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日誌・58 悪魔憑き
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× × ×
「悪魔憑き」
「はい」
広い後部座席でネクタイを緩めた雪虎は、前のミラーを胡乱な目で見つめる。
そこには、運転席に座る黒百合が映っていた。
紺色のタイトスカートにジャケット、生真面目そうなメイクにひっ詰めた髪。
いかにもデキるキャリアウーマンといった風情だ。先ほどのふんわりしたメイド姿とは似ても似つかない。
「って、殺し屋が、か」
「はい」
「いや俺は、アイツの国籍どこの国のなんだって質問して…ああ」
途中で、雪虎は言葉を濁した。
上げていた前髪をぐしゃぐしゃ掻き回して、下ろす。
「そうだな、まともに教えるわけないか。悪いな、立ち入ったこと聞いて」
「真面目に答えていますが?」
素早い切り返しに、雪虎は聞き間違いかと思った。
「は?」
「ただはじまりから語ろうとすればどうしても迂遠になりがちで」
ミラーに映るキツめのメイクをした黒百合を、雪虎はまじまじ見つめる。
「殺し屋の許可なく勝手に話していいのかよ」
正直、戸惑ってしまう。
黒百合が、恭也の意思に反してまで雪虎に情報を漏らすわけがないからだ。なにせ。
―――――黒百合は、雪虎が嫌いだ。
理由はひとつ。
雪虎の前では、恭也が恭也らしくなくなる、と彼女は言う。
恭也らしさがどういうものか分からないが、黒百合にとって、それは困ることだ。
なにせ彼女は、…いずれ。
―――――恭也の手で自分の命を狩り取ってほしいと望んでいるから。
常に死を望んでいる。そんな彼女だからこそ。
恭也のそばにいても、破滅は襲い掛からない。むしろ。
生存こそが、彼女にとっての絶望だ。
「許可以前の問題です」
暗い目で、淡々と、黒百合。
「恭也さまはトラさんに何も隠していません」
「いやでも聞いたことないぞ。生い立ちなんて」
「話す間も惜しんで交わっておられるのはどなたです?」
雪虎はそっと胸をおさえた。効いた。ぎこちなく目を逸らす。
「けどさすがに、悪魔憑きって言うのは…どこの御伽噺だよ」
「トラさんも御伽噺の家系ですよね」
雪虎は顔をしかめた。
「あれは月杜家だ。俺は傍系の傍系…」
言いさす雪虎を無視して、黒百合は続けた。
「恭也さまの血を遡れば、祖は魔女狩りの時代、ヨーロッパの片田舎で生まれたようです。そこから、連綿と血脈を繋ぎながら、フランス、ドイツ…挙げていけばキリがありません、なんにしろヨーロッパ中を転々として、いっときイギリスで消息を絶ったようですが」
ハンドルを握ったままの指先を、パソコンのキーボードでも打つように、とんとん、と黒百合は動かす。
「どういった経緯でか、恭也さまのお母様はイタリアの犯罪組織に所属していました。知らず知らずのうちに地元に戻った、という感じですね。そこで出会った敵対組織の中国人に無理やり」
「いや待った」
雪虎は片手を挙げて止めた。
犯罪組織と言葉を濁して言われているが、まあ、…ヤバさは伝わった。それより。
「なんで各地を転々としてる家系の記録が祖まで遡れるほど残されてんだ?」
「悪魔憑きとして権力者に目をつけられていましたから。主に、宗教関連の」
宗教関連。
また言葉を濁された。
だがまあ、魔女狩り、…イタリア、―――――悪魔。それぞれから連想されるものと言えば。
「分かった」
詳しく聞けば泥沼にはまる。切り口上で雪虎は言った。
「なんにしろ、先祖代々、世界中を放浪してたってことか」
「ただ、アジア圏内にはなぜか立ち入っていませんが」
「そこだと目立ったからじゃないか? 目鼻立ちとか髪の色…なんにしたって、これで分かった。本気で色んな血が入ってるんだな、アイツには」
「ご本人も、ひとところにとどまるのを嫌がります。まるでジプシーです」
