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第五章 強き北風の再起
5-1 荒れる冬の夜 ……ヤンネ
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北の空に、夜の帳が落ちる。
幕舎に吹きつける吹雪が、激しさを増していく。冬の夜風が吹き荒れるたび、天幕が、ロウソクの灯が、浮かび上がる人影が、虚ろに揺らめく。
その夜は、いつも以上に荒れていた。
帝国軍第三軍団の宿営地。軍議を執り行う大幕舎の中に、第三軍団の諸将が整列する。赤毛のエイモット幕僚長、叩き上げの軍人である歩兵隊長ヘッグ、そして騎兵隊長であるマクシミリアン・ストロムブラードなど、錚々たる顔ぶれが一堂にに会する。
上官のストロムブラード隊長に従い、ヤンネもその末席に並ぶ。
皿型兜を外し、跪く。
いきなり、怒鳴り声が響く。頭上から聞こえる罵詈雑言が、絶え間なく続く。
跪く騎兵隊の士官たち、その先頭のストロムブラード隊長に向かい、上座のキャモラン軍団長が怒鳴り散らす。
「何が騎士殺しの黒騎士だ!? いつどこで騎士を殺したのか知らんが、大層な肩書きのわりに、何の手柄も立てれぬ無能が!」
第三軍団を統括するキャモラン軍団長は、怒っていた。
成金趣味の、見てくればかりに気を使った貴族。貧相な体に不釣り合いな軍装。流行りの装飾が施された甲冑には傷一つなく、忙しなくブーツを揺するその様は、いかにも小物で、尊大である。
キャモラン軍団長は、その地位を金で買ったと噂されるだけの、完全なるお飾り上司である。名家の王侯貴族にはへつらい、下位の者は露骨に見下す、ある意味でわかりやすい男である。上の連中がどう思っているのかはともかく、兵士からの人気はまるでない。
馬面のハゲ野郎だの、能無しのバカだのと、父はキャモラン軍団長を罵倒していた。普段はその口の悪さに閉口していたが、今は父の気持ちも少しだけ理解できた。
お飾りの将軍が偉そうに──ヤンネは心の中で、悪態をついた。
戦功報告の際、普段なら、黒騎兵副官のニクラス・リーヴァが取り成し、事なきを得ている。しかし、今夜はそれでは収まりがつかないようで、部下とはいえ、自分より上位の貴族であるエリク・アーランドンソンの仲裁さえ受けつけないでいる。
こんな剣さえ握ったことのなさそうな軟弱男を、対〈教会〉強硬派で、武闘派と名高いグスタフ帝が将軍位に叙するなど、にわかには信じ難かった。
しかしこんな輩でも、皇帝に軍資金を提供し、後援を担うと約束さえしてしまえば、簡単に出世できてしまう。それは不条理で不公平だが、ヤンネはストロムブラード隊長のように、極力気にしないよう心掛けた。
世の中は公平なんかじゃない。そんなことは、〈東の王〉の末裔として生を受けたときから理解している。
それに、軍団長やその取り巻きがいくら喚き散らそうが、腕っ節では決して負けない。むしろ、弱い奴らを守ってやっているぐらいだ。そう思うと、心にもいくらか余裕ができた。
キャモラン軍団長が怒鳴るたび、その部下であり、第三軍団の実質的な指揮官であるエイモット幕僚長が宥める。冬だというのに、額からはダラダラと汗を垂らしている。
本来なら、軍議を行う時間である。いつまで経っても終わりそうにない罵詈雑言に、ほとんどの将官幕僚は呆れている。一緒になって責め立てるのは、キャモラン軍団長の取り巻きの護衛たちくらいである。
「貴様らのような無能のせいで、私がどれだけ恥をかいたか! わかっているのか!?」
怒り狂うキャモラン軍団長の前で、ストロムブラード隊長がひたすらに頭を下げる。感情を押し殺した声、無表情の横顔は、本気で謝罪しているのか甚だ疑問だったが、体面的には慇懃無礼に見える。
