最後の騎士 ~第六聖女遠征の冬~

寸陳ハウスのオカア・ハン

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第二章 燃える冬の夕景

2-3 戦塵の第六聖女①  ……セレン

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 粉雪舞う炎の中で、〈教会〉の十字架旗が燃え落ちていく。

 それらを背に、教会遠征軍の旗印たる十字架を奉る天使の錦旗が、燎原の火に煽られ揺れる。教会遠征軍の象徴たる第六聖女の軍旗が、白騎士の親衛隊に守られながら、ボルボ平原の野営地から落ちていく。

 天使の錦旗のそば、一際豪奢な屋形馬車の中で、教会遠征軍の総帥を務める第六聖女セレンは、泣きそうになるのを必死に堪えながら、座っていた。

 あらゆるものが、くすんでいた。戦ってもいないのに、白い手袋、白銀の甲冑は砲火の煤に黒ずみ、外套やスカートの裾は、飛散した泥で汚れている。セレンと同室する侍女たちも、戦闘員でないのにも関わらず、同じように戦塵に汚れている。
 屋形馬車の外では怒号と罵声が飛び交い、鳴り止まぬ剣戟と銃声が、断末魔と悲鳴を切り裂く。馬車の車輪は軋み、何かがぶつかるような音が絶えず馬車の中に響き渡る。
 馬車に同室する侍女たちは、みな祈っている。修道女の僧衣に身を包む初老の侍従長リーシュと、セレンと同じ十五歳の侍女であるイリーナは向かいの席に、まだ十歳になったばかりの侍女のシャナロッテは、セレンの体にしがみつくようにして隣に座っている。
 戦場の喧騒の隅で、セレンは十字架のペンダントを握り締めながら、必死に祈った。だが手は震え、歯の根は合わず、耳鳴りも止まなかった。
 セレンの腕の中で、シャナロッテがすすり泣く。白銀の甲冑は刺すように冷たかったが、シャナロッテの小さな体は僅かだが温かく、それが少しだけ、折れそうな心を繋ぎ留めてもくれた。
 セレンは横に座るシャナロッテの体を抱き寄せ、その背中をさすった。だが少女は、小さな体を震わすばかりだった。
「ご心配なさらず、セレン様。親衛隊の白騎士たちが、必ずや守ってくれます」
 その様子を見ていたのか、十字架を握り締めるイリーナが、震える声で呟く。
「それに、ヨハン・ロートリンゲン元帥も殿軍を務めてくれています。かの高名な鉄の修道騎士様が、背中を守ってくれているのです。これほど心強いことはありません」
 侍従長のリーシュも励ますように言葉を続ける。若いイリーナに比べると、年長の侍従長はやはり落ち着いている。
「別れ際、ヨハン元帥は仰っていました。必ず生きて帰還せよと。そのために、私たちは戦う騎士たちに祈りを捧げましょう」
 イリーナは自らを奮い立たせるように言葉を紡ぎながら、セレンを見つめてきた。セレンは不安を悟られまいと、何とか笑顔を作ると、それに相槌を打った。

 去り際、顔を合わせたことまでは覚えていたが、しかし鉄の修道騎士が言った最後の言葉は、イリーナに言われるまで完全に失念していた。
 ボルボ平原の本陣から落ちる際、これまで教会遠征軍の指揮を執ってきたヨハン・ロートリンゲン元帥は、見たこともないほど厳しい形相をしていた。普段は優しかったその騎士の変貌ぶりは、あまりにも恐ろしく、セレンは無意識の内に忘れようとさえしていた。

 セレンは何とか〈教会七聖女〉としての顔を保ちながらも、心の底では自虐していた。


*****


 伝承に語られる、〈教会七聖女〉の物語……。
 二百年前、〈東からの災厄タタール〉において大陸に甚大な被害を及ぼした〈東の王プレスター・ジョン〉とその騎馬軍が〈教会〉の〈信仰生存圏〉を侵した際、教皇庁に暮らしていた古の七人の少女たちは、剣と十字架を手に立ち上がった。〈教会七聖女〉は民衆を導き、神聖騎士たちを率いて立ち向かった。その信仰心は〈神の奇跡ソウル・ライク〉となり、今では秘匿とされるそれらの大魔法は、〈東の王プレスター・ジョン〉と蛮族の侵略を撃退した。それ以来、〈教会七聖女〉は、〈神の依り代たる十字架〉を信ずる人々の団結の象徴となった。


*****


 〈教会七聖女〉は、神の御名の許、国家元首たる教皇猊下の手となり、人々を正道に導く者である。

 任じられたからには、役目を果たしたかった。〈教会〉という国家を守り、偉大なる〈神の依り代たる十字架〉を守り、大陸の平和に貢献したかった。この〈第六聖女遠征〉の旗印として、兵士たちを鼓舞し、人々を救い、勝利へと導きたかった。

 だが、自分は何もできない──セレンはまた自嘲する。

 確かに、〈教会七聖女〉はその地位が特別というだけでなく、〈教会〉の中枢に秘匿された神秘も授かっている。

 まず、席に任じられると同時に行われる、聖刻の儀式。このとき、体の一部に神の真言たる〈聖紋章〉が刻まれる。
 あのときは、たくさん泣いた。まだ幼かったゆえに、体に傷が残ることは辛かったが、裸にでもならぬ限りは衣服で隠れるため、いつの間にか気にならなくなった。
 次に、初潮を迎えた年の〈冬の聖餐日〉に行われる、聖体拝領の儀式。一般的な聖体拝領はパンとワインで代用されるが、そのときは、神の実体であると言われる〈貴き白血〉を拝領した。
 杯に注がれた濁った白血は、苦く、臭く、とても飲めたものではなかったが、周りの目もあったので、我慢して飲んだ。飲み干すと、司祭と賢人たちは褒めてくれた。特別何かが変わった感じはしなかったが、大人として認められたような気がして、嬉しかった。
 最後に、教皇庁の地下墓所で行われる、親愛の儀式。ここで、〈教会七聖女〉は慈母の愛を学び、育む。これに関しては、ただ与えられるものではなく、自ら体現せねばならないと教えられた。ゆえに今でも、時折行う。
 聖人の遺構とはいえ、暗く湿った地下墓はいつも不気味だったが、香気漂うその暗闇は不思議と温かかった。ただ、暗闇で裸になった自分が何をし、何をされているのかは、よくわからなかった。

 だがしかし、それだけの儀式を経てなお、セレンは未だ何もできない。軍を指揮できるわけでもないし、剣を振るって戦えるわけでもない。国政を動かす権力があるわけでもなければ、神について探究できるだけの学識もない。ましてや、古き伝承に語られる〈神の奇跡ソウル・ライク〉のような、超常的な魔法の力などあるわけもない。

(いや、何もできないからこそ、選ばれたのか……)

 自分はただ、選ばれただけなのだ。数多くの孤児たちの中から、孤児院を仕切る修道士たちの点数稼ぎのために、身を売られ、祭り上げられたのだ。

 まるで、第六聖女という肩書きをまとった人形だ──そんな思いを抱きながら、セレンが侍従たちと祈っていると、突然、屋形馬車が止まり、そして扉が音を立てて開かれた。
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