原初の魔女と雇われ閣下

野中

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第1章

4幕 オズの事情

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感慨深く呟けば、ぽん、と足をオズが尻尾で叩いた。

「おっと、そろそろ、行かないとね」
タマは約束があるのだ、いつまでも引き留めていてはいけない。

「駅に用事があるのに、ここへ立ち寄ってくれてありがとう。手間をかけたね」
一平が、お弁当箱を見遣れば、そんなことないから、とタマは片手を振った。
「それじゃ、また来週ね」

「ありがとう。また、朝に」
挨拶を交わし、一平はペダルをこぎ始める。
オズは、横に並んで走り始めた。

惚れ惚れするほど優美な狼である。しばらくしたのち。


『あの娘、随分元気になったものだ』


オズが言うのに、一平は肩を竦めた。
「オズくんもね」

とたん、言葉に詰まった態度で、オズは黙り込む。

一平は、視線だけで、オズの尖った耳の先から、尻尾の先まで眺めやった。



出会ったときは薄汚れ、骨と皮ばかりだったのに、今では毛艶の末端まで最高だ。



誰が見ても「怖い」だが「格好いい」と断じるその姿は、この地域一帯で有名らしい。

大きな犬と見られて警戒されそうなものだが、物静かで、どちらかと言えば神秘的な生き物扱いされているオズは、保健所を呼ぶようなこともされず、タマが言うにはちょっとした名物という話だ。

(だいたい、白色の生き物は、神聖なもの、神様に近い存在って気がするしな。白蛇とか白馬とか…そうでなくても、オズくんは目立つし)
オズは巨大だ。
骨格は逞しく、凛々しい面立ち。

愛玩動物とは似ても似つかない精悍な姿と相まって、見る者が見れば、迷いなく狼と断じたことだろう。やはり、犬とは違う。



こんなオズだが、最初は、骨と皮ばかりで今にも死にそうだった。
そのことは、誰も知らないようだ。



オズとの出会いは、四年と半年前。
事故の後、ようやく一平が社会復帰した頃だ。
オズとも、墓場で出会った。

オズはどういうわけか、一平の家族の墓石の裏で倒れていたのだ。

骨と皮ばかり、毛は艶もなくボサボサで、その印象的な青紫の両眼は濁っていた。



ボロ雑巾とはこのことか。



思いながらも一平は、死にそうな生き物を放っておくこともできず、水や餌を与えた。
そして、一か月目。





――――――………………話しかけられた。





無言でオズを見つめ返した一平は、無言で立ち去り、会社帰りに耳鼻科へ寄った。診断結果は耳に異常なし。

最早習慣となった餌やりを欠かすことができず、また顔を合わせれば、懲りずに話しかけられた。



また無言で見つめ返し、今度は脳神経外科へ行った。診断結果は異状なし。



次に話しかけられた時、仕方なしに返事を返せば、会話が成り立った。
そして一平は諦めた。


この狼と会話ができていることを認めようと。


オズは、ずっとこう言い続けていた。





―――――死にたいから、放っておいてくれ。





死にたいなら食べなければいいのに、と言えば。
出されたものを食べないのは礼儀に反するし、なにより食材がもったいない、と返事が返った。
そして、命を助けられた以上、一平に恩義ができたというのだ。

なかなか、矛盾した御仁である。

結果、この狼と一平との付き合いは、今日まで続いた。
これを、メルヒェンと言うべきか。それとも、…もっと大きな病院に行くべきか。

かつては、一平にとって、真剣な悩みどころだった。
とうとう、自身の頭はおかしくなったのかと。

ただ、色々、大変なことが起こった時期に彼らは出会ったため、それ以上、病院に行く気力が当時の一平にはなかったのだ。

それは、果たして幸福だったのか不幸だったのか。

オズの声を、最初は自身の妄想ではないか、と真剣に悩んだものだが―――――その悩みを蹴っ飛ばす事象が起きたために、悩みは木っ端みじんになって、今日に至る。
悩みを吹き飛ばした事象とは。





