48 / 97
第五章 強き北風の再起
5-6 虚無の冬 ……ヤンネ
しおりを挟む
冬の日。雪が揺れている。
否──揺れているのは自分だ。何もかもが覚束ぬまま、ただ虚無を漂っている。この白いだけの雪の中で、何かに縋ろうと彷徨い続けている。
降り続く雪が、体を、意識を蝕む。
体中が痛かった。父の拳は、怪我の後遺症など一切感じさせない、純然たる暴力だった。
体の痛みに加え、心も痛かった。その痛みの根源が何なのかは、考えたくなかった。
そして、思い出したかのように吹きつけた突風で、目が覚めた。
目覚めると、女の子がいた。
ヤンネよりも幼いその少女は、お湯に浸した布で、ヤンネの体を拭いていた。
目覚めに気づいた少女が、小さく悲鳴を上げ、後退る。
見慣れない顔。だが、どこかで見た覚えのある顔──侍従ではないし、従軍娼婦でもなさそうである。身なりこそやつれた囚人服だが、その顔つきや体つきは、いかにも上流階級という乙女に見えた。
「誰だ……?」
寝台から上体を起こし、声をかける。しかし少女は、顔を引きつらせたまま、幕舎の隅で震えている。
「ゴメンよ……。怖がらせるつもりはなかったんだ……」
どうしていいかわからず、とりあえず謝る。しかし、困るヤンネをよそに、少女は幕舎から走り去ってしまった。
朦朧とする意識の隅で、風の音が鳴り響く。幕舎の外の吹雪が吹き荒れるたび、痣だらけの体が、軋み、痛む。
少女が去ってしばらくすると、無数の足音がどたどたと押し寄せてきた。
「ヤンネ! やっと起きたのかよ!」
子供のように声を弾ませ、コッコがやってくる。
コッコが寝台の横で膝をつき、拳を前に突き出してくる。ヤンネも、反射的に拳を合わせる。仲間内でのいつもの挨拶が済むと、コッコは嬉しそうに笑った。
「親父殿に歯向かうなんて、何考えてんだよ! 殺されるんじゃないかって冷や冷やしてたんだぜ!」
いきなり、幕舎が賑やかになる。
コッコに続き、副官のサミ、同年代の戦友たちと、言葉を交わす。みな、顔を見合わせ、喜んでいる。蜂蜜酒が杯に注がれ、ちょっとした宴会も始まる。
しかしヤンネは、自らが仕出かしたことを思い出し、気まずさを覚えていた。久しぶりに会う仲間たちと、どう向き合っていいのか考えてしまった。
ヤンネが顔を伏せる横で、会話を途切れさせぬように気を使ったのか、仲間たちが近況を話し始める。
キャラモン軍団長殺害未遂事件は、帝国軍内でも相当な騒ぎになっていたようである。
父オッリの処刑、並びに騎兵隊への処罰を訴えるキャラモン軍団長は、軍司令部にまで請願書を提出し、厳罰を求めた。
当然、軍司令部も事態を重く見た。だが、最終的には皇帝グスタフ三世の一言で、全て仲裁されたらしい。
「それでさ、キャモランの野郎が、殺されそうになったから助けてーって泣きついて、陛下が何て返事したと思う? 『それでこそ、我が強き北風だ!』 だってさ。皇帝陛下って、脳みそまで筋肉で出来てんのかな?」
明るく話すコッコが、大仰な動きでグスタフ三世のものまねをする──真なる黒竜、北限の征服者、燃える心臓の男──みな、絵画で見るか、パレードで遠巻きでしか見たことがないにも関わらず、似ていると笑い合っている。
それは竹を真っ二つに割ったような、あまりに乱暴な回答だった。しかし、王侯貴族や権力者というのは、得てして平民の常識の範疇を逸脱している。それが国家を統べる絶対的な権力者ともなれば、尚更なのだろう。
