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第一章 騎士たちの邂逅

1-1 〈第六聖女遠征〉

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 ──月盾の軍旗が翻る。〈教会〉の信仰に忠誠を誓う騎士たちが、第六聖女の天使の錦旗を守るべく大地を駆ける。



*****



 地のどこからか滲み出る燻りに、北の〈帝国〉が静かに揺らいでいた。
 濁った雲間から覗く色を失った夕陽が、荒涼たる大地を虚しく照らす。淡い雪に染まる地は仄暗く、吹き抜ける北風は冬の音を運んでくる。

 雪に染まる枯れた森、痩せた針葉樹の隙間を縫うようにして、馬群が東へ向かい走っている。
 十字架の旗をはためかせる〈教会〉の騎士団が、〈帝国〉の領地を踏み荒らし進軍する。磨き抜かれた鉄の重甲冑が、疾駆のたびに鈍い金属音を鳴らす。
 その先頭、〈月の盾〉の紋章が描かれた軍旗を手にする若き騎士、月盾騎士団の団長ミカエル・ロートリンゲンは、森の先に立ち込める白煙を見つめていた。
 枯れた森が哭いている。月盾騎士団五千騎の馬蹄に交じり、森の先に巻き上がる白煙からは雷鳴の如き砲声も聞こえてくる。
 澄んだ空気が冷たく張りつめていく。
 ミカエルは雷鳴に向かって駆けた──戦が始まっている。



*****



 教会軍による帝国領への〈第六聖女遠征〉が始まり、三ヵ月が経過していた。
 〈血の礼拝日〉に対する復讐の声が、教会遠征軍を突き動かしていた。
 春、雪解けとともに〈帝国〉が自国から〈教会〉の影響力を排除しようと行った〈血の礼拝日〉により、教皇庁の外交使節団が虐殺された。帝都の大聖堂は血で染まり、各地で〈教会〉関係者への魔女狩りが発生。それは帝国領内だけに留まらず、国境周辺の教会領にまで飛び火し、帝国軍は各地で破壊と略奪の限りを尽くした。
 大衆は早急な報復を望んだが、秋から冬にかけての遠征ということもあり、敵地での越冬を危惧する慎重論ももちろんあった。しかしあろうことか、〈帝国〉皇帝グスタフ三世が教皇庁からの最後通牒を黙殺し逆に挑発。それに対して恥知らずと怒り狂った貴族たちの後押しを受け、教皇庁は圧倒的な戦力差による早期決着を目論み、年明けを待たず遠征を開始した。

 〈教会〉の信仰と教皇庁の威信を守るため、そして〈帝国〉皇帝グスタフ三世の暴虐を正し、大陸の安寧を保つための戦いが始まった。

 〈教会の七聖女〉の一人、第六聖女セレンを遠征軍総帥とし、ミカエルの父であるヨハン・ロートリンゲン元帥を総指揮官とする本隊八万と、その次席であるヴァレンシュタイン元帥率いる第二軍七万、総勢十五万を動員する遠征軍である。さらに国境沿いにはティリー卿率いる二万が後衛部隊として備えている。兵力をかき集めても五万足らずの帝国軍は、一蹴の下に滅ぶだろうと誰もが予想していた。
 大方の予想通り、帝国軍は各戦線とも大規模な会戦を避け、北の帝都に向かい撤退を繰り返している。月盾騎士団も何度か会敵したが、ほとんど犠牲も出さずに追い払っている。

 ──しかし冬は訪れた。

 数日前から降り始めた雪は、すぐに〈帝国〉の地を白く染め上げた。そしてその訪れを待たずして、教会遠征軍はすでに疲弊しきっていた。
 撤退を続ける帝国軍がとった行動は、焦土作戦による遅滞行動だった。
 教皇庁のある宮廷都市群と比べれば、驚くほど貧相で痩せた土地ばかりの〈帝国〉に、さらなる戦火が放たれた。
 進軍路上にある町は焦土と化し、略奪による物資補給の望みは早々に断たれた。伸びきった教会遠征軍の兵站線は狙われ、輜重の供給は度々寸断された。川に架かる橋は落とされ、何度も大きな迂回を強いられた。
 第六聖女セレンとヨハン・ロートリンゲン元帥率いる本隊は北陵街道を、ヴァレンシュタイン元帥率いる第二軍は王の回廊を進んでいるが、どちらも長引く行軍により、敵との戦闘よりも兵站の維持管理と進軍路の確保に注力せざるをえない状況に陥っていた。軍勢の規模は徐々に縮小し、総勢十五万いた兵力は十万まで落ち込み、本隊も初期の八万から五万まで兵力を減らしていた。
 戦果はなく、兵士らには疲労感が、士官らには倦怠感が漂い始めていた。
 それでも教会軍は進軍を止めなかった──止められないといった方が正しい──大軍が動き出した以上、生半可なことでは後には退けない。兵数では未だ勝っている。その大軍をもって帝都まで踏破すれば、この戦争に勝てる。ミカエルの父であり遠征軍総指揮官のヨハンはそう語った。
 このまま進軍を続ければ、本格的な寒波の到来までには帝都に辿り着く。そこで改めて皇帝グスタフ三世に最後通牒を突きつけ、帝国軍の降伏を受け入れる。それまでの辛抱だと軍議では皆が口を揃えて言った。
 一度だけ、それまで軍の体裁が保てるのかとミカエルは父に問うた。明確な返答はなかった。



*****



 そして今、それまでは不気味なほど静かだった北の大地は、にわかに騒めき始めていた。

 ミカエルの耳元を薙ぐ風切り音の隅で、雷鳴が次第に大きくなっていく。
 戦いの生む音──打ち鳴らされる剣戟と銃声がけたたましく交わって命を削り、死が交錯する。無慈悲に鳴り響く砲声は兵士たちのあらゆる声色を引きちぎり、断末魔は曇天の空に消えていく。それでも軍靴と鼓笛はその足音を止めない。
 森の木立が薄らぎ、徐々に視界が開けていく。ミカエルをはじめ、月盾騎士団の騎士たちに緊張の糸が絡みついていく。
 月の盾が雪原に躍り出る──ほんの一瞬、森の哭き声が途切れ、不気味な静けさが地を這う──。
 張り巡らされていた緊張の糸は瞬時にかき消え、そして静寂を破る者を探すように、そよぐ冷風がミカエルの金色の髪をなびかせ、その頬を撫でた。
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