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日誌・121 びっくり箱
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「…確かに、俺の地元周辺に島は多いけど…」
おろしたてと思しき借りもののスーツの袖を気にしながら、雪虎はボートから降りる。
彼の視線は、正面、斜め上に固定されていた。
「こんな城がある島なんて聞いたことないぞ」
視線の先には、月明かりの下、大きな城が見える。日本の城ではない。
連想するのは、外国。
それも、ヨーロッパ。
城のお国柄による違いなどは雪虎では分からないが、とにかく西洋の城だ。
なんとなく、周囲の空気も、住み慣れた地元の空気と違っている気がする。
夏というのに、湿気をあまり感じられないのが、心地はいいが妙な感じだ。
「ぼくも知らないし、聞いたことないな」
雪虎ほど真剣ではない、…はっきり言えば、どうでもよさそうな態度で、恭也。城を見上げ、
「指示されたとおりのルートをボートで走ったんだけど、…どこに着いたんだろうね?」
こんなところにつくとは思わなかった。
恭也も驚いてはいるようだが、これは、楽しんでいる。
びっくり箱を開けた子供めいた態度だ。
端から、恭也は承知だったのだろう。
常識外れの出来事が起こることは。
「ちょっと待て、スマホ取ってくる」
位置情報を見ようと思って、雪虎は踵を返そうとした。寸前。
「それは島に持ち込み厳禁だよ。戻って使ってもいいけど、壊れるよ?」
にっこり微笑み、雪虎の手を取る恭也。
雪虎は唸った。
「…だから、ボートの中に置いて来いつったのか」
そう言うからには、恭也は試したことがあるのだろう。
それで、壊した経験者に違いない。
その経験者は、妙な言葉を付け加えた。
「うん、それにぼくにとっては、浜辺でトラさん見つけた時点で、用無しだし」
「―――――…ちょっと待て。お前俺のスマホに何か細工してるのか?」
恭也は微笑んだ。
だが何も答えない。
帰ったらスマホを変えるべきか、と真剣に悩む雪虎の手を引き、恭也は先を歩き始める。
「気にすることはないよ。だいたい、魔女の誘いってこんなものだから」
何を気にするなというのか。
魔女が結局彼らをどこへ誘ったのか、か。
それともスマホへの細工疑惑の件か。
恭也と一緒にいると、問題が次々起こって、気が休む間もない。
一旦、考えることを放棄した雪虎は、手を引かれながら空を見上げた。
頭上は満天の星空だ。
日が落ち、周囲はもうすっかり暗い。
恭也と雪虎が合流したのは朝だ。今まで二人が何をしていたのかと言えば。
先ほど恭也が言ったとおりだ―――――クルージングを楽しんでいた。
ただ、あれが楽しかったと言えるかどうかは別だが。
猛烈な勢い、しかも乱暴な運転だったものだから、途中、雪虎は船酔いした。
「船酔い? ナニソレ」
そんなもの経験したこともない、と顔に書いた恭也に本気で殴りかかって―――――もちろん拳はかすりもしなかった―――――雪虎がしばしの停船時間を勝ち取ったのは、数時間くらい過去の話だ。
そう、恭也はボートで迎えに現れた。花束は、中に置いてあった花瓶に活けてある。
珍しく黒百合はいなかった。
いないとしても。…彼女のことだ。何らかの形で、今まさに、恭也のために動いているはずだ。
なんにせよ、恭也は。
彼へ定期的にくるという魔女の誘いに、雪虎も便乗させてくれた。
その結果が―――――現在である。
というのに、何度か魔女の誘いに乗ったらしい恭也がこの反応。
つい、雪虎は半眼で尋ねた。
「帰れるんだろうな?」
「生きて出て来られたら、大概はね」
生きて。
出て来られたら。
どこから、とは。
聞く必要はないだろう。近いようで遠い城を見遣り、雪虎はツッコむ。
「例外もあるのかよ」
返事は返ってこなかった。
…いつから、生きる死ぬという話に、なったのだろう。
二人は単にこれから、魔女の宴に参加するだけのはずだが。
そのために、二人とも、フォーマルスーツを身に着けていた。
ボートの中に用意されていたものだ。
答えが返らないのが答え、と諦め、雪虎は改めて恭也越しに前方を見遣った。
足元は暗いが、月明かりのおかげでそれほど不自由はない。
島の浜辺では明かりを用意して控えているメイドが数人、見える。
「あそこで明かりを借りていこうか」
促されるまま近づけば、表情がないメイドがランタンを二つ渡してくれた。
明かりを手に入れたところで、恭也が雪虎から手を放す。
どうやら、暗がりの中を歩くのに慣れていない雪虎を気遣ってくれていたらしい。
二人がランタンを下げたところで、
「本日はようこそお越しくださいました」
メイドたちが、揃って、折り目正しく礼をする。
彼女たちにひらり、手を振って、恭也は城へと向かう。
雪虎は無言で、小さく会釈した。
今は恭也がそばにいるから、今は、初見で雪虎が周囲に与える醜悪さはないようだ。
嫌悪の目を向けられないことに、不思議な心地で身を翻し、先を行く恭也の後を追う。
メイドたちから、十分離れたところで、雪虎は恭也に話しかけた。
「ここからは、俺だけで行ける。お前は戻れよ」
行く先にある居城には、魔女がいる。
この期に及んで、何の確認をしているのやら。雪虎は自身を心の中で笑った。
(戻れってな…ここまで来たなら、進むしかないだろうに)
―――――ぼくはたまに、彼女たちからディナーに誘われるんだよね。
ボートの中で、恭也は何でもない態度で告げた。
―――――母親が、昔、彼女たちと、ちょっと関りがあったみたいで。その関係の続き…というか、関係を続けていたいのかもね。それでなくても。
恭也は不敵に笑う。
―――――ぼくの中の悪魔に、魔女たちは興味津々なんだ。
電話で魔女の話を出した時、理由を聞かれると思ったが、恭也は「なら会わせてあげる」としか言わなかった。
それが、ただ、恭也の好意から出た言葉、と考えられるほど、雪虎は呑気ではない。
今までのことを振り返って考えれば、明白だ。
雪虎と恭也の間に、取引が存在しないなんて話は、ない。
―――――なら、会わせてあげる。近いうちに、大々的な魔女の集会がある。ぼくも誘われてるから、トラさん、一緒に行こう。
恭也は散歩にでも誘うように言ったけれど。
本当のところは、どうだろうか。
恭也は、今までのことも含めて、望んで魔女の集まりに参加していたのだろうか?
もしそうでなく、雪虎が魔女との対話を望んだから行く、というのなら。
雪虎が払うべき対価は何なのか。いやこの場合は。
雪虎の望みを叶えることで、恭也が雪虎に望むことは何なのか、という話になる。
ボートの中で聞いた時は、はぐらかされた。
(一泊だろうとトラさんと一緒に旅行できるって、それがもう貴重だよね)
…そんなことを言って。
(『だけ』ですむか? …ないだろ)
魔女と会うことと引き換えに、雪虎との一泊旅行がなるとは到底思えなかった。
「どうやって?」
さらりと返してきた恭也に、雪虎は難しい顔になる。
「魔女に会うのは、お前にとって、危険なんだろ」
魔女たちは恭也の中の悪魔に興味を持っている、と言った。それは。
不吉な印象を雪虎に与えた。
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