「ちなみに殺し屋のあの体質は」
周りに破滅をもたらす圧倒的なあの威力を、能力とは言わず、体質という理由は、雪虎と同じで、本人に操作できるものではないからだ。
「先祖代々のものってことか?」
「はい」
「代々、あれだけ強かった?」
それでよく社会に紛れていられたな、と感心したが。
「いいえ」
果たして黒百合は、首を横に振った。
「ちょっと周りに不幸をもたらすと言った程度の力だったようです。もしくは、本人の肉体が異常に頑丈だったり。それを利用してうまく権力に取り入って生きてきたため、彼らの子を残し、力を受け継がせようと考えた権力者が多かったようで」
なるほど、だから血は繋がれてきたのか。
「わたしが恭也さまのサポートにあてられたのも、それが理由です。動物の交配実験のようなものですね」
それ―――――つまり、子孫を残すために黒百合は恭也にあてがわれた、ということだ。
黒百合は淡々とした態度。
雪虎は何とも言えない気持ちになる。口の中が苦い。
だが黒百合や恭也に対して、同情するのは、お門違いというのは理解している。
彼らはそれを、本気で何とも思っていない。
だから、黙るしかない。
「恭也さまに抱かれても、生き残って子を産める腹として、わたしは選ばれました」
それでも。
どうしても雪虎は、人を人とも思わないような所業に悪寒を覚える。
ある知り合いに言わせれば、雪虎のそれは『平和ボケ』らしいが。
だが、黒百合の言葉に、雪虎は、また別の意味で血の気が引く。
待て。
―――――恭也に抱かれても、生き残る?
それではまるで。
(殺し屋と身体を重ねたら死ぬ、みたいな)
雪虎の背中がぞわりと冷たくなった、刹那。
黒電話の着信音が、ポケットから跳ね上がる。
一瞬、心臓が大きく鼓動した。
驚かされた腹いせに、絶対電話なんかとるものか、と子供じみた意地が頭をもたげる。
だが、一分近く経っても鳴りやまない。
黙り込んだ黒百合が、ちらとミラー越しに雪虎を見遣った。雪虎は嘆息。
仕方なしに、スマホの画面を見る。驚きに、目を瞠った。
「情報屋?」
「悪魔憑き」
「はい」
広い後部座席でネクタイを緩めた雪虎は、前のミラーを胡乱な目で見つめる。
そこには、運転席に座る黒百合が映っていた。
紺色のタイトスカートにジャケット、生真面目そうなメイクにひっ詰めた髪。
いかにもデキるキャリアウーマンといった風情だ。先ほどのふんわりしたメイド姿とは似ても似つかない。
「って、殺し屋が、か」
「はい」
「いや俺は、アイツの国籍どこの国のなんだって質問して…ああ」
途中で、雪虎は言葉を濁した。
上げていた前髪をぐしゃぐしゃ掻き回して、下ろす。
「そうだな、まともに教えるわけないか。悪いな、立ち入ったこと聞いて」
「真面目に答えていますが?」
素早い切り返しに、雪虎は聞き間違いかと思った。
「は?」
「ただはじまりから語ろうとすればどうしても迂遠になりがちで」
ミラーに映るキツめのメイクをした黒百合を、雪虎はまじまじ見つめる。
「殺し屋の許可なく勝手に話していいのかよ」
正直、戸惑ってしまう。
黒百合が、恭也の意思に反してまで雪虎に情報を漏らすわけがないからだ。なにせ。
―――――黒百合は、雪虎が嫌いだ。
理由はひとつ。
雪虎の前では、恭也が恭也らしくなくなる、と彼女は言う。
恭也らしさがどういうものか分からないが、黒百合にとって、それは困ることだ。
なにせ彼女は、…いずれ。
―――――恭也の手で自分の命を狩り取ってほしいと望んでいるから。
常に死を望んでいる。そんな彼女だからこそ。
恭也のそばにいても、破滅は襲い掛からない。むしろ。
生存こそが、彼女にとっての絶望だ。
「許可以前の問題です」
暗い目で、淡々と、黒百合。
「恭也さまはトラさんに何も隠していません」
「いやでも聞いたことないぞ。生い立ちなんて」
「話す間も惜しんで交わっておられるのはどなたです?」
雪虎はそっと胸をおさえた。効いた。ぎこちなく目を逸らす。
