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第一章 冬の訪れ
1-4 〈帝国〉の黒竜旗 ……ミカエル
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赤い雪が風に舞う。
冬の雷鳴──鳴り響く戦場の狂騒が、その姿を現す。
森を抜け、ボルボ平原へと躍り出たミカエルら月盾騎士団の眼下で、〈帝国〉の黒竜旗が咆哮する。
砲声が、軍靴が、喊声が、荒れ野の雪原に響き渡る。北限の峰から吹き荒ぶ強き北風をまとい、黒竜旗が戦場に翻る。
〈教会〉の十字架旗と〈帝国〉の黒竜旗が、ぶつかり合う。五万の教会遠征軍本隊に対し、帝国軍も同等の兵力を動員しており、その中心にはグスタフ三世の掲げる〈帝国〉の皇帝旗、燃える心臓の黒竜旗もある。
白と黒の軍旗が戦場に入り乱れ、ぶつかり、血を流す──だがしかしそれは、交戦というよりも、一方的な襲撃の様相を呈していた。
その差は歴然としていた。圧倒的な統制で歩を進める帝国軍に対し、ミカエルの父ヨハン・ロートリンゲン元帥率いる教会遠征軍本隊は、明らかに混乱していた。
教会遠征軍の野営地に、帝国軍の野戦砲が容赦なく砲撃を加える。砲撃に合わせて、長槍と火縄式マスケット銃で武装した帝国軍歩兵戦列が、教会遠征軍の戦列へとにじり寄る。両翼からは、黒竜旗を掲げる騎兵が、十字架旗を取り囲むように疾駆する。
反転行進射撃の鼓笛が鳴り響き、帝国軍銃兵隊の火縄式マスケット銃が火蓋を切る。
マスケット銃兵の戦列が一斉に火を吹く。弾幕が甲冑ごと人体を貫き、跳ね跳ぶ鉄球が人馬をすり潰す。
だが、十字架旗も踏み止まる。教会遠征軍も大砲による砲撃の間に戦列を立て直すと、今度は騎士たちを繰り出して反撃を試みる。
神を讃える勇壮なる雄叫びが響く。〈教会〉の騎士たちが掲げる十字架旗が、黒竜旗を踏み潰すべく走り出す。剣、馬上槍、歯輪式拳銃……、各々の得物を手にする重装騎士たちが、白煙を切り裂き雪原を駆ける。
しかしそこに、火と鉄の雨が降り注ぐ。
帝国軍銃兵の一糸乱れぬ弾幕射撃と、随伴する野戦砲の火力の前に、騎士たちは見る見る数を減らしていく。何とか弾幕をかい潜りって帝国軍戦列に近づいた銃騎兵の馬上後退射撃もさしたる効果はなく、斬り込もうと剣や槍を手にする騎士たちも、銃兵を守る長槍兵の槍衾によって次々に突き落とされていく。
突撃の勢いを打ち消され、棒立ちになった教会遠征軍の騎士たちの背後を、どこからともなく現れた帝国軍騎兵が遮断する。そして退路を断たれ、血塗れになりながら右往左往する〈教会〉の十字架旗は、やがて〈帝国〉の黒竜旗に呑み込まれて消えた。
〈教会〉の騎士たちの突撃を呑み込んだ帝国軍の軍靴と鼓笛が、その勢いをさらに増していく。
すぐに、軍の中核をなす歩兵戦列同士の本格的なぶつかり合いが始まる。
向かい合う両軍の兵士たちの目と鼻の先で、十字架旗と黒竜旗が翻る。砲兵とマスケット銃兵の撃ち合いののち、長槍兵の長槍が交錯する。
槍衾がぶつかり、入り乱れる。無数の人影が槍衾をかい潜り、互いの戦列の足元に斬り込んでいく。撃たれ、斬られ、突かれ、兵士らが人形のように倒れていく。そして倒れた者の隙間を埋めるように、後続の兵が前に出て戦列を維持する。
両軍ともに一歩も引かぬ、肉壁の削り合い──そしてどちらかの心が折れたとき、戦列は崩れ、勝敗は決する。
夥しい血と火薬の臭いが充満していく。軍靴に抉られた雪原は汚泥と化し、薄汚れた白煙が斜陽の空を覆う。
帝国軍の戦い方には一切の迷いがなかった。それはやはり戦闘ではなく一方的な襲撃であり、勇ましい騎士の戦いというよりは、秩序ある殺戮といった様相だった。
ボルボ平原の戦闘において、教会遠征軍は完全に劣勢だった。ヨハン元帥率いる教会遠征軍本隊は何とか持ち堪えてはいるが、しかし遠征軍の旗印たる第六聖女の、十字架を奉りし天使の錦旗は、ゆっくりと、そして確実に、戦塵に侵されている。十字架旗が一本、また一本と引き倒されていくのに対し、黒竜旗の咆哮が鳴り止む気配はない。
月盾の軍旗が、力なく風にはためく。雪原の片隅で立ち尽くす月盾騎士団の眼前で、戦火と流血が冬を赤く染めていく。
ほんの少し前まで勇ましく駆けていた月盾騎士団の気勢は、今は轟く黒竜の咆哮と、吹き荒ぶ強き北風にかき消されてしまっていた。
