捨てられる。
降ろされる教会旗と、その先に広がる虚空を一瞥したあと、ミカエルはボフォースの城門に集まる軍勢を睥睨した。
親衛隊、月盾騎士団を中心とした残存部隊はすでに出発の準備を終え整列している。士官たちは冬季戦用の装備に身を包んでいるが、兵士たちの多くは擦り切れた外套程度しか行き渡っておらず、風が吹くたび身震いの音が地を這い回る。
馬車の中にいる第六聖女セレンに頭を下げたあと、ミカエルは馬上から全軍に向けて声を上げた。
語る──エリクソン平原での敗北。ボフォースでの虐殺。父ヨハンの死。誰の目にも涙はない。流す涙はとうに擦り切れている。
今後待ち受けるであろう苦難。ヴァレンシュタインとの合流。そしてティリーへの救援要請。誰もが押し黙って聞いている。誰もが寒空の下で、必死に立っている。
ミカエルが話し終えても、声はなかった。僅かに聞こえるのは断続的な身震いの音。それも時折吹きつける強き北風に消えていく。
親衛隊長ビスコフの掛け声とともに、全軍が一斉に敬礼する。しかしそこには何の感情も見えなかった。
ミカエルは進発の号令をかけた。月盾騎士団を先頭に、〈教会〉の十字架旗と第六聖女の天使の錦旗が城外へと歩み出ていく。
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