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第二章 戦火の行く先
2-7 首塚
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朽ちかけた古城に掲げられる十字架旗と月盾の旗、そして天使の錦旗が冬の風にたなびく。
主郭の本営前にはすでに主力部隊が待機していた。城壁の上にも銃兵が配置されている。マスケット銃が行き渡らなかった兵には、城の保管庫に眠っていた弩や弓を持たせてある。
ミカエルはセレンの手を引きながら、士官らが待機する主郭の檀上に上がった。
熱い視線がミカエルとセレンに注がれる──誰もが疲弊し、やつれていた。だが第六聖女セレンを見る目には、確かな熱が籠っている。
「セレン様、どうか兵士らに祝福の言葉を……」
ミカエルが声をかけると、セレンが人垣の一歩前へと進み出る。
教会軍の誰もが、一人の少女を見つめている。
澄んだ白銀の甲冑をまとった少女。栗色の髪をなびかせる、幼さの残る横顔。しかしその眼光は、充満する死の臭いに呑まれることなく、兵士たちを見据えていた。
慈愛に満ちた眼差しが兵士たちを優しく包む。握られた十字架は、全軍を鼓舞するように雪に輝く。
ほんの一瞬、風が止む――そして語る。
兵士一人一人に語りかけるように言葉を紡ぐ。拙くとも、魂に訴えかける言葉の欠片。心の底を滾らせるような、深層から表れる真っ直ぐな感情。それは死の音色をかき消し、戦場に希望を灯す福音。
遠くでは北風の哭き声が聞こえる。だが今このとき、ボフォース城内は第六聖女セレンの声を除いて、一切は静謐の帳に包まれていた。
その言葉が終わり、十字架が高々と掲げられると、地鳴りのような雄叫びが轟く。兵士らの喝采を一心に浴びるその姿は、まさに戦場に現れた聖女だった。
ミカエルもまた無意識に拳を振り上げ、天に向かって気を吐いていた。
うらぶれていた古城を包む空気が一変する。セレンと乙女騎士隊の子女らが祈りの歌を捧げる──それに合わせて歌う者、祈る者、喝采する者──教会軍兵士たちのそれらが渾然一体となり、空気を震わす。
「セレン様、ありがとうございました。これで皆、心置きなく戦いに専念することができます」
「務めを果たせたようで何よりです。演説前はうまくいくかどうか、いつも不安になるので……」
「これより先は我らの仕事です。セレン様は親衛隊とともに本営にてお待ち下さい」
「わかりました。それではミカエル様、あとはお頼みします。御父上様のヨハン元帥が仰った、生きて帰還せよとのお言葉を胸に、共に戦いましょう」
そう言って優しく微笑んだセレンに別れを告げ、ミカエルは月盾騎士団から選抜した二千騎を率い城門前まで駆けた。歓声が耳元を駆け抜ける。
遠くの空では、黒煙が雪雲と入り混じり、陰鬱な暗雲が立ち込めている。城門の外に広がる枯れた森の中からは、帝国軍の軍靴と鼓笛も聞こえてくる。
周りの騎士たちを見回す。誰の目も覚悟を決めている。
「さぁ始めるぞ! 先の戦いの屈辱を思い出せ! 野戦では敵に分があろうが、今度は城に籠る我らが有利だ! 次は我々が奴らを地に引きずり落とす!」
雪降る暗雲を裂くように、剣の切っ先を天に指す。再び歓声がボフォースの城にこだまする。
「帝国軍がどんなに強大であろうとも恐れるな! 神の御加護を信じ、我らが乙女の導きに従い剣を取れ! 今日このときを生きるために抗い戦うのだ!」
月盾の旗を掲げる。ミカエルの合図で城壁の鼓笛隊が勇壮な軍楽を奏で、銃兵が一斉に射撃準備を始める。
枯れた森の中から〈帝国〉の黒竜旗が近づいてくる。森の木立に揺らめくその黒い輪郭が、月盾の旗を目にし、微笑むようにその表情を歪めた。
*****
戦火が古城に押し寄せてくる。
向かい合う〈教会〉の十字架旗と〈帝国〉の黒竜旗が、再び雪原にて相対する。
ボフォースの中央城門の上に立つミカエルの前に、雪色に染まる〈帝国〉の軍勢が姿を現す。
