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第四章 ぶつかり合う風

4-6 傭兵たちの王ヴァレンシュタイン  ……アンダース

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 傭兵たちの王を示す深海の玉座の紋章が頭から離れなかった。

 何もかもが不愉快だった。おぼろげに揺れる冬の太陽も、つい先日は美しいと感じた雪景色も、今はただ鬱陶しかった。

 ヴァレンシュタインとの会合を終えたアンダースは、人混みを抜けるべく、足を早めた。道中、目障りな士官は威圧し、邪魔な兵卒は小突いて押し退けた。
 教会遠征軍の第二軍、ヴァレンシュタイン軍の野営地は、敗走する月盾騎士団ムーンシールズとは違い、活気があった。ヨハン・ロートリンゲンが率いた本隊の瓦解により、退路を進まざるを得ない状況でも、将兵らはきびきびと動いている。
 騎士主体だった本隊とは違い、ヴァレンシュタイン軍は傭兵が主体である。名ばかりの称号に胡坐あぐらをかく騎士もいけ好かない連中が多いが、傭兵の大半はもっとどうしようもない。どいつもこいつも粗野でがさつで騒々しい、頭空っぽな馬鹿と、食い詰め浪人の集まりである。しかし、今や落ちぶれるだけの騎士たちに比べれば、士気も練度も高い。

 そんな傭兵たちに、アンダースたちはあからさまに歓迎されていなかった。

 ヴァレンシュタイン自身はともかく、その将兵たちは、よそ者を煙たがるかのような視線を隠そうともしなかった。状況を考えればその感情は理解できるのだが、それでも不愉快なものは不愉快だった。
「何をそんなにイラついてんです? ヴァレンシュタインの旦那に何か言われたんで?」
「黙れ」
「そんな怒ってちゃあ、ロートリンゲンのお坊ちゃんのかわいい顔が台無しですぜ」
 いつも通り能天気なルクレールの声が、癇に障る。話の内容も、答える気にもならない。
「しょうがないじゃないですか。誰だってこんなクソ寒いときに、いらんお荷物抱えたかないですって」
「うるさい。話したいなら他の奴と喋れ」
 いい加減に腹が立ち、アンダースはルクレールを睨みつけた。しかし、安物の革鎧を着た小汚い中年は、いつも通り飄々とした顔で受け流すと、言葉通り別の士官と話し始めた。

 アンダースは青羽根の騎兵帽についた雪を払うと、それを目深に被った。それでも、〈教会〉の十字架旗と並ぶ、ヴァレンシュタインの家紋である深海の玉座が描かれた軍旗は、どこに行っても視界に入った。

 どうしても視界に映る不快感の元凶を思い出し、アンダースはまた騎兵帽を被り直した。しかしヴァレンシュタインの鉄面皮は、脳裏から離れなかった。

 遠征軍の実質的な総指揮官であった父の死を告げると、ヴァレンシュタインは慇懃無礼に哀悼の意を示したが、その鉄面皮の奥の感情は読み取れなかった。
 従軍以来、いやそれ以前から、ヴァレンシュタインがその感情を露わにしたことはない。〈北部再教化戦争〉が始まったときも、〈教皇庁〉で行われた壮行パレードのときも、本隊の敗北を伝えたときも、月盾騎士団ムーンシールズと第六聖女セレンの苦境を伝えたときも、ただの雑談でも、それは変わらなかった。
 かねてより、元帥だった父ヨハンは、次席の指揮官であるヴァレンシュタインとの連携やその扱いに苦慮していたが、今回のことでアンダースにもそれが身に染みてわかった。
 深海の玉座という謎の紋章と同じように、ヴァレンシュタインという男はよくわからなかった。

 同じ元帥だった父ヨハンとは、何もかもが違う。父のように感情的でもなければ、厳格でも、誇り高くもない。
 かといって、傭兵らしいかといえばそうでもなく、ウィッチャーズのような馬車馬根性も、ルクレールら多くの傭兵にある不真面目、不道徳、不謹慎さもない。傭兵から身を起こしたが、そもそも卑賎の身ではなく、学も金もある。今回用意した軍勢も、自前で雇い訓練した傭兵軍団である。

 傭兵たちの王、ヴァレンシュタイン──時々、この男が何者なのかわからなくなる。

 傭兵出身の、傭兵とは思えない男。王? 貴族? 騎士? 軍人? 将軍? しかし、間違いなく傭兵隊長である男……。そんな謎の男の顔色をいちいち窺うのは酷く馬鹿らしかったが、それでも〈教会五大家〉ロートリンゲン家の者としては、それ相応の態度を取らねばならない。しかし、ヴァレンシュタインの表情は終始読めず、何度会っても徒労感しか残らなかった。
 会合後、徒労感は苛立ちに変わった。加えて、彼の部下たちの視線が、アンダースの怒りに油を注いだ。
 確かに、〈第六聖女遠征〉以前から〈帝国〉皇帝グスタフ三世と戦ってきたヴァレンシュタインは、相手の手の内も知っており、現状で最も頼りになる人間ではある。〈黒い安息日ブラック・サバス〉という冒涜的殺戮を引き起こしたグスタフ三世の対抗馬としても、ただ見栄えがいいだけの鉄の修道騎士より、よっぽど相応しい。
 ヴァレンシュタインの才覚は、疑いようがなかった。〈教会五大家〉筆頭貴族として、その家柄と名声だけでも元帥になれた父と違い、この男は傭兵隊長でなくても、何かしらで成功はしていたであろう。しかし、その将兵らが向けてくる蔑視は不愉快極まりなく、深海の玉座の軍旗もやはり目障りだった。

 アンダースは絡みついてくる視線を抜け、麾下の兵らと篝火を囲った。
 騎兵帽を被り直し、一息つく。吐く息は白い靄となり、すぐ粉雪の幕間に消えていく。
「出立の準備をしろ。騎士団のところに戻るぞ」
「えー? どうせ明日、明後日には合流できるんですし、ここでのんびりしましょうよ。俺も昔のツレと遊びたいですし」
「ふざけんな。いいから、さっさと準備しろ」
 普段なら気にならないルクレールの言動も、今日は妙に癇に障った。
「戻ってどうするんで? 兄上と仲直りのお茶会でもするんで?」
「戦時だぞ。戦に備えるに決まってるだろうが」
「はいはい。わかりましたよーっと……。何だかんだ言っても、ホントはお兄ちゃんが心配なんでしょ? 素直じゃないんだから」
 ルクレールの軽口は相変わらず不愉快だったが、アンダースは無視し、部下たちに出立の準備を始めさせた。

 別に兄のミカエルを心配してるわけじゃない。ただ、ここの居心地が悪いからだ──そう思ったが、部下たちには悟られぬよう、笑顔を振り撒いた。

「そーだ。ついでにハベルハイムに声かけておきますよ。途中で敵と遭遇しても嫌ですし、護衛してくれってお願いしときます」
「お前、弾丸公の知り合いなのか?」
「えぇ。昔のツレです。俺がダラダラしてるうちに、向こうは随分出世しちまいましたけど」
 弾丸公ハベルハイムは、ヴァレンシュタインの部下の猛将である。家柄はともかく、階級上は上級将校のアンダースよりも上位、兄ミカエルと同位の将軍である。ルクレールは傭兵時代の経歴から、教会軍内外に顔が利いたが、将軍階級にまで知り合いがいるのは素直に驚いた。
「勝手にしろ。ただし、出立時間には帰ってこいよ」
 ヴァレンシュタインの増援など当てにしていないが、要請自体は好きにさせた。ルクレールは、旧友と再会できると喜んでいた。

 気分を紛らわすため、アンダースは革袋ホルスターから歯輪式拳銃ホイールロックピストルを抜き、眺めた。
 自らがデザインし、高名な銃職人に作らせたお気に入りの一丁は、随分傷ついてしまった。それでも、多くの戦塵をまとったそれは、勇壮で美しかった。

 それを構え、空に向けた。人知れず、銃口は冬の太陽を撃ち抜いた。
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