皇帝と会ったことのないヤンネにも、何となく、その人柄は想像できた。しかし、その返答は理解できなかった。
様々な異名を欲しいままにする、男の中の男。自ら剣を取って戦場を駆ける、生粋の武闘派。〈教会〉に弓引き、この〈大祖国戦争〉を主導する、対〈教会〉強硬派の筆頭。そして、〈黒い安息日〉を引き起こした、神をも恐れぬ冒涜的殺戮者──しかし、語られる皇帝の姿は、ヤンネにとっては遠い存在でしかない。
コッコのものまねが終わると、サミが話を本線に戻す。
今回の一件は、皇帝の鶴の一声で手打ちにこそなったが、何の罰則もないわけはなかった。
父は処刑こそ免れたものの、営倉での禁固が科せられた。極彩色の馬賊の兵員も連帯責任で謹慎が科せられたが、こちらは野営地内での軟禁らしく、ある程度の自由はあるようだった。ヤンネ自身に関しては、特に罰則はなかった。
「ただ、戦利品の大半はキャモラン軍団長に接収されちまった。それでも、反逆罪の連座で死刑とかにならずに済んだのは、運がよかったのかな?」
コッコに代わり、サミが落ち着いた声で話す。しかし、すぐにコッコが横槍を入れる。
「安心しろよ! 捕まえた女たちはみんな残ってるからよ! お前も元気になったら好きな女抱けよ!」
コッコは相変わらず明るかったが、捕虜の女たちにとっては、引き続き地獄でしかないだろうと思った。
ヤンネの周りで、仲間たちの雑談が盛り上がっていく。外で吹き荒れる吹雪と相まって、幕舎の中は騒音状態に陥っている。
そんなすし詰めの幕舎に、さらに人がやってくる。
「あぁ、よかった。目が覚めたんだね」
なよなよとした文官が、人混みをかき分けて入ってくる。赤毛のカツラを被ったエイモット幕僚長が、朗らかな笑みを浮かべる。
エイモット幕僚長は、キャモラン軍団長の部下ではあるが、お飾り上司の下で、実質的に第三軍団を指揮する人でもある。軍司令部と細かく連絡を取り合うのもこの人で、ストロムブラード隊長ら現場士官たちにも信頼されている。
突然の上官の来訪に、ヤンネは上体を正し、敬礼した。
「いやいや、楽にしてて」
エイモット幕僚長が、寝台横の椅子に腰かける。
「君が身を挺してくれたおかげで、キャモラン軍団長も少しだけ溜飲を下げてくれたよ。それにしても、あのオッリ殿と互角に戦うなんて、君は本当に強いんだね。びっくりしちゃったよ」
明るく話すエイモット幕僚長は、本当に感心しているようにも見え、ヤンネは少し恥ずかしかった。
無能な指揮官と血気盛んな現場部隊の中間を取り持つ、難しい立場の人、という印象しかなかったので、その気さくな雰囲気は新鮮だった。ただ、ストロムブラード隊長と同じ四十代なのに、すでに髪は禿げ上がり、常時かつらを着用している。目尻の皺も老人のように深く、気苦労は多そうだった。
「動けるようになったら、育ての親のストロムブラード殿にお礼を言った方がいいよ。彼がひたすら頭を下げてくれたおかげで、お父さんは反逆罪で死刑にならずに済んだんだから」
エイモット幕僚長はそう言ったが、ヤンネは素直に感謝できなかった。
今まではあまり気にならなかったストロムブラード隊長の偏屈さが、ささくれのように引っかかる。
あんな馬面のハゲ野郎に跪き、頭を下げるくらいなら、最初から父を拘束し、止めていればよかったのだ。それなのに、傍観という危険を冒し、わざと事を荒立てるなんて、何を考えているのだろう?