黒竜の旗の下、隊列を組んだ歩兵と砲兵が、枯れた森の中からゆっくりとボフォースの古城に近づいてくる。
第六聖女セレンの演説により、教会軍の士気は高揚していた。静かに敵の襲来を待つその姿勢に、怖じた様子は見られない。
ミカエルも手の震えを抑えるように剣の柄を握り締め、開戦を待った。
──そのとき、誰かが枯れた森を指差し、何か言った。
壁を隔てた先、帝国軍の戦列から何かが雪原に投げ込まれる。一つ、二つとそれは増えていき、地面を転がっていく。
高揚していた教会軍の静寂に、不穏な気配が漂い始める。何事かと探るように、ボフォースの城壁に兵が集まってくる。
ミカエルは側近から遠眼鏡を受け取り、踏み荒らされた雪原の先を見た。
──それは首だった。
泥と雪に塗れ、何者かもわからぬ、悲痛に歪んだ死に顔が次々に投げ込まれる。
森の中から首の結びつけられた長槍がいくつも現れる。血塗れになった〈教会〉の十字架旗、その先にはやはり無数の首が結ばれている。
続いて、目隠しをされ拘束された者たちの行列が現れる。雪原に断頭台が用意され、断頭斧を持った帝国兵たちが行列に鞭打つ。
断頭台に寝かされ、目隠しを取られた者の悲鳴が響き、そこかしこで首が飛び始める。事態を察知して逃げる者の背中に銃弾が撃ち込まれ、時折、嘲笑とともに銃殺が行われる。命乞いの声と帝国兵のせせら笑いが雪原にこだまし、夥しい流血の赤が雪景色を染めていく。
虐殺が始まる。
帝国軍は攻めてこなかった。そして塹壕や野戦陣地に代わり、それは築かれた。
──雪原を血の赤で染めながら、首塚が築かれていく。
つい先ほどまで意気揚々としていた教会軍の兵士らは、死んだように静まり返っていた。皆、目の前で無惨に処刑される囚われの仲間たちをただ眺めることしかできなかった。
一際大きな笑い声に押されるようにして、ロバが現れる。豪奢な甲冑をまとった首のない死体を乗せるロバが、ノロノロと雪原を歩き回る。二匹目のロバは、天蓋の上に首を乗せた馬車を牽いている。
それを見た瞬間、震える手で遠眼鏡を覗いていたミカエルの体は硬直し、そして遠眼鏡が石畳の上に落ちた。
天蓋の上に乗せられた首は、ミカエルの父、ヨハンの首だった。
主郭の本営前にはすでに主力部隊が待機していた。城壁の上にも銃兵が配置されている。マスケット銃が行き渡らなかった兵には、城の保管庫に眠っていた弩や弓を持たせてある。
ミカエルはセレンの手を引きながら、士官らが待機する主郭の檀上に上がった。
熱い視線がミカエルとセレンに注がれる──誰もが疲弊し、やつれていた。だが第六聖女セレンを見る目には、確かな熱が籠っている。
「セレン様、どうか兵士らに祝福の言葉を……」
ミカエルが声をかけると、セレンが人垣の一歩前へと進み出る。
教会軍の誰もが、一人の少女を見つめている。
澄んだ白銀の甲冑をまとった少女。栗色の髪をなびかせる、幼さの残る横顔。しかしその眼光は、充満する死の臭いに呑まれることなく、兵士たちを見据えていた。
慈愛に満ちた眼差しが兵士たちを優しく包む。握られた十字架は、全軍を鼓舞するように雪に輝く。
ほんの一瞬、風が止む――そして語る。
兵士一人一人に語りかけるように言葉を紡ぐ。拙くとも、魂に訴えかける言葉の欠片。心の底を滾らせるような、深層から表れる真っ直ぐな感情。それは死の音色をかき消し、戦場に希望を灯す福音。
遠くでは北風の哭き声が聞こえる。だが今このとき、ボフォース城内は第六聖女セレンの声を除いて、一切は静謐の帳に包まれていた。
その言葉が終わり、十字架が高々と掲げられると、地鳴りのような雄叫びが轟く。兵士らの喝采を一心に浴びるその姿は、まさに戦場に現れた聖女だった。
ミカエルもまた無意識に拳を振り上げ、天に向かって気を吐いていた。
うらぶれていた古城を包む空気が一変する。セレンと乙女騎士隊の子女らが祈りの歌を捧げる──それに合わせて歌う者、祈る者、喝采する者──教会軍兵士たちのそれらが渾然一体となり、空気を震わす。
「セレン様、ありがとうございました。これで皆、心置きなく戦いに専念することができます」
