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第六章 蠢く静寂

6-5 決戦の足音①  ……マクシミリアン

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 冬晴れの空に軍靴が響く。
 〈帝国〉の黒竜旗が、勇壮な行進曲マーチングに合わせ、白銀の王の回廊を南進する。

 軍全体に形容し難い緊張感が漂っている。指揮官から一兵卒に至るまで、誰もがそれを肌で察している。

 戦いが近づいている。それも、大きな戦いが……。

 行軍の束の間、マクシミリアンは空を見上げた──澄み渡る青空に、一瞬だけ、身を預ける──そして、一息つき、雪原に視線を戻した。
 黒騎兵オールブラックスの隊列が、雪と泥の地を進む。幾多の戦塵に塗れた漆黒の鎧兜は、白光にきらめいてなお、くすんでいる。
「牽制機動に出た極彩色の馬賊ハッカペルを帰陣させろ。接敵行軍から、砲撃戦に移行。黒騎兵オールブラックス各隊は、両翼で待機」
 何もしないキャモラン軍団長に代わり、実質的に第三軍団を指揮するエイモット幕僚長から伝令が来る。その指示を受け取ると、マクシミリアンは部隊に指示を出した。
 歩兵、騎兵、砲兵、合計一万になる第三軍団が動き出す。信号旗が翻り、伝令が行き交う。鼓笛隊の行進曲マーチングは転調し、兵士たちを急かすように打ち鳴らされる。
 行軍しながらの訓練である。現在、第三軍団は後方に位置しているが、前衛部隊が敵と小競り合いを繰り返し、皇帝が決戦を求めている以上、悠長に布陣し、訓練をしている暇はない。幸い、マクシミリアンと同位の歩兵隊長ヘッグ、砲兵隊長フリーデンの両名は叩き上げの軍人であり、配下も歴戦である。このような訓練には慣れている。

 三兵戦術において、歩兵、騎兵、砲兵の三兵科の連携は不可欠である。〈教会〉より国力が劣り、徴兵できる数にも限界がある帝国軍は、練度を高めることで少しでも兵力差を埋めるしかない。
 ボルボ平原の会戦では、遅滞作戦により戦力を消耗させていたため大勝できた。しかしヴァレンシュタインとヨハン・ロートリンゲン元帥の残存部隊が合流した今、敵は六万に増加した。対する帝国軍は、補充兵を加えても、全体としては五万を維持するのが限界である。
 キャモラン軍団長はボルボ平原の会戦後に得た一万以上の捕虜を補充戦力として使うよう、しきりに軍司令部に進言していた。だが、士気の落ちた敗軍の、〈教会〉に忠誠を誓う騎士たちを当て馬にしたところで、指揮系統の混乱を招くだけである。今の彼らは陣地設営など後方労役ですら荷が重い。皇帝はもちろん、まともな将軍たちは、そもそも前線で戦力になると思っていない。
 次の会戦は一方的な戦いにはならない。相手はあのグスタフ帝が目のかたきとする傭兵たちの王、ヴァレンシュタインである。さらには、敗勢の中で独り気を吐く月盾騎士団ムーンシールズもいる。ヨハン・ロートリンゲン元帥は死んだという噂もあったが、それならば、その私設騎士団である月盾の騎士たちは、余計に報復に燃えているだろう。

 血で血を洗う決戦を、誰もが予感している。その緊張感は、軍の動きにも表れている。

 砲撃戦、次いで射撃戦を想定した命令が下る。砲兵も含めた六千名からなる歩兵の隊形変換に合わせ、騎兵隊も隊形を変える。
 三千騎いる黒騎兵オールブラックスのうち、それぞれ千騎を指揮するアーランドンソンとイエロッテの部隊は、マスケット騎銃カービンを準備し、歩兵隊の側面に陣取る。マクシミリアン麾下の千騎は、遊撃隊として敵の動きに対応する。
 敵への牽制機動に出ていた極彩色の馬賊ハッカペルが、自陣に戻ってくる。
 黒騎兵オールブラックスが乗馬歩兵として歩兵隊の援護に回る一方、極彩色の馬賊ハッカペルは敵騎兵を迎撃するため、大外で動けるよう準備する。
「オッリに伝令。隊列が間延びしている。すぐに足並みを整えろ」
 マクシミリアンが出した個別命令に、ニクラスや伝令は一瞬だけ表情を曇らせたが、しかしすぐに動き出す。
 だが、伝令を出して尻を叩いても、極彩色の馬賊ハッカペルの足並みは揃わない。
 遠目から見ても、原因ははっきりしていた。遅れているのは、けばけばしい極彩色の馬賊ハッカペルにあって帝国人の軍装が目立つ一団、ヤンネの指揮する二百騎だった。

 その後も訓練は続いたが、極彩色の馬賊ハッカペルの動きは、最後まで改善しなかった。

 訓練行軍が終わると、マクシミリアンはニクラスら幕僚数名を連れ、極彩色の馬賊ハッカペルのもとに向かった。

 見過ごしてはおけなかった。ヤンネの動きが悪いのは、オッリが大暴れした一件が尾を引きずっているのは間違いなかった。
 しかし、それを言い訳にはできない──そもそも、やらかしたこと自体が言い訳できないのだが──足並みの乱れは、騎兵だけでなく、全軍の損害にも直結する。

 三兵戦術においては、それぞれの兵科が主役である。逆に言えば、どの兵科が欠けても、戦場では機能不全に陥る可能性がある。
 長らくの間、戦場では馬に跨った重装騎士が花形だった。やがて歩兵が長槍パイクで武装し槍衾やりぶすまを形成するようになると、戦場の女王は歩兵となる。そして銃火器の発達により、火力の優劣が勝敗の決定打を穿つようになると、今度は銃砲兵が取って代わって女王となった。
 長きに渡る闘争の末、長らく机上の空論でしかなかった三兵戦術を、グスタフ帝は今まさに完成させつつあった。
 さらに皇帝は、従来のいかなる軍隊とも違うものを作ろうとしていた。金額に応じた働きしかしない傭兵隊とも、時代遅れの騎士団とも違う、何か別の軍隊。〈神の依り代たる十字架〉さえも打ち倒す、国家たる己に忠誠を誓う軍隊を……。

 ただ、〈帝国〉にさしたる忠誠心もないマクシミリアンにとっては、そんなことはどうでもよかった。
 〈帝国〉は、生まれた地というだけである。この地の多くの王侯貴族に侮られ、嫌われているのは、わかっている。だが少なくとも、皇帝派と呼ばれる連中は、自分を評価してくれている。妹が嫁いだリーヴァ家や、軍上層部の中核を担うアーランドンソン家など、贔屓してくれる諸家もある。神への教義が国家の根幹をなす〈教会〉に比べれば、大陸の北部に位置するゆえに信仰の力は弱く、住み易くもある。
 そして故郷を捨てる前に、伴侶のユーリアを娶った。〈帝国〉にいる理由は、そんなものである。

 その〈帝国〉で軍人として戦う以上、危うい要素は看過できなかった。損害は即ち、敗北に直結する。

 英雄の道は、栄光の階段は、勝利することでしか進めない。

 むざむざ負けるつもりはない。敗北の汚泥は、十分過ぎるほどに知っているのだから。
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