…異世界の存在を知り、そこを訪れたことである。
しかも、本来の、オズの肉体を間借りする形で。

魂は狼の姿でここにいても、彼の肉体は、未だあちらに存在している。

そして、一平があちらの世界へ行くときは、オズの身体を間借りする格好になるのだ。
つまりはここに冬見一平の肉体だけ残して、魂だけが移動することになる。


なぜそんなことになったのかと言えば。



オズが、自身が置かれた状況を説明した時の、一平の真剣とは程遠い態度がいけなかったのだろう。
一平は、まるでおとぎ話を聞いている気分で感心していた。





そんな一平に、オズはイラっときたようだ。





真実だと知らせるために、…言ってみればそのためだけに、この狼ときたら、一平の魂をあちらの世界へ飛ばした。とんでもない狼だ。
その上。

一平を、あちらの世界へ飛ばしたのはオズだったというのに、この狼ときたら、あちらで一平がオズの身体に間借りする格好になったと告げた時、



「え?」


という反応だった。



その時、問い詰めて聞いた話では。
あちらの世界においては、一つの身体に一つの魂しか宿れないという理があるらしい。

二つ宿ろうとすれば、魂としての動き方を知らない以上、はじき出されるはずなのだ。
よって、オズははじき出され、こちらの世界へ流れてくることになった。

しかも今、オズの肉体に宿っているのは精神体の魔族である。魂だけで行動できる存在であり、そうである以上、一平では負ける。

しかも、宿る場所がない。
よって、一平も弾かれて、すぐこちらへ戻ってくるとオズは思っていたようだ。

だが、一平はオズの身体に一時とはいえ、宿った。



―――――推測の域を出ないが。

オズは言った。

―――――イッペーはこちらの世界の身体とつながっているから、…つまり戻る身体があるから、魂が消滅せずに済むのかもしれない。



かもしれない、そんな曖昧な状態で、あちらの世界へ一平を放り出したのかこの狼。

と腹が立ちもしたが、鬱陶しがっているオズにかまい続けた一平にも悪い部分はあったのだろう。
お互いさまということで、怒りは鎮めることにした。

よって、オズ本人は戻れないが、時に代理で一平が出向く、というスタイルがこの時からできた。

観光するには、とんでもない状況だったわけだが。


いずれにせよ。





これが周囲にとって異常に見える上に、よくない意味での非常識であることは、双方とも重々承知していた。

ゆえに、一平は理性的な結論を下すことにした。
―――――よし、周りには絶対バレないようにしよう。


彼が、しゃべる犬などとして、見世物にされるのはかわいそうだ。


自分の一軒家が見えてくると同時に、一平は自転車の速度を落とし、そこから降りた。
いつまでもオズを走らせるのは悪いと思ったからだ。

「オズくん、今日は私の家に泊まるかい」

『そうさせていただこうか』
一応、オズは自身が悪目立ちする自覚はあるようだ。
日が落ちてから巨大な狼が移動する光景はさすがに周りから何か言われるだろう。

「それじゃあ、ゆっくり話ができるね。天人とやらについて、教えてもらおうか」
『うむ、まあそう長い話にはならないよ』
オズがため息をついた時。

一平たちが脇をのんびり歩く田舎道を、不意に深紅の車がすぅっと横切った。

それが、軽く五百万は超える車だと一平に教えてくれたのは、ご近所のおじいさんだ。
そんなものが、このあたりの田園風景を背景に走る姿には、最初違和感を覚えた。

とはいえ、見続けたせいだろうか。
最近では結構、慣れた。今や当たり前の光景だ。

誰の車かは、このあたりの人間なら、皆知っている。
顔を上げれば、それはご近所の車庫に入った。このあたりの一軒家はすべて中古物件で、場所柄はいいものの、洒落っ気とは程遠い。
なぜあんな車を余裕で乗りまわせる人物が、このあたりで一軒家を求めたのか、未だに謎だ。

見守っていると、車から人が降りてきた。刹那。



―――――いきなり、目の前で大輪の花でも咲いたような華やかな明るさが広がる。



運転席から降りてきたのは、二十代半ばの美人。









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