「けどさすがに、悪魔憑きって言うのは…どこの御伽噺だよ」
「トラさんも御伽噺の家系ですよね」
雪虎は顔をしかめた。
「あれは月杜家だ。俺は傍系の傍系…」
言いさす雪虎を無視して、黒百合は続けた。
「恭也さまの血を遡れば、祖は魔女狩りの時代、ヨーロッパの片田舎で生まれたようです。そこから、連綿と血脈を繋ぎながら、フランス、ドイツ…挙げていけばキリがありません、なんにしろヨーロッパ中を転々として、いっときイギリスで消息を絶ったようですが」
ハンドルを握ったままの指先を、パソコンのキーボードでも打つように、とんとん、と黒百合は動かす。
「どういった経緯でか、恭也さまのお母様はイタリアの犯罪組織に所属していました。知らず知らずのうちに地元に戻った、という感じですね。そこで出会った敵対組織の中国人に無理やり」
「いや待った」
雪虎は片手を挙げて止めた。
犯罪組織と言葉を濁して言われているが、まあ、…ヤバさは伝わった。それより。
「なんで各地を転々としてる家系の記録が祖まで遡れるほど残されてんだ?」
「悪魔憑きとして権力者に目をつけられていましたから。主に、宗教関連の」
宗教関連。
また言葉を濁された。
だがまあ、魔女狩り、…イタリア、―――――悪魔。それぞれから連想されるものと言えば。
「分かった」
詳しく聞けば泥沼にはまる。切り口上で雪虎は言った。
「なんにしろ、先祖代々、世界中を放浪してたってことか」
「ただ、アジア圏内にはなぜか立ち入っていませんが」
「そこだと目立ったからじゃないか? 目鼻立ちとか髪の色…なんにしたって、これで分かった。本気で色んな血が入ってるんだな、アイツには」
「ご本人も、ひとところにとどまるのを嫌がります。まるでジプシーです」
「ちなみに殺し屋のあの体質は」
周りに破滅をもたらす圧倒的なあの威力を、能力とは言わず、体質という理由は、雪虎と同じで、本人に操作できるものではないからだ。
「先祖代々のものってことか?」
「はい」
「代々、あれだけ強かった?」
それでよく社会に紛れていられたな、と感心したが。
「いいえ」
果たして黒百合は、首を横に振った。
「ちょっと周りに不幸をもたらすと言った程度の力だったようです。もしくは、本人の肉体が異常に頑丈だったり。それを利用してうまく権力に取り入って生きてきたため、彼らの子を残し、力を受け継がせようと考えた権力者が多かったようで」
なるほど、だから血は繋がれてきたのか。
「わたしが恭也さまのサポートにあてられたのも、それが理由です。動物の交配実験のようなものですね」
それ―――――つまり、子孫を残すために黒百合は恭也にあてがわれた、ということだ。
黒百合は淡々とした態度。
雪虎は何とも言えない気持ちになる。口の中が苦い。
だが黒百合や恭也に対して、同情するのは、お門違いというのは理解している。
彼らはそれを、本気で何とも思っていない。
だから、黙るしかない。
「恭也さまに抱かれても、生き残って子を産める腹として、わたしは選ばれました」
それでも。
どうしても雪虎は、人を人とも思わないような所業に悪寒を覚える。
ある知り合いに言わせれば、雪虎のそれは『平和ボケ』らしいが。
だが、黒百合の言葉に、雪虎は、また別の意味で血の気が引く。
待て。
―――――恭也に抱かれても、生き残る?
それではまるで。
(殺し屋と身体を重ねたら死ぬ、みたいな)
雪虎の背中がぞわりと冷たくなった、刹那。
黒電話の着信音が、ポケットから跳ね上がる。
一瞬、心臓が大きく鼓動した。
驚かされた腹いせに、絶対電話なんかとるものか、と子供じみた意地が頭をもたげる。
だが、一分近く経っても鳴りやまない。
黙り込んだ黒百合が、ちらとミラー越しに雪虎を見遣った。雪虎は嘆息。
仕方なしに、スマホの画面を見る。驚きに、目を瞠った。
「情報屋?」
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