しかし、それでも軍団長の怒りは収まらない。
「何度も何度も手柄を取り逃がすだけに飽き足らず、この私に恥をかかせるなど! あの野蛮人の勝手で、私が第二軍団からどれだけ文句を言われ、嘲笑されたか知っているか!? この屈辱を、お前らにもわからせてやろうか!?」
一応、名目上は第三軍団を統括するキャモラン軍団長は、いつもに増して怒っていた。
原因は、大きく二つあった。
一つ目は、ジョー・ウィッチャーズ率いる月盾騎士団の後衛部隊を、ストロムブラード隊長が独断で逃がしたことについて。ボルボ平原の戦いのときも含め、目立った捕虜がおらず、軍司令部の目を惹くような戦功報告ができないと、軍団長は怒っていた。
二つ目は、父のオッリが勝手に野営地を抜け出し、あろうことか最前線で敵と交戦したことについて。戦闘中に横槍を入れられたと、帝国軍の第二軍団から文句が入って恥をかいたと、軍団長は怒っていた。
一つ目についてストロムブラード隊長は、敵指揮官と縁故があったこと、任務である捕捉自体は達成したこと、そして一定期間の交戦禁止を約束したことを説明したうえで、指示を仰がなかったことに関しては謝罪した。
二つ目については、父オッリを療養中させていたことを前置きしたうえで、騎兵隊長としての監督不行き届きは謝罪した。
それでも、軍団長の罵詈雑言は止まらない。
〈大祖国戦争〉以前からこの二人の仲は悪かったが、ボルボ平原の戦い以降は、その軋轢がより顕著になっていた。
キャモラン軍団長は、隊長のことを、戦功を逃してばかりの役立たずと罵った。一方のストロムブラード隊長は、軍務を丸投げするだけなのに、現場に責任を押しつけるなと反発した。
会話にならない言い争いに、疲労感だけが募っていく。なぜこんなにも怒鳴られなければならないのか。これは一体いつまで続くのか──ヤンネは内心、溜め息をついていた。
一つ目はともかく、二つ目は完全なとばっちりである。寝ていた親父が起きるなり、勝手に暴れたのだ。こちらは作戦行動中で出払っており、止めようもなかった。そしていつの間にか、敵将のヨハン・ロートリンゲン死亡の噂も、なぜか黒騎兵の責任にされていた。
騎兵隊の上官として頭を下げざるを得ないストロムブラード隊長は、見ていて可哀そうだったし、申し訳なくもあった。
いつもストロムブラード隊長に迷惑ばかりかける父が、憎かった。父が好き勝手に暴れるせいで、今日も隊長はその尻拭いをさせられている。隊長だって、こんな奴に頭を下げるのは屈辱的なはずである。それでも、上官ゆえに下げざるを得ないのだ。
養父であるストロムブラード隊長は、父を忌み嫌うなと言うが、それは到底無理な話だった。二人は昔からの戦友らしいが、これでは全く対等ではない。今現在、ヤンネだけでなく、ストロムブラード隊長にとっても、父の存在は邪魔だとしか思えなかった。
父への殺意を募らせるヤンネの頭上で、キャモラン軍団長がまた怒鳴り散らす。
「あのバカは!? オッリはどこだ!? さっさと連れてこい!」
ストロムブラード隊長が、無表情で「謹慎させている」と告げると、それが気に入らなかったのか、軍団長がさらに怒る。
「能無しの野蛮人どもが! 私に何度も恥をかかせおって! 軍法会議にかけるまでもない! 今夜、私が処罰を下してやる! ストロムブラード! 貴様も同罪だ! この不始末は軍司令部に通達しておくからな! 覚悟しておけ!」
キャモラン軍団長の言葉はもっともではあったが、それは理不尽かつ乱暴で、ヤンネにはやはり納得できなかった。
一方、それを正面から受けるストロムブラード隊長は、相変わらず無表情だった。少なくとも、一見すればそうとしか見えないだろう。
しかしヤンネには、愛着ある養父の感情が、はっきりと見て取れた。その黒い瞳には、爛々とした憎悪が煮え滾っていた。