「務めを果たせたようで何よりです。演説前はうまくいくかどうか、いつも不安になるので……」
「これより先は我らの仕事です。セレン様は親衛隊とともに本営にてお待ち下さい」
「わかりました。それではミカエル様、あとはお頼みします。御父上様のヨハン元帥が仰った、生きて帰還せよとのお言葉を胸に、共に戦いましょう」
そう言って優しく微笑んだセレンに別れを告げ、ミカエルは月盾騎士団から選抜した二千騎を率い城門前まで駆けた。歓声が耳元を駆け抜ける。
遠くの空では、黒煙が雪雲と入り混じり、陰鬱な暗雲が立ち込めている。城門の外に広がる枯れた森の中からは、帝国軍の軍靴と鼓笛も聞こえてくる。
周りの騎士たちを見回す。誰の目も覚悟を決めている。
「さぁ始めるぞ! 先の戦いの屈辱を思い出せ! 野戦では敵に分があろうが、今度は城に籠る我らが有利だ! 次は我々が奴らを地に引きずり落とす!」
雪降る暗雲を裂くように、剣の切っ先を天に指す。再び歓声がボフォースの城にこだまする。
「帝国軍がどんなに強大であろうとも恐れるな! 神の御加護を信じ、我らが乙女の導きに従い剣を取れ! 今日このときを生きるために抗い戦うのだ!」
月盾の旗を掲げる。ミカエルの合図で城壁の鼓笛隊が勇壮な軍楽を奏で、銃兵が一斉に射撃準備を始める。
枯れた森の中から〈帝国〉の黒竜旗が近づいてくる。森の木立に揺らめくその黒い輪郭が、月盾の旗を目にし、微笑むようにその表情を歪めた。
*****
戦火が古城に押し寄せてくる。
向かい合う〈教会〉の十字架旗と〈帝国〉の黒竜旗が、再び雪原にて相対する。
ボフォースの中央城門の上に立つミカエルの前に、雪色に染まる〈帝国〉の軍勢が姿を現す。
黒竜の旗の下、隊列を組んだ歩兵と砲兵が、枯れた森の中からゆっくりとボフォースの古城に近づいてくる。
第六聖女セレンの演説により、教会軍の士気は高揚していた。静かに敵の襲来を待つその姿勢に、怖じた様子は見られない。
ミカエルも手の震えを抑えるように剣の柄を握り締め、開戦を待った。
──そのとき、誰かが枯れた森を指差し、何か言った。
壁を隔てた先、帝国軍の戦列から何かが雪原に投げ込まれる。一つ、二つとそれは増えていき、地面を転がっていく。
高揚していた教会軍の静寂に、不穏な気配が漂い始める。何事かと探るように、ボフォースの城壁に兵が集まってくる。
ミカエルは側近から遠眼鏡を受け取り、踏み荒らされた雪原の先を見た。
──それは首だった。
泥と雪に塗れ、何者かもわからぬ、悲痛に歪んだ死に顔が次々に投げ込まれる。
森の中から首の結びつけられた長槍がいくつも現れる。血塗れになった〈教会〉の十字架旗、その先にはやはり無数の首が結ばれている。
続いて、目隠しをされ拘束された者たちの行列が現れる。雪原に断頭台が用意され、断頭斧を持った帝国兵たちが行列に鞭打つ。
断頭台に寝かされ、目隠しを取られた者の悲鳴が響き、そこかしこで首が飛び始める。事態を察知して逃げる者の背中に銃弾が撃ち込まれ、時折、嘲笑とともに銃殺が行われる。命乞いの声と帝国兵のせせら笑いが雪原にこだまし、夥しい流血の赤が雪景色を染めていく。
虐殺が始まる。
帝国軍は攻めてこなかった。そして塹壕や野戦陣地に代わり、それは築かれた。
──雪原を血の赤で染めながら、首塚が築かれていく。
つい先ほどまで意気揚々としていた教会軍の兵士らは、死んだように静まり返っていた。皆、目の前で無惨に処刑される囚われの仲間たちをただ眺めることしかできなかった。
一際大きな笑い声に押されるようにして、ロバが現れる。豪奢な甲冑をまとった首のない死体を乗せるロバが、ノロノロと雪原を歩き回る。二匹目のロバは、天蓋の上に首を乗せた馬車を牽いている。
それを見た瞬間、震える手で遠眼鏡を覗いていたミカエルの体は硬直し、そして遠眼鏡が石畳の上に落ちた。
天蓋の上に乗せられた首は、ミカエルの父、ヨハンの首だった。
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