一体、どれほどの空白があったのだろうか──ミカエルら月盾騎士団は、まるで蚊帳の外に置かれた子供のように、ただ茫然と戦場を眺めていることしかできなかった。
冬の雷鳴──鳴り響く戦場の狂騒が、その姿を現す。
森を抜け、ボルボ平原へと躍り出たミカエルら月盾騎士団の眼下で、〈帝国〉の黒竜旗が咆哮する。
砲声が、軍靴が、喊声が、荒れ野の雪原に響き渡る。北限の峰から吹き荒ぶ強き北風をまとい、黒竜旗が戦場に翻る。
〈教会〉の十字架旗と〈帝国〉の黒竜旗が、ぶつかり合う。五万の教会遠征軍本隊に対し、帝国軍も同等の兵力を動員しており、その中心にはグスタフ三世の掲げる〈帝国〉の皇帝旗、燃える心臓の黒竜旗もある。
白と黒の軍旗が戦場に入り乱れ、ぶつかり、血を流す──だがしかしそれは、交戦というよりも、一方的な襲撃の様相を呈していた。
その差は歴然としていた。圧倒的な統制で歩を進める帝国軍に対し、ミカエルの父ヨハン・ロートリンゲン元帥率いる教会遠征軍本隊は、明らかに混乱していた。
教会遠征軍の野営地に、帝国軍の野戦砲が容赦なく砲撃を加える。砲撃に合わせて、長槍と火縄式マスケット銃で武装した帝国軍歩兵戦列が、教会遠征軍の戦列へとにじり寄る。両翼からは、黒竜旗を掲げる騎兵が、十字架旗を取り囲むように疾駆する。
反転行進射撃の鼓笛が鳴り響き、帝国軍銃兵隊の火縄式マスケット銃が火蓋を切る。
マスケット銃兵の戦列が一斉に火を吹く。弾幕が甲冑ごと人体を貫き、跳ね跳ぶ鉄球が人馬をすり潰す。
だが、十字架旗も踏み止まる。教会遠征軍も大砲による砲撃の間に戦列を立て直すと、今度は騎士たちを繰り出して反撃を試みる。
神を讃える勇壮なる雄叫びが響く。〈教会〉の騎士たちが掲げる十字架旗が、黒竜旗を踏み潰すべく走り出す。剣、馬上槍、歯輪式拳銃……、各々の得物を手にする重装騎士たちが、白煙を切り裂き雪原を駆ける。
しかしそこに、火と鉄の雨が降り注ぐ。
帝国軍銃兵の一糸乱れぬ弾幕射撃と、随伴する野戦砲の火力の前に、騎士たちは見る見る数を減らしていく。何とか弾幕をかい潜りって帝国軍戦列に近づいた銃騎兵の馬上後退射撃もさしたる効果はなく、斬り込もうと剣や槍を手にする騎士たちも、銃兵を守る長槍兵の槍衾によって次々に突き落とされていく。
突撃の勢いを打ち消され、棒立ちになった教会遠征軍の騎士たちの背後を、どこからともなく現れた帝国軍騎兵が遮断する。そして退路を断たれ、血塗れになりながら右往左往する〈教会〉の十字架旗は、やがて〈帝国〉の黒竜旗に呑み込まれて消えた。
〈教会〉の騎士たちの突撃を呑み込んだ帝国軍の軍靴と鼓笛が、その勢いをさらに増していく。
すぐに、軍の中核をなす歩兵戦列同士の本格的なぶつかり合いが始まる。
向かい合う両軍の兵士たちの目と鼻の先で、十字架旗と黒竜旗が翻る。砲兵とマスケット銃兵の撃ち合いののち、長槍兵の長槍が交錯する。
槍衾がぶつかり、入り乱れる。無数の人影が槍衾をかい潜り、互いの戦列の足元に斬り込んでいく。撃たれ、斬られ、突かれ、兵士らが人形のように倒れていく。そして倒れた者の隙間を埋めるように、後続の兵が前に出て戦列を維持する。
両軍ともに一歩も引かぬ、肉壁の削り合い──そしてどちらかの心が折れたとき、戦列は崩れ、勝敗は決する。
夥しい血と火薬の臭いが充満していく。軍靴に抉られた雪原は汚泥と化し、薄汚れた白煙が斜陽の空を覆う。
帝国軍の戦い方には一切の迷いがなかった。それはやはり戦闘ではなく一方的な襲撃であり、勇ましい騎士の戦いというよりは、秩序ある殺戮といった様相だった。
ボルボ平原の戦闘において、教会遠征軍は完全に劣勢だった。ヨハン元帥率いる教会遠征軍本隊は何とか持ち堪えてはいるが、しかし遠征軍の旗印たる第六聖女の、十字架を奉りし天使の錦旗は、ゆっくりと、そして確実に、戦塵に侵されている。十字架旗が一本、また一本と引き倒されていくのに対し、黒竜旗の咆哮が鳴り止む気配はない。
月盾の軍旗が、力なく風にはためく。雪原の片隅で立ち尽くす月盾騎士団の眼前で、戦火と流血が冬を赤く染めていく。
ほんの少し前まで勇ましく駆けていた月盾騎士団の気勢は、今は轟く黒竜の咆哮と、吹き荒ぶ強き北風にかき消されてしまっていた。
一体、どれほどの空白があったのだろうか──ミカエルら月盾騎士団は、まるで蚊帳の外に置かれた子供のように、ただ茫然と戦場を眺めていることしかできなかった。
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