恩人でもある養父に対し、初めて嫌悪のような感情を抱く。そんな自分自身にヤンネは困惑し、苛立った。
不機嫌になったのに気づいたのか、エイモット幕僚長が顔色を窺うように、また人当たりのよい笑顔を見せる。
「二人とも、第三軍団、ひいては帝国軍の大事な戦力です。戦時で気が立っているのもわかるけど、今後は内輪揉めなどの軽率な行動は控えるように。それから、軍団長への不敬罪も。普段から胃が痛い立場なのに、これ以上のゴタゴタが続くと、敵に殺される前に過労死しちゃうよ」
うまいことを言ったという顔をして、エイモット幕僚長が笑う。しかし、赤毛のかつらの隙間から流れる汗は、拭いても拭いても流れ落ちていた。
一通り話が済むと、仲間たちとエイモット幕僚長は去っていき、再び少女が戻ってきた。
嵐のような賑やかさが消え、また吹雪が哭き始める。
ヤンネは従者を呼ぶと、少女について訊ねた。
彼女は〈教会七聖女〉の元侍女で、父の戦利品ではあったが、多少医術の知識があったため、世話役に加えているとの話だった。
自分よりも幼い従者、それも女性が医学的な知識を備えていることに、ヤンネは素直に驚いた。
〈帝国〉と比べると、〈教会〉は総じて教育水準が高いと聞く。実際、〈教会七聖女〉やその近習は、孤児院や身分の低い出身者が多いらしい。〈帝国〉と文化が違うとはいえ、女性でも騎士になれるなど、身分格差が少ない社会構造が〈教会〉には根づいているようだった。
ヤンネは怖がらせぬように、恐る恐る少女を見た。少女は相変わらず怯えていたが、逃げ出す様子はなかった。
しばらくして、思い出した。あの夜、父に簀巻きにされ、挙句、捨て置かれていた少女である。
「君、名前は?」
「……シャナロッテ」
おずおずと答えるシャナロッテに、ヤンネは微笑んだ。しかし、少女はまだ怯えている。
「シャナロッテ。ありがとう」
怯えるシャナロッテは、何も答えなかった。
ヤンネは寝台に横になると、目を閉じた。
また、雪が揺れる。
同じ神を信じているはずなのに、どこで差が生まれたのか、ヤンネは不思議に思った。
〈教会七聖女〉──本来、〈神の依り代たる十字架〉の信徒は、信仰の導き手たる彼女らを奉り、崇拝しなければならない。しかし、同じ神の御名の許、〈教会〉と〈帝国〉は戦争を繰り広げている。
様々な世界が、脳裏を過る──〈帝国〉、〈教会〉。皇帝、第六聖女。強き北風、騎士殺しの黒騎士。極彩色の馬賊、黒騎兵、月盾騎士団。
疲れた──そして、考えるのを止めた。なぜなら、答えがないのはわかりきっている。
冬の日。吹雪が哭く。体は、意識は、ただひたすらに虚無を彷徨う。
否──揺れているのは自分だ。何もかもが覚束ぬまま、ただ虚無を漂っている。この白いだけの雪の中で、何かに縋ろうと彷徨い続けている。
降り続く雪が、体を、意識を蝕む。
体中が痛かった。父の拳は、怪我の後遺症など一切感じさせない、純然たる暴力だった。
体の痛みに加え、心も痛かった。その痛みの根源が何なのかは、考えたくなかった。
そして、思い出したかのように吹きつけた突風で、目が覚めた。
目覚めると、女の子がいた。
ヤンネよりも幼いその少女は、お湯に浸した布で、ヤンネの体を拭いていた。
目覚めに気づいた少女が、小さく悲鳴を上げ、後退る。
見慣れない顔。だが、どこかで見た覚えのある顔──侍従ではないし、従軍娼婦でもなさそうである。身なりこそやつれた囚人服だが、その顔つきや体つきは、いかにも上流階級という乙女に見えた。
「誰だ……?」
寝台から上体を起こし、声をかける。しかし少女は、顔を引きつらせたまま、幕舎の隅で震えている。
「ゴメンよ……。怖がらせるつもりはなかったんだ……」
どうしていいかわからず、とりあえず謝る。しかし、困るヤンネをよそに、少女は幕舎から走り去ってしまった。
朦朧とする意識の隅で、風の音が鳴り響く。幕舎の外の吹雪が吹き荒れるたび、痣だらけの体が、軋み、痛む。
少女が去ってしばらくすると、無数の足音がどたどたと押し寄せてきた。
「ヤンネ! やっと起きたのかよ!」
子供のように声を弾ませ、コッコがやってくる。
コッコが寝台の横で膝をつき、拳を前に突き出してくる。ヤンネも、反射的に拳を合わせる。仲間内でのいつもの挨拶が済むと、コッコは嬉しそうに笑った。
「親父殿に歯向かうなんて、何考えてんだよ! 殺されるんじゃないかって冷や冷やしてたんだぜ!」
いきなり、幕舎が賑やかになる。
コッコに続き、副官のサミ、同年代の戦友たちと、言葉を交わす。みな、顔を見合わせ、喜んでいる。蜂蜜酒が杯に注がれ、ちょっとした宴会も始まる。
