トラに花々

野中

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日誌・83 備考欄・幸恵の場合(2)

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「なにそれ、怪しい!」

打てば響くような幸恵の反応に、雪虎が苦笑した時。


―――――ドアベルが鳴った。音に重なって、礼儀正しい、落ち着いた声。


「失礼します、ここで待ち合わせの約束してるんですが…」
すっと耳に入ってくる低い声。
流れ込んだ空気に混じる、薄いたばこのにおい。

誰が来たか、雪虎はすぐにわかった。

幸恵に髪をやってもらいながら、雪虎は振り向かず、鏡に映った相手に片手を挙げる。
「おはよう、後輩」
すぐ、山本浩介が、丁寧に頭を下げた。

「おはようございます、トラ先輩」
浩介の格好は、いつも通りだ。
短く刈り上げた髪。
すっきりした出で立ち。

オフの時は黒縁の眼鏡をかけていることもあり、知的な雰囲気を醸し出していた。


「あ、そいつ、さっき言った、俺の連れです」


出入り口近くのレジ付近でいた店長が顔を上げるのに、雪虎は声をかけ、
「そっちのソファで待っててくれ」
続いて浩介に指示を出す。

浩介は頷いた。
雪虎が指さした方向へ、失礼します、と周囲に断りを入れながら浩介は進む。

猫背気味だが、長身で足が長い浩介は目立った。

はじめての場所にも物おじせず、浩介は外から見えるソファに自然体で腰掛ける。
一連の動きが、その落ち着きのせいか大人びていて、スマートだ。二か月前、入ったはいいが、おたついた真也の態度とは雲泥の差。

「え、え、やだあの人がトラさんの後輩…っ?」
小声で幸恵がやだとか言ったので、否定的な意味かと思った雪虎は、一応フォローを入れた。

「怖い? ごめんな、変に迫力あるけど、だれかれ構わず殴ったりしないから」
幸恵は鋭い。
その嗅覚で、浩介から暴力に慣れた匂いでも嗅ぎ取ったのかと思ったのだが。

「そうじゃなくって!」
首がもげるんじゃないかという勢いで顔を横に振る幸恵。


「かっこいいんですけど! ガタイいいな~…なになに、スポーツでもやってた? 後輩って仕事の前は、部活の後輩だったり?」


ドライヤーの音の向こうから、幸恵が興奮気味に囁いてくる。雪虎は曖昧に笑った。
幸恵の言葉は、時々理解不能だが、これは、浩介の存在を肯定的に受け止めてもらえたと思っていいのだろう。
初見の相手が入ってきたためか、店内には薄い緊張が走り、瞬間、皆が口を閉ざした。

(まあいくら知的に見えても、あいつ、変に迫力あるからなぁ)


ただ、それをまったく気にしない猪娘が幸恵である。


「はじめまして~、トラさんの後輩さん! これから映画って何観るんですかぁ?」


ドライヤーを止め、ひとつも臆さず、雑誌を手に取った浩介に声をかけた。
雪虎は内心、キョトン。いや、映画を観に行く、などとは言っていない。
浩介が、観たい映画があると言っていただけだ。

よくあることだが、幸恵といると、いつの間にか身に覚えのない話が出来上がっている。

驚いた様子もなく顔を上げ、浩介は微笑んだ。人好きのする笑みだ。
これが曲者なのだが。

「はじめまして。そうだな、観たいのは、」
続けて、最近話題の映画のタイトルをすらすら口にするのに、雪虎は目を瞬かせる。
「本気で映画観るのか? 俺と?」

「いやなら他にしますか?」
「お前の希望に合わせるから、別に映画でいいけど。デートかよ」
びっくりした態度で雪虎が言うのに、聞いていた全員が内心で突っ込んだ。


―――――あっ、思ってても誰も言わなかったのに。


微笑みをひとつも崩さず、落ち着き払って、浩介。

「光栄ですね。ならそのあとで食事してカラオケ行って水族館でも行きますか」
「俺は本屋へ行くって言っといただろ」

「はい。分かっています、お付き合いします」
「いやいやいや、だっから、今日付き合うのは俺なんだって」


なんだかあべこべだな、と言いたげな表情で、雪虎は唸る。


「お前が行きたいならいいけど、どうせ行くなら彼女と行ったらどうだ」
「無理ですよ。アイツ、恋愛映画ばかり観たがるんで」
それでお鉢が雪虎に回ってきた、と。
「…なら仕方ないか…」
呟く雪虎。

了解は先に取っていたが、折角の休日に、彼女との時間を邪魔したのでなければよかったのだが。

「あ~、やっぱり、彼女さんいるんですかぁ。後輩さん、モテそうですもんね」
うんうん頷く幸恵に、改めて雪虎は鏡越しに浩介を見遣った。

モテそうに見える、とはどういうことをいうのだろう。雪虎にはよく分からない。

が、ふとした瞬間、底抜けの暴力性が覗く以外は、確かに、山本浩介はいい男である。
ただし、その暴力性も―――――理由、あってのことなのだが。

雪虎は、ふ、と鏡の中の浩介から目を逸らした。
次いで、からかうように一言。

「そうなんだよ、小学生の時から色々な」


女子の間で、浩介と誰が一番長く手をつないだ、とか。

今日は誰が浩介と一緒に帰る、とか。


学年が違うから、まばらにしか耳にしたことはないが、そういう会話を何度か聞いた。

「モテるってわけじゃありませんよ」
浩介の笑みに、困惑がわずかに混じる。

「基本的に、おれ、女の子の本命にはされないんで」
微妙な言い回しだった。

「でも今は彼女いるんですよね」
幸恵は気にせず、さらり。


―――――強い子。


雪虎を含め、皆がそう思ったに違いない。
そうだね、と浩介は穏やかに雑誌に目を戻した。

「にしたって、小学校から今までの付き合いってすごいですよね。でも、先輩後輩ってことは学年違うんでしょ? 小学生の時どうやって知り合ったんですか? やっぱり部活?」

刹那。





雪虎の脳裏で、雪の中の光景が浮かんだ。
寒い冬。
この辺りでは珍しい、雪景色。

顔の下半分を、マフラーでぐるぐる巻きにした雪虎は、大きな通りから離れた路地裏に入ろうとした時、その光景を目撃した。
大人から、無抵抗に数発殴られて、ボロ雑巾みたいに放り出された年下の少年の姿を。

見た瞬間―――――自分の姿が重なった、せいか。
カッとなって雪虎は叫び、駆け出た。


―――――何やってんだよ!


大人は雪虎がたどり着く前に立ち去ったが、なにも、雪虎の剣幕が怖かったわけではあるまい。
雪虎の上げた声が衆目を集めたのに、バツが悪くなった。

それだけの話だ。


これが、雪虎の初めて見た、浩介と、彼の父親だ。





「残念だけど、トラ先輩は部活に入らなかったから」
代わりに雪虎は、家事に励んでいた記憶がある。

「お前は叔父さんのボクシングジムに通ってたしな」


浩介の父親の弟が、経営者だった。
おそらく彼は、なにがしか察するところがあったのだろう。

放課後甥っ子をジムに呼んで、雑用をさせたり鍛えたり、宿題を教えたりしていた。



幸か不幸か、浩介には才能があった。



面白がった叔父が、ボクシングに限らず、格闘技全般を学ばせた結果。

小学校五年の時には、浩介は、高校生と間違われるような体格と落ち着きを身に着けていた。





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