原初の魔女と雇われ閣下

野中

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第2章

幕14 ようやく、はじまる

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その悪名も名声も、すべて呑まねばならなくなるが、いまここで、オズヴァルトという存在を世界が失うわけにはいかなかった。
―――――彼女の言い分に、

(…確かに)

オズヴァルトは、魔人たちのことを考えた。



主の帰還に狂喜している彼等がもし、ここにいるオズヴァルトが本当のオズヴァルトではないと知れば、…どう出るだろうか。



想像もつかない。とはいえ。
―――――悪い方向へ振り切れそうな予感はあった。

では、身内がこうならば、対外面ではどうか。



―――――オズヴァルトの名と存在がもたらす重みと影響力は、計り知れなかった。



思わず瞑目する。

オズヴァルトではないと真実を告げるデメリットの方が、残念だが、大きかった。




本来彼は、嘘が嫌いである。
だが、状況を考えれば考えるほど、敗北するような心地で感じた。

―――――これは必要な嘘だ。




今の彼が、肉体がオズヴァルトであり、彼の記憶を引き継いでいるのは間違いない。


(貫き通すしかない…世紀の大嘘を)


周りを騙すような感覚に、気分は晴れなかった。
しかし当面、それで押し通す他、道はない。

「ああ」

ビアンカに頷き、オズヴァルトは霊廟の一角を指さす。
そこには、オズヴァルトの妻子がおさめられているはずだ。


「この、近くに」


オズヴァルトは低く言葉を続ける。

「新たな場所を設け」

…オズヴァルトの肉体は、確かにここにある。
だが、その魂は死んだのだ。ゆえに。




「…称えるべき友人の眠る場所としたい」




魂だけでも、いなくなった人を偲ぶ場所が欲しい。

聞いたビアンカは、しずかに目を瞠った。
表向きは、オズヴァルトの友人―――――一平の墓としてもいい。いや、それが相応しいだろう。

ヴィスリアに守られ、オズヴァルトの魂が異界へ渡っていたことは、魔人たちに周知してある。
そこで一平という名の友人ができたことも、また、話していた。

その友人が、オズヴァルトの一件に巻き込まれ、亡くなった、とも。


内実は、オズヴァルト本人の墓だ。


ただし、おさめるべき遺骨の持ち主の身体はまだ生きていると来た。
…それでも、気持ちとして。

ビアンカに、オズヴァルトの意志は伝わったのだろう。彼女は、深く息を吐いた。



「はい」



頷き、目を伏せる。
「…感謝します」

「必要ない」

オズヴァルトは相変わらず冷たい声で告げ、踵を返した。
「私自身のためだ」

「それでもです」
続くビアンカは、温かく微笑んだ。


「ありがとうございます」


この五年間、存亡の危機に立ち続けたゼルキアン。





魔族が流した噂のせいで、オズヴァルトが躊躇なく妻子を斬り捨てた情報は大陸中に広まり、英雄であっても彼は冷酷な人物とされてしまった。





ただ、今は。

小さなビアンカの歩調に合わせてくれるオズヴァルトの背を追いながら、彼女はまぶしく彼を見上げた。
今度こそ。
今度こそ、守り抜かなければならない。

この背を二度と、喪うものか。


一人寂しく、逝かせるものか。




次はない。決して。




全てのヴィスリアの魔人たちの、これは誓いである。

ぐっとこぶしを握り締め、ビアンカは唇を引き結んだ。
彼女の眼差しが横を向き、鋭く冷たく尖る。


(魔族は災厄を食らうことで、力を得る…)


―――――大陸の、ほとんどの者が知らなかった真実。

この情報を、ヴィスリアの魔人たちは拡散している。
これは、一般に公開すべき事実だ。


…もし五年前、オズヴァルトの目の前で、災厄を食らわんとした魔族が彼の妻子を殺さなかったなら―――――あるいは、その時点で、すべては終わったかもしれない。


誰も泣かない、苦しまない、幸せな大団円が訪れたかもしれない。

しかしそれはすべて、仮定の話だ。
もう、時間は巻き戻せない。

他にも、五年前の事実を広めるべきだ、とビアンカは言ったが。




―――――必要ない。




オズヴァルトはすげなく言った。

―――――むしろ、私が冷酷という噂が広まっているほうが自由に動ける。

ビアンカたち魔人にとっては、もどかしい言い分だ。
しかし、彼の言葉ももっともだった。

誰もが正しくありたいと思うものだが、その『正しさ』が時に足枷となることがある。
最初から、何をするかわからない人物と見做されていたなら、いちいち周囲に配慮する必要はない。
オズヴァルトが言いたかったのは、そういうことだろう。

その後、ただ、とオズヴァルトが続けた言葉を思い出し、ビアンカは改めて腹の底が煮えくり返るような心地になる。




(災厄を魔族が食らい、その力を糧とすることを、魔族が承知のことは当たり前として…各国の上層部まで、知っていたなんて)




知っていながら、オズヴァルトを誰も擁護しなかった。
どの国の要人も。どの組織の人間も。
このことを、ヴィスリアの魔人たちは誰も忘れないだろう。

オズヴァルトが言うには。


彼等は、ある程度事実を察していると思われるということだった。


各国がそうであったということは、シハルヴァ王国も例外ではない。
オズヴァルトもそれを事前に承知していたから、あのとき。

斬りつけ、身体を破壊したのだ―――――最愛の人たちの、身体を。





ただし、それには幾ばくかの事情があったことも、ビアンカたちは察せざるを得なかった。








一連の真実を語れば、オズヴァルト・ゼルキアンが精神体の魔族に憑依されたことで、その魂が消滅したことまでも語らなければいけなくなる。

そちらの事実の方が、世間にとっては痛かった。


オズヴァルト・ゼルキアンが冷酷であるという悪名が広がるより、彼が完全に死に、その肉体を魔族に乗っ取られた―――――この事実こそ、人心に多大な影響を与えると各国の首脳部は判断したのだ。

英雄の死、それにこそ、人は絶望するだろう、と。








そんなことも知らず、魔人たちは、あの魔族が面白がって話すままに、主のことを誤解していた。
…民もおそらく、オズヴァルトを冷酷だと恐れているだろう。

だが、オズヴァルトは今や天人だ。
天の権能を与えられた、いわば、現人神である。


―――――ゼルキアンは、きっともう、大丈夫。


そして今のオズヴァルトは、かつての魂ではないものの、正式に認められた後継者である。
彼に仕えることに対して、ビアンカに否やはなかった。


「いずれにせよ、―――――ビビ」


目の前で刃物を弄んでいると言われてもおかしくないほど物騒な、どこか気怠い、体温の低い声に、ビアンカの背筋が伸びる。
「はい」


「私は私の友人を追い詰めたものを許すつもりはない」


ビアンカは空色の目を瞠った。
虚を突かれた心地になる。
しかし。





そうだ。その通りだ。まだ、終わっていない。五年前の事件は。





思い出すというよりも、ようやくそこへ心が追い付いたビアンカは、ぎゅっと拳を握り締めた。頬に血が上る。


そうだ、そうだ、そうだ。


まだやれることがある―――――あの方のために。




「報復する。思い知らせる。協力、してくれるな?」




これほど高揚する命令が、あるだろうか。

さすがは、―――――オズヴァルト・ゼルキアン。この方は間違いなく、
「はい」


誉れ高き、ゼルキアンの主。ビアンカは、重く頷いた。


「持てる限りの力でもって」
向こうを向いたまま頷いたオズヴァルトは、不意に、我に返った声で呟く。





「あとは商団主として挨拶回りを」

「なりません」





間髪入れず、ビアンカは言葉を挟んだ。面食らったか、オズヴァルトは一拍沈黙。
聞き間違いか、と言いたげに、振り向いた。

「ビビ?」
「よろしいですか、若さま」

ビアンカは微笑む。
問答無用の、威圧的な笑顔だ。


「確かに、若さまは商団主です。ですが、オズヴァルト・ゼルキアン閣下であらせられます」


「…もしかして、だが」
オズヴァルトは顔を前へ戻しながら、低く言った。



「私は挨拶される側、じっと座って待っていろ、…ということか?」



「待つ必要はございません」
正解に至ったオズヴァルトに、よくできました、の笑顔で、ビアンカ。


「必要があるならば、呼び出せばよいのです」


「…ああ、分かった」
小さく頭を横に振ったオズヴァルトは、すぐ話題を変えた。

「ところで、私が把握している状況からして、王国は滅びた―――――それで正しいかね」

(そうね、まずはそこからね)
五年だ。
妙な感慨深さを抱きながら、ビアンカは表情を引き締めた。

五年、経って。




…ようやく、はじまる。




ビアンカは重く頷いた。
「はい。ただし」
正直言って、ヴィスリアの魔人にとって、王国の存亡はどうでもいい。


ヴィスリアの森の主は、ゼルキアンなのだから。


だが、主の問いかけに対して、答えないわけにはいかなかった。






「王族のうち、お二人が生き残っておられます」






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