しかしヤンネは、自らが仕出かしたことを思い出し、気まずさを覚えていた。久しぶりに会う仲間たちと、どう向き合っていいのか考えてしまった。
ヤンネが顔を伏せる横で、会話を途切れさせぬように気を使ったのか、仲間たちが近況を話し始める。
キャラモン軍団長殺害未遂事件は、帝国軍内でも相当な騒ぎになっていたようである。
父オッリの処刑、並びに騎兵隊への処罰を訴えるキャラモン軍団長は、軍司令部にまで請願書を提出し、厳罰を求めた。
当然、軍司令部も事態を重く見た。だが、最終的には皇帝グスタフ三世の一言で、全て仲裁されたらしい。
「それでさ、キャモランの野郎が、殺されそうになったから助けてーって泣きついて、陛下が何て返事したと思う? 『それでこそ、我が強き北風だ!』 だってさ。皇帝陛下って、脳みそまで筋肉で出来てんのかな?」
明るく話すコッコが、大仰な動きでグスタフ三世のものまねをする──真なる黒竜、北限の征服者、燃える心臓の男──みな、絵画で見るか、パレードで遠巻きでしか見たことがないにも関わらず、似ていると笑い合っている。
それは竹を真っ二つに割ったような、あまりに乱暴な回答だった。しかし、王侯貴族や権力者というのは、得てして平民の常識の範疇を逸脱している。それが国家を統べる絶対的な権力者ともなれば、尚更なのだろう。
皇帝と会ったことのないヤンネにも、何となく、その人柄は想像できた。しかし、その返答は理解できなかった。
様々な異名を欲しいままにする、男の中の男。自ら剣を取って戦場を駆ける、生粋の武闘派。〈教会〉に弓引き、この〈大祖国戦争〉を主導する、対〈教会〉強硬派の筆頭。そして、〈黒い安息日〉を引き起こした、神をも恐れぬ冒涜的殺戮者──しかし、語られる皇帝の姿は、ヤンネにとっては遠い存在でしかない。
コッコのものまねが終わると、サミが話を本線に戻す。
今回の一件は、皇帝の鶴の一声で手打ちにこそなったが、何の罰則もないわけはなかった。
父は処刑こそ免れたものの、営倉での禁固が科せられた。極彩色の馬賊の兵員も連帯責任で謹慎が科せられたが、こちらは野営地内での軟禁らしく、ある程度の自由はあるようだった。ヤンネ自身に関しては、特に罰則はなかった。
「ただ、戦利品の大半はキャモラン軍団長に接収されちまった。それでも、反逆罪の連座で死刑とかにならずに済んだのは、運がよかったのかな?」
コッコに代わり、サミが落ち着いた声で話す。しかし、すぐにコッコが横槍を入れる。
「安心しろよ! 捕まえた女たちはみんな残ってるからよ! お前も元気になったら好きな女抱けよ!」
コッコは相変わらず明るかったが、捕虜の女たちにとっては、引き続き地獄でしかないだろうと思った。
ヤンネの周りで、仲間たちの雑談が盛り上がっていく。外で吹き荒れる吹雪と相まって、幕舎の中は騒音状態に陥っている。
そんなすし詰めの幕舎に、さらに人がやってくる。
「あぁ、よかった。目が覚めたんだね」
なよなよとした文官が、人混みをかき分けて入ってくる。赤毛のカツラを被ったエイモット幕僚長が、朗らかな笑みを浮かべる。
エイモット幕僚長は、キャモラン軍団長の部下ではあるが、お飾り上司の下で、実質的に第三軍団を指揮する人でもある。軍司令部と細かく連絡を取り合うのもこの人で、ストロムブラード隊長ら現場士官たちにも信頼されている。
突然の上官の来訪に、ヤンネは上体を正し、敬礼した。
「いやいや、楽にしてて」
エイモット幕僚長が、寝台横の椅子に腰かける。
「君が身を挺してくれたおかげで、キャモラン軍団長も少しだけ溜飲を下げてくれたよ。それにしても、あのオッリ殿と互角に戦うなんて、君は本当に強いんだね。びっくりしちゃったよ」
明るく話すエイモット幕僚長は、本当に感心しているようにも見え、ヤンネは少し恥ずかしかった。
無能な指揮官と血気盛んな現場部隊の中間を取り持つ、難しい立場の人、という印象しかなかったので、その気さくな雰囲気は新鮮だった。ただ、ストロムブラード隊長と同じ四十代なのに、すでに髪は禿げ上がり、常時かつらを着用している。目尻の皺も老人のように深く、気苦労は多そうだった。
「動けるようになったら、育ての親のストロムブラード殿にお礼を言った方がいいよ。彼がひたすら頭を下げてくれたおかげで、お父さんは反逆罪で死刑にならずに済んだんだから」
エイモット幕僚長はそう言ったが、ヤンネは素直に感謝できなかった。
今まではあまり気にならなかったストロムブラード隊長の偏屈さが、ささくれのように引っかかる。
あんな馬面のハゲ野郎に跪き、頭を下げるくらいなら、最初から父を拘束し、止めていればよかったのだ。それなのに、傍観という危険を冒し、わざと事を荒立てるなんて、何を考えているのだろう?
