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第三章 戦火の幕間

3-6 新たな夜明け①  ……ヤンネ

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 冬晴れの朝を馬群が駆ける。

 ボルボ平原での会戦から五日後、ヤンネの部隊は再び動き出した。
 弔いの宴のあとに休暇が与えられたとはいえ、物資の補給や部隊の再編などで、時間は大幅に浪費してしまった。兵は休暇を喜んでいたが、しかし極彩色の馬賊ハッカペルがのんびりしている間に、黒騎兵オールブラックスや他の軍団の主力はもう動き出している。

 三ヶ月にも及ぶ遅滞作戦の末、グスタフ帝はついに逆襲の口火を切った。北限の征服者たる皇帝は、北限の峰より吹き荒ぶ冬の北風をまとい、一撃のもとに教会遠征軍を撃滅した。
 教会遠征軍の本隊を撃破した帝国軍主力は、皇帝グスタフ三世の指揮の下、ヴァレンシュタイン率いる教会遠征軍の第二軍を攻撃すべく、北陵街道から王の回廊へ向け東進を開始。もちろん、極彩色の馬賊ハッカペルの所属する第三軍団もそれに続き移動している。
 小規模な戦闘は各地で発生しているが、ほとんどは追討の延長戦だった。教会遠征軍本隊の指揮官であるヨハン・ロートリンゲン元帥と、その旗印たる第六聖女セレンを取り逃してしまったとはいえ、主力は蹂躙し、一万以上の敵兵も捕虜としている。現状、四散した遠征軍本隊の残存兵力はさほど重要ではない。目下の問題は、教会遠征軍の第二軍を指揮するヴァレンシュタインがどう動くか、そしてヴァレンシュタインに先んじて戦局を掌握できるかどうかである。

 新たな戦いは、すでに始まっている──それは残る全ての敵を灰燼に帰すまで終わらないだろう──遅れを取るわけにはいかない。

 夜明けの風をまとい、ヤンネの気持ちは高ぶっていた。しかし再編した二百騎の麾下はどうにも緊張感に欠けていた。
 負傷した父オッリは相変わらず姿を見せていない。その影響か、極彩色の馬賊ハッカペルは全体的に地に足が着いていなかった。
「いい女だった……」
 ヤンネの隣で、うわの空のコッコが呟く。弔いの宴から、ずっとこの調子である。
「そりゃよかったな」
「もし子供ができたら、俺はあいつと結婚するよ」
「……おめでたい話だな。〈教会〉の女騎士様を娶るなんて」
「ありがとなヤンネ。お前も早く、運命の女が見つかるといいな」
「皮肉で言ってんだけど……」
 ヤンネは呆れ、溜息をついた。すると、それまでうわの空だったコッコがいきなり真剣な顔つきになる。
「あのなヤンネ! 俺は心配して言ってんだぞ! 十五にもなってまだ童貞なのはお前くらいだ! 俺たちは志を同じくする仲間なのに、お前だけ童貞を貫いて妖術師になられても困るんだ! 俺は九十歳まで童貞を貫いて妖術師になった奴を見たことがあるけど、ありゃ本当にやばいからな!」
 余計なお世話だとヤンネは思ったが、しかしコッコの馬鹿話に、仲間たちも勝手に盛り上がり始める。
「サミなんか、俺らの歳の頃には、女を三人も手籠めにしてとっかえひっかえしてたんだぞ! ありえねぇ! 不公平だ!」
「おい、そろそろお喋りを止めろ。軍旗が見えたぞ」
 枯れた森の隙間から、〈帝国〉の黒竜旗が覗く。聞き流すヤンネに代わって、新たに副官となったサミが、コッコらに釘を刺す。
「うるせぇ大家族野郎! 子供の前じゃ、いつもいい父親面しやがって! どうしたらたくさんの女とできるか教えろ!」
「知るか! 素質だよ素質!」
 サミがこれ見よがしにコッコの股間をぶっ叩く。コッコが間抜けな声で喘ぐと、仲間たちはゲラゲラと笑い合った。

 仲間たちの馬鹿騒ぎが鎮まる気配はなかった。

 こんなとき、副官だったローペがいたら、追いも若きも軽く窘め、群れを引き締めていただろう。しかし、その老兵はすでに亡い。古参兵たちも、若い連中の会話には過度に干渉してこない。
 サミは文武に秀でているのはもちろん、落ち着きもあって気の利く大人だが、しかし副官という人柄ではなかった。何より、急造体制で前任者と比べるのは酷である。
「各自、黒騎兵オールブラックスとの合流前に装具を見直せ! 友軍とはいえ、帝国人に舐められないようにしろ!」
 自分がしっかりしなければ──ヤンネは襟元を正すと、群れを先導するべく馬腹を蹴った。
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