幕舎の隅を吹き抜ける隙間風が、その冷たさを増す。荒れる冬の夜は、まだしばらく続きそうだった。
幕舎に吹きつける吹雪が、激しさを増していく。冬の夜風が吹き荒れるたび、天幕が、ロウソクの灯が、浮かび上がる人影が、虚ろに揺らめく。
その夜は、いつも以上に荒れていた。
帝国軍第三軍団の宿営地。軍議を執り行う大幕舎の中に、第三軍団の諸将が整列する。赤毛のエイモット幕僚長、叩き上げの軍人である歩兵隊長ヘッグ、そして騎兵隊長であるマクシミリアン・ストロムブラードなど、錚々たる顔ぶれが一堂にに会する。
上官のストロムブラード隊長に従い、ヤンネもその末席に並ぶ。
皿型兜を外し、跪く。
いきなり、怒鳴り声が響く。頭上から聞こえる罵詈雑言が、絶え間なく続く。
跪く騎兵隊の士官たち、その先頭のストロムブラード隊長に向かい、上座のキャモラン軍団長が怒鳴り散らす。
「何が騎士殺しの黒騎士だ!? いつどこで騎士を殺したのか知らんが、大層な肩書きのわりに、何の手柄も立てれぬ無能が!」
第三軍団を統括するキャモラン軍団長は、怒っていた。
成金趣味の、見てくればかりに気を使った貴族。貧相な体に不釣り合いな軍装。流行りの装飾が施された甲冑には傷一つなく、忙しなくブーツを揺するその様は、いかにも小物で、尊大である。
キャモラン軍団長は、その地位を金で買ったと噂されるだけの、完全なるお飾り上司である。名家の王侯貴族にはへつらい、下位の者は露骨に見下す、ある意味でわかりやすい男である。上の連中がどう思っているのかはともかく、兵士からの人気はまるでない。
馬面のハゲ野郎だの、能無しのバカだのと、父はキャモラン軍団長を罵倒していた。普段はその口の悪さに閉口していたが、今は父の気持ちも少しだけ理解できた。
お飾りの将軍が偉そうに──ヤンネは心の中で、悪態をついた。
戦功報告の際、普段なら、黒騎兵副官のニクラス・リーヴァが取り成し、事なきを得ている。しかし、今夜はそれでは収まりがつかないようで、部下とはいえ、自分より上位の貴族であるエリク・アーランドンソンの仲裁さえ受けつけないでいる。
こんな剣さえ握ったことのなさそうな軟弱男を、対〈教会〉強硬派で、武闘派と名高いグスタフ帝が将軍位に叙するなど、にわかには信じ難かった。
しかしこんな輩でも、皇帝に軍資金を提供し、後援を担うと約束さえしてしまえば、簡単に出世できてしまう。それは不条理で不公平だが、ヤンネはストロムブラード隊長のように、極力気にしないよう心掛けた。
世の中は公平なんかじゃない。そんなことは、〈東の王〉の末裔として生を受けたときから理解している。
それに、軍団長やその取り巻きがいくら喚き散らそうが、腕っ節では決して負けない。むしろ、弱い奴らを守ってやっているぐらいだ。そう思うと、心にもいくらか余裕ができた。
キャモラン軍団長が怒鳴るたび、その部下であり、第三軍団の実質的な指揮官であるエイモット幕僚長が宥める。冬だというのに、額からはダラダラと汗を垂らしている。
本来なら、軍議を行う時間である。いつまで経っても終わりそうにない罵詈雑言に、ほとんどの将官幕僚は呆れている。一緒になって責め立てるのは、キャモラン軍団長の取り巻きの護衛たちくらいである。
「貴様らのような無能のせいで、私がどれだけ恥をかいたか! わかっているのか!?」
怒り狂うキャモラン軍団長の前で、ストロムブラード隊長がひたすらに頭を下げる。感情を押し殺した声、無表情の横顔は、本気で謝罪しているのか甚だ疑問だったが、体面的には慇懃無礼に見える。
しかし、それでも軍団長の怒りは収まらない。
「何度も何度も手柄を取り逃がすだけに飽き足らず、この私に恥をかかせるなど! あの野蛮人の勝手で、私が第二軍団からどれだけ文句を言われ、嘲笑されたか知っているか!? この屈辱を、お前らにもわからせてやろうか!?」
一応、名目上は第三軍団を統括するキャモラン軍団長は、いつもに増して怒っていた。
原因は、大きく二つあった。
一つ目は、ジョー・ウィッチャーズ率いる月盾騎士団の後衛部隊を、ストロムブラード隊長が独断で逃がしたことについて。ボルボ平原の戦いのときも含め、目立った捕虜がおらず、軍司令部の目を惹くような戦功報告ができないと、軍団長は怒っていた。
二つ目は、父のオッリが勝手に野営地を抜け出し、あろうことか最前線で敵と交戦したことについて。戦闘中に横槍を入れられたと、帝国軍の第二軍団から文句が入って恥をかいたと、軍団長は怒っていた。
一つ目についてストロムブラード隊長は、敵指揮官と縁故があったこと、任務である捕捉自体は達成したこと、そして一定期間の交戦禁止を約束したことを説明したうえで、指示を仰がなかったことに関しては謝罪した。
二つ目については、父オッリを療養中させていたことを前置きしたうえで、騎兵隊長としての監督不行き届きは謝罪した。
それでも、軍団長の罵詈雑言は止まらない。
〈大祖国戦争〉以前からこの二人の仲は悪かったが、ボルボ平原の戦い以降は、その軋轢がより顕著になっていた。
キャモラン軍団長は、隊長のことを、戦功を逃してばかりの役立たずと罵った。一方のストロムブラード隊長は、軍務を丸投げするだけなのに、現場に責任を押しつけるなと反発した。
会話にならない言い争いに、疲労感だけが募っていく。なぜこんなにも怒鳴られなければならないのか。これは一体いつまで続くのか──ヤンネは内心、溜め息をついていた。
一つ目はともかく、二つ目は完全なとばっちりである。寝ていた親父が起きるなり、勝手に暴れたのだ。こちらは作戦行動中で出払っており、止めようもなかった。そしていつの間にか、敵将のヨハン・ロートリンゲン死亡の噂も、なぜか黒騎兵の責任にされていた。
騎兵隊の上官として頭を下げざるを得ないストロムブラード隊長は、見ていて可哀そうだったし、申し訳なくもあった。
いつもストロムブラード隊長に迷惑ばかりかける父が、憎かった。父が好き勝手に暴れるせいで、今日も隊長はその尻拭いをさせられている。隊長だって、こんな奴に頭を下げるのは屈辱的なはずである。それでも、上官ゆえに下げざるを得ないのだ。
養父であるストロムブラード隊長は、父を忌み嫌うなと言うが、それは到底無理な話だった。二人は昔からの戦友らしいが、これでは全く対等ではない。今現在、ヤンネだけでなく、ストロムブラード隊長にとっても、父の存在は邪魔だとしか思えなかった。
父への殺意を募らせるヤンネの頭上で、キャモラン軍団長がまた怒鳴り散らす。
「あのバカは!? オッリはどこだ!? さっさと連れてこい!」
ストロムブラード隊長が、無表情で「謹慎させている」と告げると、それが気に入らなかったのか、軍団長がさらに怒る。
「能無しの野蛮人どもが! 私に何度も恥をかかせおって! 軍法会議にかけるまでもない! 今夜、私が処罰を下してやる! ストロムブラード! 貴様も同罪だ! この不始末は軍司令部に通達しておくからな! 覚悟しておけ!」
キャモラン軍団長の言葉はもっともではあったが、それは理不尽かつ乱暴で、ヤンネにはやはり納得できなかった。
一方、それを正面から受けるストロムブラード隊長は、相変わらず無表情だった。少なくとも、一見すればそうとしか見えないだろう。
しかしヤンネには、愛着ある養父の感情が、はっきりと見て取れた。その黒い瞳には、爛々とした憎悪が煮え滾っていた。
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