恩人でもある養父に対し、初めて嫌悪のような感情を抱く。そんな自分自身にヤンネは困惑し、苛立った。
不機嫌になったのに気づいたのか、エイモット幕僚長が顔色を窺うように、また人当たりのよい笑顔を見せる。
「二人とも、第三軍団、ひいては帝国軍の大事な戦力です。戦時で気が立っているのもわかるけど、今後は内輪揉めなどの軽率な行動は控えるように。それから、軍団長への不敬罪も。普段から胃が痛い立場なのに、これ以上のゴタゴタが続くと、敵に殺される前に過労死しちゃうよ」
うまいことを言ったという顔をして、エイモット幕僚長が笑う。しかし、赤毛のかつらの隙間から流れる汗は、拭いても拭いても流れ落ちていた。
一通り話が済むと、仲間たちとエイモット幕僚長は去っていき、再び少女が戻ってきた。
嵐のような賑やかさが消え、また吹雪が哭き始める。
ヤンネは従者を呼ぶと、少女について訊ねた。
彼女は〈教会七聖女〉の元侍女で、父の戦利品ではあったが、多少医術の知識があったため、世話役に加えているとの話だった。
自分よりも幼い従者、それも女性が医学的な知識を備えていることに、ヤンネは素直に驚いた。
〈帝国〉と比べると、〈教会〉は総じて教育水準が高いと聞く。実際、〈教会七聖女〉やその近習は、孤児院や身分の低い出身者が多いらしい。〈帝国〉と文化が違うとはいえ、女性でも騎士になれるなど、身分格差が少ない社会構造が〈教会〉には根づいているようだった。
ヤンネは怖がらせぬように、恐る恐る少女を見た。少女は相変わらず怯えていたが、逃げ出す様子はなかった。
しばらくして、思い出した。あの夜、父に簀巻きにされ、挙句、捨て置かれていた少女である。
「君、名前は?」
「……シャナロッテ」
おずおずと答えるシャナロッテに、ヤンネは微笑んだ。しかし、少女はまだ怯えている。
「シャナロッテ。ありがとう」
怯えるシャナロッテは、何も答えなかった。
ヤンネは寝台に横になると、目を閉じた。
また、雪が揺れる。
同じ神を信じているはずなのに、どこで差が生まれたのか、ヤンネは不思議に思った。
〈教会七聖女〉──本来、〈神の依り代たる十字架〉の信徒は、信仰の導き手たる彼女らを奉り、崇拝しなければならない。しかし、同じ神の御名の許、〈教会〉と〈帝国〉は戦争を繰り広げている。
様々な世界が、脳裏を過る──〈帝国〉、〈教会〉。皇帝、第六聖女。強き北風、騎士殺しの黒騎士。極彩色の馬賊、黒騎兵、月盾騎士団。
疲れた──そして、考えるのを止めた。なぜなら、答えがないのはわかりきっている。
冬の日。吹雪が哭く。体は、意識は、ただひたすらに虚無を彷徨う。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる